閑話三十四 松平広忠 熱田へ
安祥から大浜へ、そして熱田へ船旅です。
天文十七年四月 松平広忠
安祥を出立し、信広殿が付けてくれた案内の武士に伴われ南に向かうと大浜の湊に到着した。
驚かされたのは、西三河の道がかなり整備されていることだ。
安祥より大浜の湊迄の道は重要街道であるので、将来を見越して特に整備したと説明を受けた。確かにこの道は広く馬が走っても道を外れて避ける必要が無いほどの広さがある。
しかし、それ以外の道も東三河の主要街道ほどの整備が為されており、安祥から尾張への街道はこの大浜まで進んできた街道と同じくらいの整備が為されて居るとの事だ。
近年の尾張勢の移動が我らの常識を超えて速いと思っておったが、これが理由であったか…。
我らが戦に明け暮れて居る間に、川の向こうではこれ程の事が進んでおったとは。
西三河の実態が知れるほど儂や家臣らは打ちひしがれる。しかし、それと同時に東三河を西三河と同じどころかそれ以上にしてみせようと励まねばならぬ気持ちが湧き出てくるのだ。
大浜の湊、この湊に来るのは初めてであるが、大きな倉が幾つも立ち並び、商家は勿論宿屋まである大きな湊町であった。
東三河にも南部に御馬と吉田という湊があったが、ここまでの規模の湊ではなかったように思う。
その御馬も吉田も備後殿の戸田救援の時に安祥の勢力下に収まったのであるが、いずれ東三河の安祥配下は岡崎へ戻すと備後様は言われておったが、そのためにも武衛様に備後殿の言われる働きを見せねばならぬのだろう。
「殿、凄い湊にござるな…。
あちらの埠頭の方には見たこともない大きな船が幾艘も停泊しておりまするぞ…」
整備された町並みに目が奪われておった儂は家臣らに言われて埠頭の方に目をやると、儂が見たこともない大きさの船が幾艘も停泊しておった。
案内の武士に問うた所、あれは津島や熱田湊からこの大浜に定期的に来ておる尾張の船とのことだ。
なんでも、今は毎日船がそれぞれの湊を往復しておるとかで、その船を運行しておるのが尾張の服部党という水軍で船は備後殿の所有されておる船だそうだ。
弾正忠家は豊かだと聞いておったが、正直儂には想像もつかぬな…。
西三河が急激に発展したのもやはり弾正忠家の後ろ盾かあってこそか。
儂ら一行は案内の武士に色々な話を聞きながら、埠頭に停泊する大きな船の一つに案内された。
この船が備後殿が儂の為に仕立ててくれた船だとのことで、これに乗ればそのまま熱田へ運んでくれるらしい。
案内の武士に礼を言うと、儂らを待っておった船に早速乗り込む。
大きな三角の帆を持つ変わったこの船は、最近尾張で流行っておる船だそうだが、まだ備後殿しか持っておらぬらしく、必要に応じて貸しておるそうな。
儂らが乗り込んだ船は、離岸すると風向きを気にすることもなく海を走り出し、一路熱田湊へと向かう。
船は波を切り裂くように進み、心地よき浜風が顔を撫でる。
空を見上げれば春の空がどこまでも続く。
「船に乗るのは久方ぶりであるが、この船は随分船足が早いな」
「そうでござりまするな。
拙者も、船に乗るのは久方ぶりにござるが、こんなに早くはなかったかと記憶しておりまする」
「陸を普通に進めば熱田までは二日は掛かるが、すぐに到着しそうであるな」
「船乗りの話では二刻も掛からぬと言っておりました」
「ほう、それ程にか。それ程なれば船を重視しておるのも頷ける」
「左様でござりまするな。
普通に考えれば到底無理であろうと思えた戸田救援も、恐らくは船を使ったのでござりましょう」
「であろうな…。
船であれば物見にも掛からぬからな」
「確かに、戸田へ救援に行ったのは安祥かと思っておりましたが、安祥であればそれなりの軍勢を率いて動けば判りまする故…」
「うむ…。
これほどの相手と戦をしておったのか…」
「殿、今はお味方ですぞ。
敵であれば恐ろしき相手も、味方であれば心強うござる」
それを聞き、儂はふっと気持ちが楽になる。
「そうよな、味方なれば心強い」
儂はそう返事をするとまた海を眺める。
味方なればこそ、客人として熱田へ、我が子の顔を見に行くことも出来る。
そう思えば、この海の向こうに竹千代の顔がふっと浮かんだ。
その顔は笑っておった。
西三河を進めば発展の違いが否が応でも目に付きます。