第百三話 領地視察 天文十七年春
新しい田んぼも出来上がり、田植え前の最後の領地視察です。
『領地視察』
天文十七年四月中旬、新しい田んぼが完成し後は田植えを待つばかりという報せが来ましたので早速領地に行くことにしました。
今回は滝川殿、千代女さんの他に新たに側仕えとなった小次郎殿が加わります。
古渡の警護の武士や小者など総勢二十名で領地へ向かいます。
以前は数名で行っていたことを考えると、随分と人数が増えました。
父上はそれが普通だと云うのですがそうなのでしょうか…。
折角大勢の人数で行くので、田植え前の景気づけにまた酒の瓶を持っていく事にしました。
領地へ付くと乙名さんが出迎えてくれます。
「姫様、よくお越し下さいました。
すっかり新しい田の方も準備ができ、後は田植えするばかりとなっております。
田植えは来月を予定しております」
「新田開拓大儀です。
では、早速見せてもらいましょう。
新しい田の方で上手く行けば、それを旧来の田でも取り入れれば良いでしょう」
「はい、そのつもりでおります。
では、参りましょう」
乙名さんに伴われて新しい田の方に向かいます。
今日は私が領地に来るということで、陶工さんも来ております。
新しい田んぼに到着すると、既視感のある四角の田んぼが出来てました。
用水路の方も確認しましたが、しっかりときれいな水が流れており壁面が崩れたりということもありません。
既に底の方には水苔が生えていて健康そうです。
この時代は水が綺麗でいいですね。
「見事な田んぼです。
これならば田植え機も存分の働きが出来ましょう」
「はい、この様な田は初めて作りましたがこの形であれば田定規を転がすのも容易で、田植え機を使いやすいと思います。
旧来ある田んぼは地形に併せて田んぼを作っている場合が多いので、田定規や田植え機を使うには一工夫必要にございます」
「いずれ、田んぼの区画整理が必要かもしれません。
しかし、そうなると田の権利問題も持ち上がりましょう。
それについては、私に考えがありますからまたその時が来たら相談しましょう」
それを聞き乙名さんが驚いた表情を浮かべます。
「姫様、田の区画のやり直しは田植え機を活用するにはいずれ必要にございましょう。
しかしながら、それをすると田を一つに纏め切り直しをせねばなりませぬ。
そうなれば仰るように権利問題が持ち上がりましょう。
姫様がどの様な事をお考えかは分かりませんが、どうか手荒な事はご容赦を…」
そう目を泳がせながら答えるとお供の武士達に視線をやります。
私はそれを聞いてギョッとしました。
手荒な事ってなんですか…。
「乙名さん、手荒な事というとどのような事を言われているのか分かりませんが。
私が村人の為にならない事をしたことがありましたか?」
それを聞き乙名さんは目を白黒させた後、安堵の表情を浮かべます。
「失言にござりました。
姫様が我らの村の為に成らぬことなど一度として…。
皆が豊かな暮らしを送れて居るのも姫様のご尽力にございます。
私も村人も皆姫様を信頼しております故、存分になさって下さい」
「そうでしょう。
きっと村人皆の不満が起きない方法を考えてありますから、区画のやり直しをやるときは相談して下さい」
「はい。
姫様がそう仰ってくださるならば安心にござります。
早ければ今年の秋にでも区画整理をするかも知れませぬ。
あの田植え機を使いたいと希望する村人は多いのでございます」
「わかりました」
乙名さんは一緒についてきていた村人達と話を始めます。
やはり、区画整理は村人に取っては一番の関心事項ですから。
それはそうです、区画整理すれば検地も容易になります。
悪くすれば自分の田んぼが削られてしまうかも知れません。
かと言って今の田んぼでは田植え機を十分に活用できないでしょう。
恐らく、今度の新しい田んぼで田植え機を使えば自分の田んぼでも使ってみたくなるでしょう。
秋には区画整理という事に成るかも知れませんね。
乙名さんとの話が終わった私に陶工さんが話しかけてきます。
「姫様、先日来にございます。
土管の取り付けは図面通りに終わりましたぞ」
「用水路から田んぼへの水の引き込み、上手くいっているようですね。
土管の方は大丈夫でしたか?」
「はい、割れてしまうのではないかと不安があったのですが、不注意で割ってしまったものを除き、無事に使えているようです」
「それは良かったです。
土管は色々と使いみちがありそうなので、今後も使っていきたいですね。
今回はまっすぐのものだけですが、曲がったもの等もあれば良いかも知れません」
「有難うございます。
曲がったものにございますか。
では、今度一度作ってみてまたお持ち致します」
「頼みましたよ」
「はい」
今年は綿花も大々的に栽培のはずです。
この浜村以外にも栽培に適していると思われる幾つもの村で綿花の栽培が始まるはずです。
既に綿花の栽培法は乙名さんから去年の初栽培での情報も貰い、本にして父に渡しています。
この時代、既に識字率は意外と高く武士や乙名を務める位の立場であれば当たり前に文字を読むことが出来るので、書物にして渡すだけでも問題ないそうです。
今回の用事も終わりましたから恒例の宴会です。
持ってきた瓶を乙名さんに渡し、新鮮な海鮮に舌鼓を打ちます。
初めて領地へ同行した小次郎殿が話しかけてきます。
「姫様、それがしこの様な村は初めて見まする。
美濃は残念ながら戦続きという事も有り、貧しい村がほとんどにござった。
尾張に来て尾張の村々の豊かさに驚きましたが、この村は更に豊かにござるな。
見たこともない農具が色々とあるばかりか、村人みな肉付きも良く着物も綺麗なものを着て居るものが多く見受けられる」
そう言われれば、初めてきた頃は継ぎ接ぎだらけの着物を着ている人が殆どでしたが、今は継ぎ接ぎの無い着物ばかりですね…。
やはり現金収入が他の村に比べると多いのが良いのかも知れません。
「村の人には色々と協力して貰っていますから、村で出来たものが良い収入になっているのですよ」
小次郎殿は目を丸くします。
「それ程にですか。
しかし、そうであるならば村が豊かなのも頷けますな」
珍しく滝川殿が話します。
「小次郎殿、我が姫は稀有な御仁故、我らの常識は通用しませぬよ」
稀有な御仁ってなんですか。
私は思わず苦笑いします。
「稀有な御仁でござるか…。
確かに、そうでござるな。
領地に来て乙名と直接言葉をかわし、それどころか領地運営ばかりか農作についても話をするなどと、国人の姫でその様な御仁は殆ど居らぬでしょう」
滝川殿が微笑みます。
「そうでござろう。
拙者は姫様がそんな稀有な御仁故、ここでこうして側仕えをしておるのでござる」
小次郎殿もニッと歯を輝かせて微笑みます。
「やはり、この話を受けてよかった。我が父に感謝せねばな。
姫様の側仕えをしておれば大いに見聞を広められそうにござる。
聞けば姫様は農作ばかりではなく、寺では様々なことを教えられて居るとか。
これから楽しみにござる」
「はっはっは。
左様、拙者も姫様の側仕えを務め、随分と色々な事を学び申した。
これから、共に側仕えにござるが、よろしくお願いする」
「それがしこそ、よろしくお願いする」
二人が談笑している姿を見ていると、何とも頼もしく感じます。
いずれ二方とも、側仕えの役を終え一廉の武将として活躍する日が来るのでしょう。
その時は心強い味方である事を切に祈るのでした。
後は田植えを待つばかり、小次郎殿もいよいよお供としての役に就きます。