第九十六話 佐吉
佐吉さんとの会見です。
『佐吉』
天文十七年三月、鍛冶の佐吉さんと翌日会見する約束をした夜、私は気持ちが高ぶっているのか眠れぬ夜を過ごしました。
私は佐吉さんに対して一つの確信を持っていたが、それをその口から聞いてしまうと私は後悔することになるような、そんな予感がしていたのです。
翌日、約束通り佐吉さんが屋敷を訪ねてきました。
私は予め用意してあった一室に通すと、人払いをしました。
今日の会見は、私の予感が正しければ今回ばかりは他の人に聞かれると拙いと感じていたのです。
普段なら同室していなくとも、聞き耳を立てていることが多い、千代女さんも用事を与えて外出してもらっています。
そして、滝川殿に人を入れぬように頼みました。
佐吉さんの希望通り、余人を交えず二人だけとなりました。
「さて、佐吉さんご要望通り、ここには私と佐吉さんの二人だけです。
佐吉さんは私にどんな話が有るのでしょうか」
佐吉さんは周囲を注意深く観察し、耳を澄ませその上で話し出しました。
緊張に満ちた表情で話しだした言葉は驚くことに流暢な英語でした…。
それも古風な英語ではなく、私が聞き慣れた現代英語。
『姫様、姫様は私が話すこの言葉をご存知ですね』
知らなければ、何を話しているのかも解らず私はキョトンとした顔をして戯れだと思って笑うのでしょうか。
しかし、咄嗟に彼の言葉を聞いた私の顔は恐らく意味を理解し、ここでその言葉を聞くことの驚きに満ちた表情をしているでしょう。
佐吉さんは私が想像した以上に頭のいい人のようです。そこまで計算した上でなければいきなりここで英語を話すようなことはしないでしょうから。
それも計算した上で、私に英語で話しかけたのです。
私の表情を見た上で佐吉さんは薄く表情を緩めます。
恐らく、佐吉さんの目的はこれで達成したのでしょう。
『佐吉さん、私がこの言葉を理解すると良く分かりましたね。
後の世のこの言葉で話せば例え話せなくとも、後の世の教育を受けていればある程度の意味は解る。
そして、その時の表情の変化を見れば答えがわかる。
そう考えたのでしょう?』
佐吉さんは頷きます。
『随分回りくどいことをしましたね。
清兵衛さんへの弟子入りもこれが目的でしたね?』
『そうです、清兵衛さんへ弟子入りしたのは姫様に近づくためです。
しかし、清兵衛さんへの弟子入りは二つの意味で間違ってはいませんでしたよ。
一つは、こうして姫様と話すことが出来ました。
もう一つは、この時代のこの国でも優れた技術を持つ鍛冶屋の技術を見ることが出来ました』
『清兵衛さんは優れた資質を持っていますからね。
しかし、何故私と話すためにこんな回りくどいことをしたのです。
領地の鍛冶屋に居れば言葉を交わすことも出来たでしょう』
『姫様。
もはや問うまでもないですが、貴女は私と同じくこの時代に記憶を持ったままに転生したのでしょう』
やはり、そうでしたか。
彼の存在は正にオーパーツ、そうとしか思えないと私は今回の田植え機で確信を持ったのです。彼が願い出なくとも私が機会を作ったのは間違いありません。
『そうです。夢から覚めるように記憶が目覚めたのは四つの時でした』
『貴女もそうでしたか。私もそうでした、目覚めた時は四つ位だったと思います。
前世で意識が遠のき死を確信した後、再び目覚め助かったのかと思いました。
しかし、目覚めた時は野鍛冶の茂吉の末の息子になっていました』
『そうでしたか…。
私も似たような経験の末、ここに居ます…。
しかし、何故私に近づいたのです?
貴方は男子なのですから、前世の知識を活かして身を立てる事も出来たでしょう』
『姫様、貴女は姫様という立場に生まれたから実感が無いのかも知れないですが、私のように貧しい家に生まれたなら例え前世の知識があろうと殆ど活かすことなど出来ないのです』
そう言うと、佐吉さんは遠い目をして思い出語りをするように語りだしました。
『私は…。
自分の身におきたなら他にも同じ様な人が居るのではないかと思っていました。
こうして姫様と出会うことで、私の仮説は正しかったと証明されたのですが』
私は頷きます。
『私は前世でも金属を扱う仕事をしていました。
仕事の関係で海外でも色んな経験もしてきていたので、この世界での暮らしにも順応出来たのかも知れません。
しかし、清潔で恵まれすぎた現代の暮らしの中生きてきた人がこの時代の大多数を占める農民など貧しい家に生まれたならば、立身するどころか多くは衰弱して死んでしまっているのではないかと思うのです。
そもそも後進国での生活経験がある私ですら食べるものに慣れる事が大変だったのです…
温かい風呂も布団も無ければ服すら無い。
着の身着のままで床に寝て暮らす不衛生な暮らしです。
この歳まで成長できず死んでしまう子供の方が多いのです。
私の兄弟は独立した兄を除いて皆死にました』
私は佐吉さんの話を聞き、この世界の現実というものを改めて再確認させられました。
そして、確かに私は姫として生まれ恵まれて暮らしてきたが、それでも前世とのギャップが無かったかと言われれば嘘になります。
それが、確かにこの時代の一般の家に生まれたならば、あまりのギャップに食事をする事も出来ず衰弱死してしまっていても不思議では有りません。
ふと、あのごはんに拘る武衛様の顔がよぎりましたが、まさかあの人は違うでしょう。
『確かに…、私も私だけでない可能性はあると思っていましたが、佐吉さんの話を聞けば悲しい事ですが有り得る話だと思いました』
『この時代、勝手に家を飛び出して立身するのは並大抵ではありません。
誰かの身元保証でもなければ流れ者をまともに扱う人など殆ど居ないのです。
どれ程の知識があろうと、例えば鍛冶で身を立てるにもまずはこの時代に必要とされるものを作らねばならないのです。
それもこの時代の作り方で作るしかありません。新しい道具や工法を取り入れるには親方になり弟子も居ていい仕事が安定してくる立場でもなければ難しいのです。
何しろそれをする為のお金もない、野鍛冶などでは日々の暮らしが精一杯なのです。
姫様は清兵衛さんがこの時代の鍛冶としてどれ程恵まれているのかわからないでしょう。
清兵衛さんは姫様のあまりの厚遇にどれほど感謝しているか…。
私は清兵衛さんの口から何度も聞いています』
粗末な扱いはしていないという程度の認識だったのですが、それ程とは思いませんでした…。
『そうでしたか…』
『私にしても同じです。
姫様が転生者だと言うことは、あの村に居ればわかりました。
父に連れられあの村に行った時、この時代には見慣れぬ農具が置いてあったのです。
この時代に似つかわしくないその農具は、聞けば姫様が作られたのだとか。
それだけではありません、ヨード作りなど戦国時代にあったなど聞いた事もありません。
私は前世では理系の技術畑の人間で、子供の頃から趣味も仕事と似たような事をしていて歴史などからきしですから、あまり詳しくはないですが、流石にこのくらいはわかります…。
先のアイアンサイトにせよ今回の田植え機にせよこの時代には無いものです』
佐吉さんはこれまで話したくとも話せなかっただろう事を堰を切った様に話し続けました。
そして、私は私が佐吉さんに感じていたことは正しかったとわかりました。
『私もアイアンサイトを見て、凄い既視感を感じていたのです。
そして今回の田植え機を見て、その完成度と既視感からこれではまるでオーパーツではないかと』
それを聞き佐吉さんは笑います。
『オーパーツですか?
違いないです。正にこれらはこの時代に本来なら存在しないものですから。
しかし、それらのものを作ることが出来たのも、結局姫様の元に来ることが出来たから、初めて前世の知識を活かすことが出来たのです。
姫様と出会わなければ、野鍛冶の茂吉の息子佐吉として野鍛冶になりそのまま何を成すこともなく死んでいたでしょう』
私はその話を聞き、思わずため息を付いてしまいます。
『まだ見ぬ転生者の多くは、結局はそうやって時代に飲まれて消えていっているのですね…』
『恐らくは…。
時代に名を残せるほど、歴史を改変出来るほど影響力を及ぼせる立場に転生するという事は、恐らく奇跡的な確率だと思います。
仮に武家に生まれたとしても、この時代に馴染み影響力を及ぼせる立場になるのは中々難しいでしょう。
場合によれば物狂い扱いされたり、悪魔憑きとして殺されたり。
この時代は迷信深いですから…』
『そう言われてみれば…。
私は理解有る父の元に生まれ、姫として出来る範囲のことを少しずつやっていったから今があるのかも知れない…』
『吉姫は歴史オンチの私でも解るほど既に歴史を変えているでしょう…。
私の知る歴史では姫様は名も残っていないです』
『そうなのですか…』
私は佐吉さんの話に少し違和感を感じましたが、佐吉さんが話を続けます。
『私は前世でも愛知県の生まれだったのでこの地方の歴史ならば学校で習う程度は知っているのですが…。
尾張の織田家は三河や美濃で敗戦し、美濃の斉藤氏と和解するのに織田家の長女が輿入れしてます。それが吉姫かどうかはわかりません。
そして代替わりしてから三河を制した今川に臣従し、同じく代替わりしていた斉藤も今川に臣従し今川は大大名になります。
その後、近江で六角と名前は忘れましたが有名な大きな合戦をやって京都まで勢力を広げ新たな幕府を作ります。
織田や尾張の国人らはその時の戦についていったというくらいしか学校では習いませんね。
それが、戦で行くところ負け無しで静岡まで攻めていき、幕府を作ったはずの今川も負かせたんでしょう。
それが姫様だけの影響なのかは分かりませんが、私が学校で習った歴史ではもはや無くなっていますね…』
そもそも今川幕府なんて私は聞いたこともないですが…。
『ところで、今川に臣従した時の織田の当主って誰なのですか?』
『歴史に詳しい人なら知ってるかも知れないですが、学校では習いませんから私は知らないです』
信長って学校で習ったと思うんだけど…。
『信長って聞いた事無いですか?』
佐吉さんはキョトンとした顔をします。
『信長?誰ですかそれ。学校で習った偉人にはそんな名前の人は居なかったです』
『豊臣秀吉とか、徳川家康は?』
『豊臣秀吉は知らないですが、今川義元が代替わりしてその人が謀反で殺されてから、仇をとって幕府を引き継いだのはその徳川家康って人です』
なんだか私の知る歴史とはまるで違う歴史になってますね…。
『そ、そうなのですか…。
ちなみに、その後の歴史は?』
『姫様は歴史に堪能そうなのに…。
私みたいな歴史オンチに聞いても簡単にしか話せませんよ。
その後、幕府に従わなかった大名を全て降伏させ、京都から移った理由は覚えてませんが江戸で徳川家康が江戸幕府を開きその後鎖国して江戸時代になります。
それから三百年ほど江戸時代が続いて、アメリカが開国を迫って開国するのですが、その時の影響で幕府が倒れて明治新政府が出来て、日清日露戦争を経て第一次世界大戦、そして照和時代に第二次世界大戦が勃発しアメリカと戦争して講和して長かった戦争の時代が終わり平和な時代が訪れて、私が死んだのがその次の平成時代です』
うーん、徳川幕府の下りがちょっと違うけど、それ以降は同じなのかな…?
この事を話すべきでしょうか…。
いや、佐吉さんは歴史オンチらしいから、話さないでおきましょう。
しかし、これでこの世界が私の居た世界とは少し違う所謂平行世界だって事が確実になりましたね…。
『私の知ってる歴史もそんな感じですよ』
それを聞き佐吉さんの顔がパッと明るくなります。
『そうでしたか。ほんとうろ覚えなので適当なこと言ってるかとヒヤヒヤしていました』
私はとりあえず笑って誤魔化します。
『うふふ』
『ともかく、私はこうして同じ転生者の姫様と出会えたので、これよりは姫様の元にずっと居ることにします。
姫様の元を離れれば前世の知識も経験も活かせませんし、貧しい野鍛冶に戻るだけ。
ちなみに私は前世では大学で工学を学び機械関係の仕事やってました。
姫様は前世では何をして居られたのですか?』
『私は…、所謂総合商社の技術営業ですよ』
『総合商社ですか…。前世では商社がかんでる仕事も色々ありました。
これもなにかの縁かも知れませんが、これからもよろしくおねがいします』
前世で逢ってたら驚きですが、私とは別の世界ですからそれはないですか…。
兎も角、この出会いは奇跡のような貴重な人材を手に入れられましたね。
『こちらこそ。期待していますよ』
こうして、佐吉さんとの会見は終わりました。
佐吉さんが帰った後、縁側で庭を眺めながら考えます。
佐吉さんの事が聞けてよかったものの、この世界の現実の話は重たい…。
なんとなく薄々そんな気はしていたのだけど、改めてはっきりと話しをされると。
しかも、佐吉さんは普通の技術屋でしたが、相手が必ずしも善意の人とは限らない。
私のしでかした改変を快く思わぬ転生者も居るでしょう。
転生者そのものは稀有な存在で、その多くが世に出る前に消えている可能性が高いとはいえ、皆そうとは限らないでしょうから。
考えれば考えるほど頭の痛い話で、正直この話を聞いて後悔しそうだと思った予感は正しかった様です。
この世界の話が少しだけ語られました。