閑話三十二 織田信秀 吉左衛門の孫
織田信秀視点の松平広忠来訪前の話になります。
天文十七年三月末 織田信秀
三月も末になって、やっと戦の後始末や論功も済んだ。
中でも高天神城で功績のあった柴田権六を家老に抜擢し、元服し那古野城の城主となった勘十郎の家老として那古野に付けた。
権六は不満そうであったが、那古野の監視も兼ねるのだと真意を話した所納得した。
吉のお供について回ることもこれで無理になるが、いつまでもというわけにはいかぬからな。
併せて、今療養中の佐久間半介も与力として勘十郎に付けた。
次に戦があれば勘十郎は那古野勢を率いて参陣をする事になろう。
来月、三河の松平広忠殿が尾張を訪ねて来ることになった。
よもやこの様な日を迎えることが出来るとは思わなんだが、広忠殿が来るまでに片付けて置かねばならぬ事が一つあった。
吉左衛門殿の事であるのだが、今は吉左衛門を名乗っておるが元は本多平八郎忠豊殿である。以前の戦で縁あって家臣としたのだが、三河では討ち死にした事となっておる。
既に嫡男の忠高殿が家を継ぎ、広忠殿に変わらず仕えておるのだが、側近故共に尾張に参られるかもしれぬ。
それとは別に、もはや松平は味方で戦をする事も無かろう、ならば真実を明かしても良いのではないかとも。
忠高殿には今年嫡男が産まれたとも聞く、孫の顔を見たいと思うのは親心であろうからな…。
ともかく、一度本人に話をせねばならぬ。
儂は同じく古渡に住んでおる吉左衛門殿を呼ぶと、その辺りを聞いてみることとした。
「吉左衛門殿。先の遠江の戦ではまた勝幡城で留守居役を頼んだ故、戦には参加して居らなんだが、戦勝は勿論聞き及んでおると思う」
「はっ、聞いておりまする」
「そして、三河の松平広忠殿とも和議をし、武衛様に臣従することとなったのは聞いておるか?」
「はっ、伝え聞いておりまする。これにて遠江に至るまでお味方になったと聞きました」
「うむ、その事よ。
そなたは今は我が織田の侍大将として良き働きをしてくれておるが、元は広忠殿の家臣であり、三河では討ち死にした事となっておる。
本多の家は既に嫡男の忠高殿が立派に継がれ、広忠殿の腹心となって居られる。
先の吉田城での和議の申し入れの際に、広忠殿に同行した家臣の一人として来ておった。
直接話はせなんだがな」
「はっ」
「それで、吉左衛門殿は如何したい。
儂は今後も少なくとも儂が現役で居る間は我が家臣として働いて欲しいと思っておる故帰参は認められぬが、生きておる事を明かして孫の顔を見てやってはどうかと思うのだ」
「拙者に孫が出来たのでござるか…」
「うむ、今年の一月頃に忠高殿の嫡男が誕生したと報せを受けておる」
「そうでござるか…、拙者に孫が…」
「そなたを討ち死にした事にして家臣としたのは儂。
そなたは立派に役目を果たした後、家臣や兵らを帰す為に儂に降ったのだ。
何ら恥じる所は無いと、儂は思っておる。
それでだ、来月広忠殿が尾張を訪れる。
熱田で預っておる子息と先妻に熱田で会うのだ。
その後、清洲で武衛様と儂と会見することになっておる。
恐らく、それに忠高殿が随行するだろう。
熱田とこの古渡は近い故、古渡で忠高殿と対面の場を用意する故、会ってはどうだ。
その時には儂も同席しよう」
「殿にそこまでして頂いて否はありませぬ。
この吉左衛門、殿に感謝致しまする。
もとより、拙者ももはや松平に帰参するつもりはありませぬ。
このまま、働ける限りは殿にお仕え致しまする」
「うむ。それを聞いて安心した。
やはり孫の顔を見たいと願うのが親心であり、親に我が子を見せたいのが子の心。
生きておるのに会わぬ道理は無い故な」
「殿の温情、痛み入りまする…」
「では、また日取りを知らせる。
孫に渡す手土産など準備もあろう故な」
「はっ、楽しみにしておりまする」
これで、広忠殿を迎えることが出来るな。
水野の娘は夏前には一度水野に帰す事になっておるし、これで三河も片付く。
信秀視点で戦後の論功の話と、本多忠豊の話が片付きました。