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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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閑話三十五 松平広忠 親子再会

広忠視点の閑話です。熱田に到着しました。




天文十七年四月 松平広忠



船は風を受けて順調に進み、船乗りの言う通り二刻を経ずして熱田湊が見えてくる。

遠目に見える熱田湊は三河の大浜と同じく、埠頭には倉が立ち並び大型の船が幾艘も停泊しておるのが見える。

尾張にはここより更に大きい津島湊もあるのだ、その両方を弾正忠家が支配しておると聞くがその豊かさは底が知れぬ…。

和議を結んでおらねば、ここに辿り着くことも叶わなんだろうな。


そう、味方なればこそここに来れたのだ。


「…味方なればこそ…。か…」


儂は知らずそう呟いておった。


それを聞いた忠俊が話しかけてくる。


「殿…。

 そうご自分を責めなさるな。

 拙者は殿を岡崎にお迎えした者の一人でござるが、致し方なかったのでござる。

 織田との長き敵対関係も今川への臣従も殿が望んだ事ではござらぬ…」

 

そうだ…。

儂は何一つ自分で決めたわけではない。

だが、本当に自分で決めることが出来なかったのか?

寧ろ自分で望み決めたことなれば、悔いることはあっても納得はしたろう。

それと同時に、以前と比べ格段に気持ちが軽くなったのもまた事実なのだ。

自らの決断の結果としての閉塞感であったのであれば、ここまで気持ちが軽く成ることもあるまい…。

儂は岡崎につれて戻された時より、既に閉塞感の中にあったのだ。


父が尾張を攻め守山で家臣の手により横死した。

恐らく父と不仲であった一族の信定の謀略であったのでは無かったかと儂は後で話を聞きそう思ったが、父は英雄であったが時に家臣に辛く当たることもあったそうであるから、恨みを買っておったのかもしれぬ。

その信定も儂が岡崎に戻って程なく死んだ故、真相は解らぬ。


父が横死し、西三河の国人や一族の者らは先代より飛ぶ鳥を落とす勢いで伸長してきておった尾張の新たな若き英雄であった備後殿に靡き、信定もまた備後殿に臣従しておったのかもしれぬ。


今川に助力を頼んだのは幼き儂を連れ出した阿部正澄と儂の烏帽子親を務めてくれた吉良持広であったが、既に尾張の織田とは父の代に攻めた故敵対関係にあり、更に織田に西三河の多くを取り込まれており、最早我等は独力では持たなんだのだろうからそれは致し方無い…。


儂が岡崎に入った時には既に織田と敵対し今川に従うという形はできておったのだ。


その後、安祥を奪われてしまいさらなる支援を求め駿府に使いに出しておった叔父の信孝を、信定の時に遺恨のあった家臣らが排除すべしと留守の叔父の城を攻め追い出す事になった。

あのときも儂はまだ若輩であった故にと言い訳をする事もできるが、家臣らを抑えることが出来なんだ。

結局、叔父は安祥へ行き信広殿に仕えることになった。有力な味方を敵としてしまったのだ…。


妻の於大の生家であり同盟関係であった水野氏が代替わりし、織田に鞍替えしたのもあの頃であったが、今考えれば先見の明があったのやもしれぬな…。


それから儂は家臣らの期待を背に安祥奪還の為の兵を度々起こしたが、結局は信広殿が守る安祥に一度も勝てず民は疲弊し味方が減っていき益々追い詰められていった。

閉塞感打破の為、今川にさらなる援助を求め人質に竹千代らを差し出したが戸田氏にも裏切られ竹千代らは織田に引き渡された。

面子を潰された今川は直ちに動いたが、織田も戸田氏の救援要請を受け直ちに動き、見事救援を成功させた。

これにより、三河での風向きは変わりだした。

三河南部を制した織田は遠江と国境を接する事になり今川と直接やり合う様になった為か、我らに和議の申し入れがあったのはその頃であった。

儂はあの時、和議に大きく心が動いた。

しかし、既に岡崎には今川から送り込まれた今川家の家臣らが居り、鵜殿氏ら親今川の家臣らが反対し更には既に人質を駿府に送っておる家臣もおり、和議は見送ることとなった。

そこでも儂は決断出来なんだのだ…。


結局、儂は最後の最後で今川からの出兵要請を渋った挙げ句命を狙われ寸前で命を救われ、ここに至ってやっと今川家臣や今川派を一掃出来た。

遠江でも武衛様を奉じる織田は義元殿を捕縛して勝ち、その為今川は三河どころか遠江からも手を引く事となり、漸く我等は織田と和議を結べたのだ。

思い出せば、信広殿にせよ備後殿にせよ儂は憎くて敵対しておったわけではなかった、儂が来たときには既に敵対しておったのだ…。


故に和議が決まり敵対する必要が無くなった途端、気持ちが軽くなったのであろう…。


だが、ここに至るまでに多くの家臣や領民らを失った。

詮無きこととは分かっておっても、儂がもっと早く和議を決断しておったら、死なずに済んだ者らがおったかもしれぬ…。そう考えずにはおられぬのだ。


味方なればこそと言い訳し、長きに渡り殺し合いをしてきた相手を客人として訪れる。

なんと我が身の軽薄なことよ…。


「…儂は、この軽薄な自分が許せぬのだ…。

 客人なればこそと言い訳し、ここまで来てしもうた。

 大勢の家臣領民を死に追いやりながら、自分はその敵に客として訪れる。

 和議を結んだことで気持ちが軽くなったと感じる自分が許せぬのだ…」


儂は傅役とも言える腹心の忠俊に、はからずも心の内を吐いてしまった。

他の家臣には聞かせられぬ泣き言よ…。


「殿…、殿一人にそれらを背負わせたるは、殿を担ぎたる我ら年長の大人の責任…。

 死んでいった家臣らも領民らも殿を恨んでは居りませぬ。

 殿が岡崎に戻られたあの日を思い出してくだされ。

 家臣、領民らが涙して迎えたあの日のことを。

 やっと殿の望まぬ戦を終え、和議を結べたのでござる。

 お味方なればこそ、これからの東三河発展のために力を借りれば良いのです。

 その為に我らは尾張を訪れているのでござるから。

 殿はまだ若うござる。

 これからは存分に為されませ。

 三河がどれほど変わるのか拙者は楽しみにござりまする」


「忠俊…。済まぬ…。

 さて、熱田は目の前。

 亡くなった者らの遺志を無駄にせぬ為にも励むとしよう」


「はっ」




熱田に降り立った我らは、その町並みに圧倒される。

そこかしこから聞こえてくる槌音にさらなる発展をするのかとその活気に更に圧倒される。


到着を知らせる人を遣ると、すぐに熱田の豪商加藤氏の家の者が迎えに来た。


道中迎えの者に熱田の事について聞くと、商いが急速に大きくなっている為大急ぎで拡張しておるとのことだった。

なんでも、熱田から駿河にそして駿河から熱田に商人がそれぞれ進出するとの事で、駿河でも今頃大賑わいの筈だとの事だ。

今川は先の敗戦で痛手を被った筈であるが…。


熱田の町並みは流石に門前町であり、町中に入ると彼処に熱田に纏わる品が売られていたりと熱田神社に参る人の為の宿なども軒を連ねておった。

津島も元々は津島神社の門前町が前身であったと記憶しておる。


加藤殿の家は湊からもほど近い所にあったが、その屋敷たるや城であった…。


「殿、これではまるで城でござるな…」


「うむ、堀もあるし平城と言っても差し支えなかろう…」


重厚な門を抜けると、屋敷に案内された。

その屋敷も豪商らしく贅を凝らしたもので、質実剛健の三河武士の屋敷とは明らかに趣を異にしたものであった。


客間に通されると、程なくこの屋敷の主人の加藤殿がやってくる。

この加藤殿は商人ではあるが、備後殿の家臣でもあり戦に出ることもあると聞く。


「加藤図書助にござる。

 この度はよくおいでくださりました。

 話は備後様より承っております」


「松平三郎にござる。

 この度は世話になりまする。

 我が嫡男ら三河の子達を預かって頂いて居ると聞きまする」


「はい、備後様より頼まれまして、客人として滞在して頂いております」


「誠に忝ない。

 ここで伝手が出来たのも何かの縁、今後もお見知り置きくだされ」


「こちらこそ、商人なればこそ縁は大事にします。

 いずれ岡崎にも店のものを行かせましょう。

 何かお力になれる事があるやもしれませぬ」


「おお、是非おいで下され。

 東三河は長き戦で疲弊しており、色々と入り用で御座れば」


「それは楽しみでござりまするな。

 では、旅でお疲れでしょうが、ご子息らとお会いになりますか?

 今宵はこちらにて一泊していただきまする故、宿の心配は無用にございます」


「忝ない。

 では、早速でござるが子らに会わせてもらえまするか」


「承りました。

 では、あちらの庭にお連れしますので、そちらでお待ち下さい」

 

儂らは供の者に手伝ってもらい旅装束を解き、衣服を整えると庭へと出た。


程なく、加藤殿に伴われて久方ぶりの子らが連れられてきた。

我らの元を離れまだ半年ほどのはずであるが、随分と身違って見えた。

 

竹千代がまず儂の前に来る。


「父上…。

 久方ぶりにござります。

 父上にまたお会いできる日を楽しみに、毎日勉学に武芸に励んで居りました。

 こんなに早く再び会うことが叶い、望外の喜びにございます」


「竹千代…。

 久方ぶりであるな。

 息災そうで何よりじゃ。

 於大も居ると聞くが、息災か?」

 

「はい。

 母上もあちらの離れにて父上をお待ちしております」


「なんとそうであったか」


家臣らを見やると。


「殿、我らも子らと積もる話もありまする故」


「うむ、そうであるな。

 では、儂は竹千代と共にあちらの離れに行くとする」

 

家臣らと別れると、儂は竹千代に連れられ離れに向かった。

離れに入ると、そこには於大が待っておった。


於大とは別れて三年になるが、よもや再会出来るとは思わなんだ。


「於大…」


「三郎様…」


「苦労を掛けたな…」


「言わないで下さいまし。

 三郎様のその後のご苦労は水野の家に居ても伝え聞いております…」

 

「済まぬ…。

 そなたにも竹千代にもつらい思いをさせた。

 だが、こうして三人また会うことが出来た…」


「お前さま…」


「ちちうえ」


三人で抱き合い、再び会えたことを喜びあった。


「於大、儂は再びそなたを迎えたい」


「三郎様…、嬉しゅうございます」


「一度、水野の家に戻って後になるが。

 秋までには再び岡崎へ輿入れしてきてもらうつもりじゃ。

 また、竹千代と共に暮らそうぞ」

 

「はい。その日を楽しみにしております」


「父上、竹千代は父上と岡崎に帰るのですか?」


「於大を岡崎に再び迎えた後に、父はまた迎えに参る。

 今はまだ準備が整っておらぬのだ。

 竹千代が居った頃とはまた事情が変わっておる故」

 

「はい。竹千代ももう暫しここで勉学に励みたいのです。

 まだあの変わり者の姫から学ぶことがあるのです」

 

「吉姫か…。

 そんなに変わっておるのか?」


「変わっておりまする。

 姫なのに姫らしいことを全くせず、学問を教えたり物を作って売ったり。

 武士の娘とも思えませぬ」


「…ほ、ほう…。

 確かに、少し変わられておるようだな…」


齢十五とか聞いたが…、輿入れ前の姫が姫らしいことを全くせぬとは…。

備後殿は如何考えておられるのか。

しかし、信広殿の言葉も気にかかる。


於大が見かねたのか吉姫の事を話す。


「お前さま、吉姫様は確かに姫としては少々変わっておいでですが優しいお方です。

 ただ、とても年齢相応とは思えませぬ。

 見た目も年齢相応には見えぬのですが、話したり話していることを聞いていると、私よりずっと年上の様なそんな気にさせるのです。

 そう、まるで叔母様位でしょうか…」

 

「於大の叔母というと三十過ぎであったか、そんなに落ち着いて居るのか?」


「はい。

 落ち着いていると言うか思慮深いというか、何を考えて居られるのか底が見えません。

 

 加藤殿が用意したあちらの離れで子らに学問を教えて居るのですが、私が学んだことも無いような事を教えております。

 竹千代、父上に教科書をお見せして」


「はい、母上」


竹千代が書架から一冊の本を出して来て手渡してくれる。


何々、『算数初等教育』とな…。唐国の言葉か?


中を開いてみると、これは…。


綺麗な文字で書かれておる読みやすい書物であるが、この文字は何だ?

見たことがない文字であるが…。

これは…、数字か。なるほど…。

しかし、何故漢字の数字があるにもかかわらず、わざわざ別の数字を使って居るのだ。

何故縦では無く横に書いて居るのだ…。

ふーむ、ちょっと見ただけでは解らぬな。


しかし、これが数え十五の者が書いたとはとても思えぬな…。

この後、本人と会う予定になっておるが、どんな御仁なのであろうか…。

まるで想像もつかぬ。







やっと親子の再会です。

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