第百五話 鉄砲談義 其ノ弐
佐吉さんとまた鉄砲談義です。
『鉄砲談義 その弐』
天文十七年四月下旬、屋敷に戻って一刻ほどした後佐吉さんが訪ねてきました。
佐吉さんとは語学の学習という事になっているので、家の者に変に思われることは有りませんが、小次郎殿は初めてなので奇異に見えたようです。
障子の向こうから二人の話し声が聞こえてきます。
小次郎殿が私と佐吉さんが会うことに疑問を滝川殿に投げかけます。
「姫君がお雇い鍛冶とはいえ二人でお会いになるので?」
それに対し、滝川殿が答えます。
「それが吉姫にござる」
「そ、そうでござるか…。確かに変わっておられる。
しかし、備後様はご存知なので?」
「備後様は無論ご存知だ。
佐吉殿は姫様の命で異国人の商人ともやり取りを任されておる故、姫様に語学を教授されて居るのだ」
それを聞き手を軽く叩く音が聞こえました。
「あ、なるほど。
それならばわかり申す。
しかし異国の言葉を教授出来る者など聞いたこともござらん。
一体吉姫は何処で学ばれたのか」
「それは、拙者も知り申さぬ。
姫様はあの歳にして拙者らが寿命まで生きたとして、一生掛けて読むであろう書物以上の書物を読まれておられる故、それらの書物に書かれておったのかも知れぬ。
一度書庫を見せてもろうたが、この尾張でもあれ程の蔵書は寺でも無ければ目に掛かれまい」
「それ程にござるか…。
それがしは手習いは嗜み程度で、武芸に打ち込んで参った故想像も付きませぬ。
お、参ったようですぞ」
「姫様、佐吉が参りました」
佐吉さんが来たようです。
「通して下さい。
そして、いつものように人払いをお願いしますね。
異国の言葉は事情を知らぬものが聞けば物狂いの戯言にも聞こえますから、変な噂が立っては困りますので…」
「心得てござります」
「姫様、参りました」
「佐吉さん、足労大儀です。
では早速、始めましょうか」
「はい」
そして、例によって私達はまた英語で話しだしたのです。
『佐吉さん、今日の鉄砲どう思いましたか』
佐吉さんは腕を組むと暫し考えて答えます。
『前回の試射では確かに直銃床とピストルグリップは好評でしたが、まさかああ云うのを作ってくるとは思いませんでした。
マスケットとしては曲銃床の方が使いやすいと思ったので、そういうのを想像していたのですが』
『私も最初箱を開けて見せられた時、機関銃が入ってるのかと思いましたよ』
『第二次世界大戦のドイツの機関銃にあれに似た形の物がありましたね』
『それよりも、アニメ映画の大きなダンゴムシと青い服着た女の子が出てくる作品に出てきた長銃にそっくりでした』
佐吉さんは首を傾げます。
『私はその映画は知りませんが、あの形に纏めたというのは、津田様の先見性の高さを表していると思います』
『どんなところですか?』
『私はあの銃を見て特定の用途の為にあの構成にしたのだと気づきました。
つまり、最初からバイポッドが付いていたでしょう。
それがヒントなのですが、あの銃は狙撃銃です。
今の時点で、其の様な概念が有るのかどうかは分かりませんが、あの銃の持ち方狙い方は明らかに狙撃を意識したものです』
私は、言われてみると確かにそうだと思いました。
妙な先入観があったお陰で、危うく本質を見失う所でした。
つまり、恐らく津田殿は先日の試射の時、狙い撃つのに適した銃に辿り着いたのだと思います。
思い出せば、鈴木殿の意見は感触とかあくまでユーザーとしての感想に留まって居たのに対し、津田殿はもう少し当代の銃の専門家としての意見を述べていたように思います。
其の結果が、つまりこの狙撃銃なのです。
残念ながら椎の実弾もライフリングも無い今の日本にある火縄銃では遠距離からの精密な射撃というのは難しいでしょう。
しかし、この銃は戦列を組み弾幕を張ることで最大限の火力としたマスケットと異なり、どちらかと云うと猟兵と呼ばれた狙撃を専門とした兵士の扱う銃に思想が似て、明らかに一般的な火縄より離れた距離から命中を期して射つことが出来るはずです。
『言われてみると確かにそうですね。
あの銃は狙撃銃だと思います』
『それに気づける発想力と、それを作り上げる技術力。
流石、紀伊に持ち帰りすぐさま紀州筒を作り上げた人たちは違いますね』
『確かに。
早い時期にスカウトしておいて正解でしたね』
『そうですね。
ところで姫様、一つお聞きしておきたかったのですが』
『何でしょうか』
『姫様はこの時代では珍しい鉄砲関係者を集め、鉄砲を作って居られるわけですが。
いずれ姫様は他家に輿入れする可能性も有るのでしょう?』
…やはり気になりますよね…。
『そうですね。その可能性はあります』
『姫様が組織された鉄砲衆は、他家に嫁いだ姫様に着いていくわけではありません。
彼らは今は姫様の元に居りますが、織田家の鉄砲隊なのですよね?』
『そのとおりです』
『万が一、備後様が代替わりしてご嫡男が後を継いだ時、外交姿勢が変わって嫁ぎ先と敵対関係になったとしたら、その鉄砲隊は嫁ぎ先に火を吹くことになりませんか?』
『通常敵対した場合、離縁されて家に帰されるのが習わしです。
しかし、私が離縁を断り相手がそれを受け入れたなら、そういう事になりますね…』
『ならば必要以上に鉄砲隊を強化するのは悪手ではありませんか?
以前、姫様が製鉄に関して今はまだその時ではないと仰っていた事、其のときはなぜやらないのか不思議に思っていたのですが、後から今話した可能性を思い出し理由を察したのですが、鉄砲もある意味同じことではないのですか』
『父信秀は史実だと早ければ今年辺りに亡くなる可能性があります。
私が色々と手を回したことで、今の所其の兆候はありませんが、安心は出来ません。
実際、今でも慢性的に過労気味で守護代の大和守家などとの調整に奔走し高ストレス状態の可能性もあります』
それを聞き佐吉さんが驚き目を丸くします。
『ならばこそ、姫様は自分の身を守ることを第一に考えるべきでは…』
『父信秀あっての私と言うところもあるのです。
以前佐吉さんが話していたように、私が自由に前世の知識を活かせて居るのはひとえに父信秀の容認と支援あってのことなのです。
嫁げば嫁ぎ先の家に従わねばなりません。
今ほど自由が効く保証は何処にもないのです。
そして、父信秀が未だ健在で元気に活躍している以上、父を常に勝たせ続ける必要があります。
父は勝ち続けているからこそ守護代家や国人らとの関係も上手くいっているのです。
だからこそ、未だ健在なのかも知れません。
史実では落ち目になってきたのに合わせるように急死していますから、失意で気力が萎えて亡くなったと言う可能性も有りますが、目障りに感じた何者かが暗殺した可能性だって有るのですから』
『…。
自分は歴史に詳しくはないですが、この時代勝つことが如何に重要なのかはわかります。
つまり、姫様は備後様が健在の限りは備後様が常に勝ち続けるために、先回りして勝てるように手を尽くしていると…。
そういうわけですか…』
『ええ。
それに、父がこの先も勝ち続けこの尾張を本当の意味で武衛様の下平定出来れば、私は父が言う通り他家に嫁に行かずに済むかも知れませんし。
それが私が鉄砲衆を先んじて組織している理由です』
『わかりました。
鉄砲隊の組織にはそれなりの時間と費用が掛かりますから、相手が使ってきたからと急遽揃えられるものでもありません。
だから、今のうちに先んじて、そして他家が使うであろう鉄砲より更に進んだ鉄砲の研究をされて居るわけですね…。
やっと、姫様の真意が理解できました。
ならばお抱え鍛冶である自分は、出来ることをやるのみです。
自分は姫様が何処に嫁がれても、ずっと付いて行くつもりですから。
一蓮托生です』
『ふふっ。宜しく頼みますよ。
そうそう、先日話をしていた鉄砲の図面を用意しましたよ』
そう云うと、用意しておいた図面を渡しました。
佐吉さんは受け取るとそれをじっくり眺めます。
『ふむ…。
先日話されていたとおり、中折式のシンプルな銃ですね。
こちらが火縄式のカートリッジですか…。
確かに、この形であれば恐らく後詰めのカートリッジ式火縄銃が出来るでしょう。
問題は先日話したように、カートリッジとこの銃の精度ですね。
これに関しては、正直プロトタイプだけであればヤスリで削って何とかしますが、カートリッジは旋盤を使わないと難しいでしょう』
『冷却材は秋まで待ってもらえれば何とか出来そうな気がします。
遠江の相良に高品質油が出る油田が有るので、そこの油を取り寄せることも出来るでしょうが、一度視察に行く必要があるかも知れません』
『ならば、姫様が自ら行くわけにはいかないでしょうから、自分が行ってきましょう。
化学は専門ではありませんが、石油製品は日常的に使っていましたし、何の知識もない者が見るよりは良いでしょう』
『行ってくれますか…。
一人でただ行かせるわけにはいきませんから、どうするかまた父と相談します』
『わかりました。
それでは、自分は当面は先日の田植え機の製作に携わります』
『はい、よろしくおねがいします』
田植え機ですが父が幾つか作るようにとのご要望なのです。
佐吉さんが帰っていくと、小次郎殿と滝川殿が入ってきました。
小次郎殿が話しかけてきます。この人は結構好奇心が強いようですね。
「姫様、ご教授お疲れ様にござります。
異国の言葉、初めて聞きましたが何とも不思議な響きにござりますな。
しかし、同じ言葉が度々出てきたり、言葉は違えど日ノ本の言葉と同じく言葉であるとなんとなくわかりましたぞ」
なんと、小次郎殿良い耳していますね。そこまでわかりますか。
「そうです。
異国の言葉は日ノ本の言葉とは違いますから、言い回しも異なりますが、同じ人が話す言葉です」
「いずれその言葉を実際に話す異国の人とも会って見たいものです。
一つまた見聞が広まったでござる」
滝川殿が半分呆れ顔で話します。
「まこと、小次郎殿は勉強熱心にござるな。
それがしも見習わねば」
「はっはっはっ、そう言われると気恥ずかしいかぎりでござる」
でも、滝川殿だって良くメモ取ってますし、勉強熱心だと思うのですけどね…。
佐吉さんは吉姫と一蓮托生の覚悟のようです。