第九十八話 農業改革事始め
準備していた諸々の物を領地に持ち込みます。
『竹千代君への吉報』
天文十七年三月中旬、鉄砲試射の翌日熱田の学校に行きます。
船で行けばすぐという立地もあって週に一度か二度ほど午前中に教えに来ているのですが、当初私一人で始めた学校ですが今や講師が丹羽万千代君以外にも寺から先生が来てくれていて助かってます。
小学校二年程度迄の教科書は作ったのですが、それ以降については何処まで教えたものか悩ましい所なのです。
閑話休題、今回は竹千代君に先日の父の話を伝えるという大事な用事があるのです。
事前に終わったら話があると言う事を伝えていますので、授業が終わると竹千代君親子が住む離れに向かいます。
「吉姫、話というのは何じゃ。
もしや…、先日の手紙の返事が来たのか?」
竹千代君の目がキラリと輝きます。
「返事では無いのだけど、近い内にあなたのお父上に会えるでしょう」
竹千代君が驚きの声を上げます。
そしてそれまでニコニコ竹千代君を見ていた於大さんが真剣な表情で聞いてきます。
「それは…。
もしや松平と和議が?」
「はい。先の遠江での戦勝の後、広忠殿より和議と臣従の申し入れがあり、武衛様に臣従される事になりました。
これからは松平は味方になりますのでここに居る三河よりのお客人の皆さんにも郷里から縁者が来るでしょう」
「なんと、そうでしたか…。
私の事は何か聞かれていませんか?」
「於大さんは広忠殿が再び迎えたいとの事で、一度また水野の家に戻り後に水野の家から広忠殿の所に再度輿入れという話で私の父が動いてくれております」
「…また元のように竹千代と広忠殿と暮らせるのですね…」
「はい」
それを聞き、嬉しさで言葉が出ない竹千代君を於大さんが抱きしめます。
「またお父上とこの母と共に暮らせるのですよ」
それまで溜め込んでいた感情が弾けるように二人で抱き合いながら嬉しさのあまりすすり泣きます。
なんだか私も目から汗が止まらないので、この場は退散することにします。
「於大さんが水野家に戻る前には広忠殿が訪ねてくるらしいですから、またいつ来られるのか報せがあったらお知らせしますね。
では、私はこれで失礼します」
そう言い残すと、離れを後にしたのでした。
『農業改革事始め』
天文十七年三月下旬、田植えシーズンも目前となり諸々の準備も整ったので領地へ向かうことにしました。
今回は前に頼まれていたので権六殿と半介殿にも声を掛けたのですが、権六殿は戦の後始末が未だ終わらず、半介殿は先の戦の時に大怪我を負いまだ療養中との事で…。
権六殿は今や家督を継いで一族の当主ということもあり、共に戦に出た領民達に帰れぬ者が出ると色々と戦後のケアがあるそうです。
今回一緒に領地に向かうメンバーは中々の大人数です。
いつもの滝川殿と千代女さん以外に土管を運んできた陶工さんとその弟子達、そしてお抱え鍛冶の清兵衛さんと佐吉さん、更には見学がてら手伝いたいとの事で鈴木殿と鈴木党の皆さん、総勢百名を超える人達で領地に向かいました。
事前に乙名さんには知らせていましたが、本当に大勢の人が来て驚いてます。
「姫様、年始以来にござりまする。
今日は大勢連れてお見えになりましたな」
「はい、今日は去年お伝えしていた新しい農法に使う道具等を持ってきました。
更には伝えていたとおり、試し用の田んぼを新たに作りますから、それの手伝いに鈴木党の人が来てくれました」
「紀州より来ました鈴木にござる」
「これはこれは、よくおいでくださいました」
乙名さんはそうは言ってますが、村人は知らない人が沢山来たことでちょっと緊張気味のようです。
「では、早速始めましょうか。
先に新たに田んぼを作る場所に案内してください」
「はい、ではこちらに」
乙名さんが村の田んぼの近くの草原だった所を指さします。
「こちらにございます。
既に村の者たちと田んぼを予定している場所の邪魔な物は取り除いてあります」
村長さんは村の人でやるつもりだったのか、段取り良く進めてくれていたみたいです。
「それは大儀でしたね。
この場所にあそこの川から溝を掘り農業用水路を作り、その用水路から土管を使って新たに開いた田に水を取り込みます。
絵図面はこちらの方に描いてきましたので、これをみて陶工さん達や鈴木党の人たちと協力して田を拓いてください。
この土管はその陶工さんが今日のために作ってくれたものです」
私は運んできた大量の土管を指さします。
乙名さんが一つを手に取り、しげしげと眺めます。
「この筒の様なものが土管なのですな…。
確かにこの筒を繋げば水を通すのが楽そうに見えまするな」
「ええ、今回初めて作って初めて使う物なので、上手く使えない場合もあると思いますが、何度か試せば使えるようになると思います」
「さて、では一度村に戻って新しい農具の説明をしましょう」
そういうと乙名さんや同行の村人の表情がパッと明るくなります。
村まで戻ると、新しい農具を見せます。
「これが草刈機です。
以前作った耕運機に取り付ける部品になります。
草刈りする時、ここにこの様に取り付けることで草を刈りたい所を走らせるだけで草刈りが出来ます」
そう言うと、草刈機を使ってみてもらいます。
「ほう、これは楽ですな。
この刃の付いた筒を転がすだけで面白いように草を刈ることが出来ます」
「そうでしょう。
手入れを怠れば使えなくなってしまいますが、しっかり手入れすれば長く使えましょう」
ちなみに、除草パーツは刃を上下の円盤に斜めになる様に取り付けて円筒になるようにした物で、転がして使います。
「次は、この田植え機を使ってみましょう。
佐吉さんお願いします」
「はい」
佐吉さんが用意してもらっておいた試し用の田に田植え機を持ち込むと、また藁で作った束をセットし動かしてみせます。
田植え機を押して進めるとカラクリで動く爪が上下してバインダーから稲を一つ取ると田に植え込みます。
厳密には爪は二つで二条を同時に植えることが出来ます。
初めてみる人達が文字通りポカンとしている前で、あっという間に二列植えてしまいました。
乙名さんが驚きます。
「姫様、このカラクリは凄いですな。
まさか田植えをしてくれるカラクリが作られるとは想像もしませんでした」
「そうでしょう、これがあればきつい中腰の仕事が減るでしょう。
この田植え機を入れる前に、こちらの田定規と呼ぶ格子の入った筒を予め田に転がしておくことで、真っ直ぐ稲を植えていくことが出来ます。
そうすることで風通し良く日も当たりやすく、そして草刈りなどがしやすい正条植えの田んぼを簡単に作ることが出来るのです」
「正条植えは姫様から話を聞いた時、正直どの様に植えようかと村の者と相談しておりましたが、まさかこの様な物をお持ち頂けるとは」
「これがあれば、村の者の手が更に空いて他の事もできるようになるでしょう。
今年の秋は石鹸とは別に油を作って欲しいと考えているので、更に手が空くことを期待しておりますよ」
「油にございますか。
承知しました。
圧搾機の使い方にもすっかり慣れ、村人たちも木の実集めも上手くなっております。
またどの様な木の実を集めてくるのか教えてくだされば油をご用意できると思います」
「はい。
宜しく頼みましたよ。
それでは新しい田を作る前に、農業用水路を作って下さい。
また完成したら知らせて下さい」
「はい。
また形になったらお報せします」
そしてその後は持ち込んだお酒に新鮮な魚介で恒例の宴を催して今回の領地訪問は終わったのです。
また、農業用水路が完成したら来なければなりませんね。
一先ず今回は新たな田んぼ作りの差配と、新兵器の説明でした。