第百一話 広忠殿との会見
広忠殿との会見です。
改稿しました。
『広忠殿との会見』
天文十七年四月、季節はもうすっかり春です。
月が変わると、父から聞いていたとおり三河の松平広忠殿が尾張を訪ねて来ました。
熱田でお会いするという話でしたので、到着の報せを受けると早速準備をして船で熱田へ向かいました。
熱田の加藤殿の屋敷に到着すると、三河からの一行は人質として出されていた子供たちと再会しているとの事で、広忠殿も竹千代君や於大さんと離れで会っているとの事。
私達は用意してくれた部屋で待つことにしました。
今日はどんな話をするのでしょうか。
歴女としては史実では若くして暗殺されたとも言われる、竹千代君の父と会うことが出来るというのは好奇心をくすぐられますが、亡くならなかった場合、また歴史が大きく変わりそうですね…。
少なくとも竹千代君はこれで長きに渡る人質生活は無くなりました。
広忠殿は兄信広と同世代でまだ若いですから、これから暫くは広忠殿が東三河の治世を担うことに成るのでしょうね。
東三河は度重なる戦で疲弊していると聞きますが、今の時点では周りは味方ばかりで当面戦の心配をする必要は無く内政に専念できるでしょう。
それは兄も同じですが、我が家も含め織田家は波乱含みの予感がするのです…。
そう言えば、柴田権六殿が家老になり勘十郎に付けられたと聞きました。
そして、佐久間半介殿も同じく与力として勘十郎に付けられと聞きました。
これまで私に付き合ってお供してくれていた二人は戦だったり多忙だったりと、最近少々疎遠気味でしたが、これでもうお供は無理になりました。
勿論、最初からそのつもりでしたが、少々寂しくなりますね。
もし、次戦があればいよいよ勘十郎も初陣という事に成るのでしょう。
商圏拡大を目的とするならば次は恐らく伊勢方面という事になるのですが、戦に成らない可能性もあるのですね。
取引自体は伊勢の湊にも既に船が行っていますし、商圏拡大の為に傘下に入るように求めれば、利もありますからあっさり乗ってくる可能性もあります。
かの長島一向一揆の長島城は今は伊藤氏が支配している筈ですが、服部殿と伝手のある願証寺とは敵対しているとも聞きますね。
そんな事をつらつらと考えていた所、屋敷の人が呼びに来ました。
加藤殿が会見用に用意してくれた部屋で広忠殿と会うことになります。
部屋に移動し暫し待つと、程なく兄くらいの年若い武士二人と、年配の武士の三人が入ってきました。
私の方は、いつもの滝川殿と千代女さんの三人です。
「お初にお目にかかる、松平三郎にござる」
想像していたのと違って、真面目で優しげな人物に見えます。
平成の御代の有名人だと向井某さんに雰囲気が似てるでしょうか。
「織田備後守信秀が長女、吉にございます」
「後ろに控えておるのが、家臣の大久保五郎右衛門、本多平八郎にござる」
二人が会釈してくれます。
なんと本多忠勝の父、忠高殿と会えるとは。
しかも、もう一人の年配の方も譜代の大久保忠俊殿ですよね。
正に歴史がそこにあるって感じですよ。
忠高殿は精悍な感じの青年ですが、雰囲気が忠豊殿に似てる気がします。
そう言えば、吉左衛門さんって討ち死にした事になっているのでしたっけ…。
父が多分何か考えているでしょうから、私は知らないことにしておきましょう。
「ご紹介頂き有難うございます。
尾張に見えられた機会に、私に会いたいと仰られていると父より伺いました」
「左様。
まずは、先ごろこの命を救って貰ったこと事有難く、感謝に耐えませぬ」
「何とかお助けすることが出来て良かったです」
「吉殿よりの書状も読み申したが、何故拙者に影守りを付けて下さったので?」
「岡崎と三郎殿の置かれている状況から推測すると、命を狙われる可能性があると思いました。
敵方ではありましたが、私が教えている竹千代君のお父上でもありますし、恐らく遠江の戦ではまた我らが勝つだろうと思っておりましたから、いずれにせよ岡崎とは和議になるだろうと。
今川は遠江からも手を引き、岡崎は今川の援助を受けられなくなりますからね。
竹千代君もその母の於大殿も三郎殿との再会を願っておりましたから、いずれにせよ和議がなるのであれば、暗殺を阻止しふたりの願いを叶えたいと思いました。
それで、私の読みが外れる可能性も勿論ありましたし、その阻止に失敗する可能性もありましたが、私の家臣は不可能を可能にする優れたる技を持ちますから、賭けてみたのです。
結果として、三郎殿をお救いすることが出来ました」
広忠殿は半ばあっけに取られて話を聞いていましたが、我に戻ると答えます。
「そ、そうでござったか…。
拙者自身はまさか命を狙われるとは思っておりませなんだ…。
しかし、言われてみればその可能性は確かに…」
「岡崎は追い込まれておりましたから、致し方ないでしょう」
広忠殿は驚いてジッと私を見据えます。
「…そこまでご存知だったので…」
「東三河は度重なる戦と敗戦で疲弊し孤立しているというのは兄から聞いておりました。
弾正忠家は西三河ばかりか三河南部も手中にし、その上東三河の国人や松平庶家の多くが織田方の味方になっておりましたから。
恐らくかなり追い込まれているのだろうと」
「確かに…。
その通りでござった…」
暗い顔をする広忠殿に私は努めて笑顔を見せると話題を変えます。
「三郎殿は暗殺で命を落とすこと無く、和議を結び武衛様の元、今や周りはお味方ばかりとなりました。
そして、親子三人再会を果たすことが出来ました。
私も、二人の願いを叶えることが出来て良かったです」
「そ、そうでござるな。
最早叶うまいと思っておりました、於大とも再会し、竹千代と三人で再び会うことが出来申した。
これも吉殿のおかげでござる。
しかし、なぜそこまで我が家を気にかけて頂けるのです。
我らは敵方でしたぞ…」
「竹千代君は優れたる資質を持つ子です。
将来きっと良き武将になるでしょう。
ならば今のうちから恩を売っておけば、将来助けて貰えると思いませんか?」
それを聞き、広忠殿はあっけに取られますが、意味がわかったのか笑いだします。
「はっはっはっ。吉殿も戯れが好きな方の様だ。
あ、いや、失礼。
では、そういう事にしておきまする。
どうであれ、拙者の感謝の気持ちは変わりませぬ故。
何かお礼がしたかったのだが、この様な物しか用意出来ませなんだ。
気に入ってもらえるといいが…」
そう言うと、懐中から袋に入った短刀を差し出します。
「無名ではありまするが、村正という腕のいい刀鍛冶の作にて。
良き品でござる」
滝川殿が受け取り、私に渡してくれます。
刀はよく分かりませんが、村正というと妖刀?!
とりあえず、頂いておきます。
「まあ、有難うございます。
有難くいただきますね」
「喜んで頂いて何よりでござる。
ところで、初対面で不躾でござるが…。
我らはまた岡崎へ戻り、疲弊した領地を復興せねばなりませぬ。
そして、より豊かにしたいと思っておりまする。
知恵者と噂される吉殿に何か良き助言などあれば頂きたく…」
うーん、一体何処から噂が広まっているのやら…。
そうですねえ…、まずは何をするにも先立つものが必要でしょう。
武衛様が父の助言のもと進めようとされている伊勢から駿府迄続く銭の道は言い換えれば大規模インフラ投資による公共事業です。
これは戦によって疲弊した地方を救済する側面も持ちますから、まずはそこのお話をするのが良いでしょうか。
「これから、武衛様の治められる尾遠参三国に今川の駿河は一つの商圏として大きく発展するでしょう。
武衛様は湊を整備して海運を盛んにするのと並行して、陸にも伊勢から駿府まで整備された道を作ろうとされています。
その中には橋を架けて移動を楽にするという事も含まれています」
広忠殿はそれを聞いて驚きます。
「その様な道を作れば、戦の時敵に利用され敵の進軍を早め補給を容易にするだけでござらぬか?
更には橋を架けるなどと自殺行為に思えまするが」
「戦がずっと続いているならば仰るとおり実現は自殺行為にも等しいでしょう。
しかし、今は駿河から尾張まで敵対している勢力は居りません。
勿論、北に武田、東に北条と依然攻められる可能性はあります。
ですが、道が整備されていれば後詰めの兵力を送るのもまた迅速に行えます」
広忠殿は何かに気が付かれたような表情をされます。
「確かに、それはその通りでござるな。
今や敵対している勢力は居りませぬし、万が一武田が南進してきても道が整備されておれば迅速に後詰を出せましょう。
現実に、今の尾張から遠江に至るまでの尾張勢の行軍速度は我らの常識を超えておりまする。
その理由がここに来る途中に通った西三河でわかり申した」
「はい。
尾張から安祥には既に道が出来ていますが、この道のお陰で尾張から安祥までの移動はそれ以前に比べ格段に楽に多くの荷物を短時間で運べるようになったと聞きます」
広忠殿が頷きます。
「岡崎はその経由地の一つとして大きく発展する素地があります」
「領内を通る道が整備されれば人の行き来も増え、関所の収入が増えるということですな?」
広忠殿は中々良い線を突いてきますね。これは有望かもしれません。
「三郎殿、関所は治安維持の為に今後も必要ですが、関銭は武衛様の治められる領内では段階的に撤廃されて行きます」
それを聞き広忠殿は驚きます。
「なっ、それでは実入りが大きく減り関所の維持も難しくなりまする…。
武衛様のご意向なれば従わぬわけにも行きませぬが、新たな火種となりまするぞ」
「三郎殿は竹千代君のお父上らしく聡明なお方だとお見受けします。
視野をもう少し広げれば、それの意味が理解できるでしょう。
先ほど仰られた様に、道が整備されれば人の行き来は増えます。
しかし、関所を通るたびに関銭を徴収されれば遠くまで行くことが出来るのはそれをすべて支払うことのできる、或いは免除されるごく一部のものだけになってしまいます。
三河の名産品を売りに駿府に自由に行けるようになったとしても、道中の関銭を用意できなければ三河の品を駿府には売りにいけません。
勿論、駿府には関銭だけあっても行けません。
駿府までは何日も掛かりますから、途中宿をとらねばならないでしょうし、その道中で食事もしなければならないでしょう。
他にも色んな経費が掛かると思います」
「…、確かにその通りでござるが…」
まだ不承不承という感じです。
「私が今話したことは大事な部分が含まれています。
三郎殿が先程仰られた人の行き来が増えるという所。
先程の例は三河からという話でしたが、例えば尾張からだとどうでしょう。
津島から駿府まで行商に出た商隊は、途中の街で売り買いを続けながら駿府迄旅をします。
途中、東三河の街道沿いに有る街や大きな城下町にも勿論立ち寄ります。
立ち寄った商隊は、それらの街で宿を取るでしょうし食事もするでしょう、それだけではない商隊が旅する上で支払われる経費の多くは途中の街に支払われるのです。
それは商隊だけではなく、例えば遠江から伊勢へお伊勢参りに行く旅人が居れば、その旅人も途中の街で宿を取り食事をするでしょう。
或いは、良いものがあればお土産に買うかも知れない。
ここまで話せば聡明な三郎殿の事、なにか見えてきたのではありませんか?」
じっと話を聞いていた広忠殿の表情が興奮気味に赤みを帯びる。
「うむうむ、見えてきましたぞ。
関銭を収入とするのではなく、より多くの人を通すことで、それらの人が途中で落としていくお金を収入とせよ、ということにござるな。
その考え方は商人の考え方にござるが、別に我らが商人の真似事をするわけでは無く、商人らが稼ぎやすくする場を整えることで、その運上金を税として納めさせる。
ということにござるな」
「そういう事です。
更にはよく商いをする商人の為に取引が多い街では商いの為の倉を用意する。
或いは、商人に限らず盗品は駄目ですが誰でも売りたいものを持ち寄って売ることの出来る場所を用意すれば、より多くの品物が集まるでしょう。
そこではそれこそ農民が作った採れたての野菜を持ち込んで売ってもよいし、狩人が毛皮を持ち込んでも良い。そこでは定められた金額以下の売上の場合は安い場所代だけで、運上金の徴収もしない。
そうすることで、そこで物を売った民が物々交換だけではなく、銭を得て、また得た銭で物を買って帰る。
いずれ領内では銭が普通に使われるようになり、物々交換は減り民は豊かになるでしょう。
民が豊かになれば豊かな暮らしを送るようになります。
つまり新たに物を買う者が増えるということで商人達は新たな客に対して商売が広がるでしょう。
商人たちが新たな客を得るという事は、商人たちが仕入れる品物が増えるということで、商人が仕入れを増やせば品物を提供する民はより多くの銭を得ることが出来るでしょう。
そして、多くの銭を得た民は更に豊かになりより多くの品を求めるようになる。
この様に需要と供給の環を銭が循環する事でその環は大きくなっていき、国全体が豊かになっていくのです」
「ふむ…。
そのような事、考えたことも無かったが、言われてみればなぜそういう事をこれまで考えもしてこなんだのか、とも思えるな…。
忠俊はどう見る」
「はっ。
理にはかなっておるように思いまする。
吉姫がここで殿に話されたという事は、備後様、更には武衛様がその様な政策を進められるということでもありましょう。
であれば、あちこちでそのような事が為されるのでしょうし、やらねばそこだけ沈むことにもなりまするな…」
「如何にも、儂もそれを考えた。
しかし、それらの事をやるとしても我らの領内は度重なる戦で余りにも疲弊しきっておる…。
我が家とて資金に余裕が有るわけでもない…」
「三郎殿、そこはご心配の必要は無いかと思いますよ」
眼の前の三人が驚く。
「そ、それはどういう策にござるか…」
「策も何も、これから駿河に至るまでの道を作るのです。
道を作るには当然大勢の人手が必要です。
その人手はそれぞれその道が通る地を収める領主に供出を求めることとなるでしょう。
領主は領民に賦役を求め、人手を集めるという事になるでしょう」
それを聞き広忠殿の顔が曇りだす。
「…恐らく、その様になるでしょうな…」
「ええ。
ところで、なぜ織田の勢力内での道整備があれほど早かったのかご存知でしょうか?」
広忠殿も後ろの二人も不思議そうな顔をします。
「…。尾張は豊かで人が多く、人が集めやすかったのでござろうか?」
「はい、それもあります。
しかし、それだけではありません。
賦役というのはご存知の通り年貢と同じく米や銭の代わりに人を出すという領民に課される税の一つです。
ですが、織田領内では従来の賦役の形では人を集めず賃金ありの出稼ぎとして人手の供出を村々に求めたのです。
出稼ぎで働いている間は食事も出ます、村ごとに働きを競わせ働きが良ければ追加で報奨も出ます。
怪我をしたら治療も受けられます。
そうすることで、村人達は喜んで参加し皆奮って働き、極めて短期間で道がみるみるうちに出来上がりました。
そして村人たちは臨時収入を得て良い正月を過ごしたのですよ」
三人共あんぐりという感じの表情です。
「そ、そのような事を…。
確かに、その様な方法であれば村人の士気高く道が早く出来上がったのは道理。
しかし、それは豊かな織田殿なれば出来たことでは…?」
「はい。勿論そうです」
三人は落胆する。
「しかし、忘れてはならないのは、この度の道整備は武衛様が行われる大普請です。
費用は武衛様から十分に出るのですよ。
領主達は、武衛様から受け取った費用で領民たちを集め人足として供出すればよいのです。
そうすれば、領民たちは収入を得てそれで疲弊した村を立て直すでしょう」
三人の表情が明るくなってくる。
「…そうでござったか。
それならば安心にござる。
しかし、そのような事をして費用を領主に配れば、領民に支払わぬ者も出るのではござらぬか?」
「ええ、その費用を自分の懐に入れることも出来るでしょうが、それでは領民たちの働きは目に見えて違いますから、働きですぐに解るでしょう。
あそこの領主は武衛様から頂いた費用を自分の物にしてしまったと。
そうなればその領主は領民から恨まれるでしょうし、評判は落ちるでしょうね」
「確かに、言われてみればそうですな。
すべての地域で道の整備を行うのでござるから、いわば横並び。
働きが悪ければすぐに分かりましょう」
「ええ。そういう事です。
武衛様の道整備を活用し、疲弊した村々が吹き返せば流民と化した民も戻るでしょう。
私の兄がやっている様に新たな耕作地を拓き直轄の村を作って新たな農法を試すのも良いと思います。
その際には、兄に助力を求めれば力を貸してくれると思います」
広忠殿ら三人は展望が開けたのか表情がすっかり明るくなりました。
「…ご助言忝なく…。
この御恩は必ず何かの形でお返し致す」
「はい、三河が見違えるほど発展するのを楽しみにしておりますよ」
「感謝致す」
広忠殿が平伏します。
後ろの二人も平伏します。
私は慌てて止めます。
「あわわ、止めて下さい。
そんな頭を下げられるような事はしていませんから」
「なんとも奥ゆかしい…。
確かに於大の言うとおりの御仁であり申した。
では、またお会い致そう」
時間の様です。
「はい、またお会いできる日を楽しみにしております」
こうして、広忠殿との会見は終わりました。
史実には存在しなかった、広忠殿の治世、どうなるか楽しみですね。
広忠殿との会見は無事終わりました。