第十一話 身体を鍛えることにしたでござる。
吉姫は前年に絡まれたのに懲りて、自分の身は自分で守れるくらいには鍛えることにしたようです。
『武術を学ぶ』
また年が明けて天文十四年、吉は十一歳になりました。
年が明けたとはいうものの、例によって父は忙しくあちこちに出かけており、屋敷で偶に顔を合わせる程度。
今年は秋頃に三河で清田畷の戦いが有るはずですが、信広兄上はその後元気でおられるのでしょうか。少々気がかりです。
いずれにせよ、父もまた出陣の筈ですから、その折にでも兄の消息を聞きましょう。
さて、私はというとまた例によって手習いの日々を続けながら、寺通いです。
屋敷での手習いは、ここからその道の人を目指すのでもなければ、そろそろ教えることはないと、先生方が仰ってくれてます。
素人に毛が生えた程度ですが、琴も弾けますし、必要があれば辞世の句位は詠めるでしょう。礼儀作法も、他所様で恥をかかぬ程度ならば…。
屋敷での習い事については、これで一先ず一段落。
去年の夏祭りで絡まれた時のこと、あの折は白馬の王子様のお陰で事なきを得た。
しかし、女子とはいえ戦国時代、いずれ何処かに嫁いだとしても、いつ夫不在の家を守らなければならなくなるかもしれない。
つまり、自分の身は自分で守れなければならないと思ったのでござる…。
前世では護身術をたしなみ、暴漢を撃退する位のことは出来たのだが、先日は腕を掴まれたら動けなくなってしまった。
頭のなかでは何処をどうすれば無力化出来るという知識があっても、身体が動かなければ何の役にも立たない。
この時代の女子の武術というと、薙刀が一般的なのだろうか?
武術と言うのは、まずは一芸を磨けば他の芸にも通ずるところがある。
護身術はこの時代ではまだ全く未知の体術だろうから、稽古も難しいだろう。
しかし、まずは薙刀で体の基本を作れば、再び使えるようになる可能性がある。
兎も角、父に相談することにしたのだ。
父が屋敷に戻ってきた時、早速その話をすると身を守るくらいは出来たほうが良いだろうと言ってくれて、早速師匠を紹介してくれた。
紹介してくれた師匠は、なんと一番身近な女中さんでした。
なんでも、土豪の出の人らしいのですが、武芸を嗜んでいて、古渡の女中の中では一番の腕前で、生半可な男では敵わないほどらしい…。
全く知りませんでしたよ。
いつの間にか見かけなくなった乳母の人の代わりに、いつも世話を焼いてくれてる人ですからね…。
父曰く、才女だからその内それなりの家の家臣に娶らせるつもりだとか。
確かに二十歳過ぎ位に見えますが、見目も悪くなく気立ても良さそうなので良い奥方さんになるでしょう。
閑話休題、暫くはこの人に指導を受けることになりました。
幸い、身体は全く鍛えられてないかというと、寺通いとか趣味の木工細工が良かったのか、それなりに持久力と筋肉は付いてるように思います。
さて、いざ初日。いつもと雰囲気の違う女中さんが、練習用の木製の薙刀を渡してくれると、それでまずは素振りからはじめます。
正直舐めてました。身体が小さいのか非力すぎるのか、たちまち身体が悲鳴を上げだし、練習時間が終わる頃にはグッタリです…。
筋肉痛に全身が悲鳴を上げ、横たわる私の身体を濡れた手ぬぐいで拭いて、冷やしてくれながら、女中さんが最初はこんなものですよ。と温かい言葉を掛けてくれる。
こんな身体をしてたら、身体が動かないのは当たり前だろうと…。
痛感した練習初日だった。
兎も角、これからは寺通いをしながら、暫くは薙刀の練習が日課になる。
『吉姫の講義』
週二度の寺通いを続ける私ですが、ここ暫くは色んな人が集まるようになった広間で講義をし、精神修養の座禅を組み、和尚と色んな話をして帰るそんな感じです。
以前に比べると明らかに来る人が増えて、どう見ても子供じゃない様な人も居たり。
閑話休題、講義の内容はその日によりますが、中国古典を中心に、日本の過去の戦の話なんかを話したり。
やはり、戦国時代の武士なのか戦の話は好きみたいで、皆興奮して聞いてます。
源平合戦の話とか、南北朝の話は聞いたことが有るはずなんですが。
それとは別に、中国の古典などを活用しながら、国を纏め富ませることの重要性や、人の重要性、戦での心構えなども講義した。
特にいろんな故事を引いて教えたのは、晴信殿には悪いが、戦は五分の勝ちで上、七分の勝ちで中、十の勝ちで下ということ。
これについては異論が噴出したので、噛み砕いてどういう意味かを解説した。
すると、意外にも既に戦に出たことがある様な人は、理解できたのか仕切りと頷いて居たのが印象的だった。
反面、まだ元服もしていないような、血気盛んな子たちは、理屈では解るが、それでは戦は勝てぬのではないかという異論もあった。
更には人は石垣という話。
この時代は兎に角、人の命が紙のように軽い。
しかしどんな人間だろうと無駄な人は居らず、たとえ農民であってもしっかりと教育を受ければ優れたものは幾らでもいるという話をしたところ、特に和尚が常々そう思っていた様で、いずれ国が富めば、皆が教育を受けられる国にしたいと和尚は強く訴えた。
寺に来ているものたちは、家に戻れば何処かの領主だったり、その息子だったり、或いは半士半農だったり、みな思うところはあったのだろう。
和尚の訴えに感銘を受けた様子だった。
そんな感じで、私の講義は最初は兎も角、結果として教養を深めさせると同時に、啓蒙する事にも重点を置くようになった。
さながら大学の講義のように、時には自由に意見を述べさせ、或いはその場に居るものが話を受けて続きを語ることも有る。
参加するものたちも、元服前の者たちからそれこそ何処かの家の家老まで、家や身分を問わず訪れるようになった。
そんな楽しくも実用的な場となっていったのだった。
このことは、必ず回り回って父や織田家の力となるはず。
次は清田畷の戦いです。信広兄は無事なのでしょうか。
ちなみに吉姫は既に身長は大人と大差なく、見た目、雰囲気も大人びているので実年齢ではもはや見られません。
気づいて無いのは本人だけです。