閑話三十七 松平広忠 戦無き世
松平広忠視点の閑話です。
武衛様と信秀との会見です。
天文十七年四月 松平広忠
儂は三河へ向かう船上で波に揺られながら、清洲での武衛様との会見を思い起こした。
会見の為に用意された部屋で、武衛様、備後殿の二方と、儂の三人での会見であった。
儀礼的な挨拶もそこそこに、まず備後殿が吉姫が会見の折に話しておった街道整備の話をされた。
大勢の往来を可能とする広い道で、馬ばかりか大八車などでの移動も楽な平坦な道にする。
その途中の川も可能な限り架橋し、街道には定期的に治安維持の為に巡回も行う。
一定間隔ごとに道標を設置し距離の把握を楽にする他、宿屋町も道中に新たに設け野宿をせずとも安全な旅を可能にする。
他にも、街道が通る地の領主の役割や道作りの為の技師の派遣などその話は細部に渡り、吉姫の話には無かった具体的な話を聞かされた。
儂はその話に圧倒されつつも委細聞き漏らさぬよう注意深く耳を傾け、その話を後で忠俊ら政務に明るい者らに語って聞かせた。
武衛様は備後殿が話されておる間、口を挟むこと無くジッと儂の様子を見ておられた。
その怜悧な瞳は儂を見透かすようで、儂は内心肝を冷やしておった。
備後殿の話が終わると、武衛様が話の締めくくりとして領国を豊かにし民が飢えず暮らせるようにしたい旨を仰られた。
そのお顔は、それまでの威厳有る風とは打って変わって慈悲深き主君の顔であった。
儂は思わず平伏し懸命に励むことを誓った。
いずれにせよ、松平は武衛様に働きを見せねばならぬ。
矢作川の向こうに既に実績を残す優れたる統治者がおる故、見せぬわけにはいかぬのだ。
そう決意も新たにしておった所、武衛様がこれからの治世について話された。
曰く『余は守護として君臨はするが統治は守護代やその方ら国人に任せる』と。
尾張の守護はお飾りだと聞いておったが、目の前のこの御仁はとてもお飾りには見えず、威厳有る聡明な主君に見える。
統治せぬのならば神輿としてお飾りになると言うことではないのか?
儂は武衛様の言葉に違和感を感じた。
それが備後殿に伝わったのか意味を話してくれた。
『つまり。
武衛様は守護として我ら武衛様に臣従する者らに君臨する。
我らは武衛様を奉じ領民を安んじる。
領民らは我らに従い武衛様を奉じる。
ということでござる。
先の戦で多くの国人が武衛様に臣従することになったが、果たしてその相手が武衛様ではなく、織田や我が弾正忠家だったならば、それ程多くの国人が臣従したかどうか。
次郎三郎殿の岡崎にしても、臣従する相手が武衛様ではなく弾正忠家であればすんなり家臣らは納得したであろうか?』
確かに、武衛様なればこそ家臣らから不満が出なかったのだ。
守護どころか守護代の戦奉行に過ぎぬ弾正忠家が相手では納得出来ぬ者が少なからずおったろう。
しかし、だとしても結局は守護代や弾正忠家のお飾りであることには変わりないのではないか?
儂がそんな事を考えておったら備後殿が見透かしたのか言葉を繋いだ。
『次郎三郎殿、権威とは皆で奉じるからこそ権威なのでござる。
皆で奉じ奉じる者が増えるほどその権威は高まるのでござる。
権威が高まれば、その権威に更に多くのものが従い奉じるのでござる。
そこは神輿に似ておる所があり申す。
神輿は皆で担がねば転げ落ちてしまうし、担ぐものが少なければ小さい神輿しか担げぬ。
その神輿は弾正忠家や松平家では務まらぬということでござるよ。
権威無き我らが多くのものを従えようとするならば、力で切り従えていかねばならぬ。
力で切り従えるは覇道と言うが、その道は多くのものの血と涙に染まっておろう。
武衛様を奉じ我らが成そうとしておるは王道による戦無き世にござる。
何も日ノ本全てというような大それた事を言うておるわけでは無い。
無いが、せめて武衛様の領国は戦無き世としたいのでござる』
儂はそれを聞いて目からウロコが落ちた気分であった…。
儂はただ武衛様に平伏し励みまするとしか言えなんだ。
家臣らに会見の話を語って聞かせた所、皆儂と同じ反応であった。
忠俊がただ一言、『我らは井の中の蛙でござるな…』と。
武衛様や備後殿がいつの頃よりその様な事を考えて居られたのかはわからぬ。
わからぬが、儂はそんな事を真剣に考えておる御仁が居ることに驚きを禁じえなんだ。
世は乱れ、民は戦乱に苦しみ疲弊し田畑は荒れ果てて奪わねば食えぬ。
地獄のような世故、人の心は荒み目先の事だけしか見えぬようになる。
それは民百姓ばかりではなく武家国人も同じこと。
そんな我らに備後殿は夢を見せる。
儂は備後殿の話す戦無き世を見てみたい。
苦労人の広忠は戦無き世を願います。