閑話二十九 織田信秀 松平の臣従
岡崎の広忠が訪ねてきました。
天文十七年三月 織田信秀
治部殿は翌日誓紙を残すと駿河へ向けて帰っていった。
再び会うことを楽しみにしていると、その際にはぜひ娘も連れてきてほしいと、念押しをされてしまったわ。
余程吉の話が興味深かったのであろうな。
儂も武衛様もこの日吉田城を出立するつもりであったのだが、昨日治部殿との会見の後岡崎より使者が参ったのだ。
使者が申すには武衛様に会見したいとの事。
何があったのかは解らぬが、もはや今川に頼ることも叶わぬ。
恐らくは今後の話であろうな。
その日の昼過ぎ、岡崎から松平広忠殿が家臣らを連れ吉田城を訪ねてきた。
用意された会見の間に松平殿が通され、武衛様と儂と三人で会見する。
「松平広忠にござりまする」
「斯波武衛である」
「織田信秀でござる」
広忠殿とこうやって対面する日が来るとは…。
これもまた吉の見立て通りであったが、幾度となく槍を交えた儂としては感慨深いものがあるな。
挨拶を交わした後、広忠殿が武衛様に平伏し言上する。
「武衛様、松平家は武衛様に臣従致しまする。
併せて松平に臣従する東三河の国人衆も併せて臣従致しまする」
広忠殿は臣従の申し出であるが、不思議と晴々とした表情であった。
武衛様がそれを聞き頷かれ答えられる。
「差し許す。
安堵致す故励まれよ」
「有難き幸せにござりまする」
「広忠殿、これよりは同じ斯波家の臣下として宜しくお頼み致す」
「ははっ、こちらこそこれよりはお味方故、宜しくお願い致す」
それを見ていた、武衛殿が満足げに微笑まれる。
「これで、尾張より駿河まで全てが収まったな。
よもや余の治世で迎えられるとは思わなんだぞ」
儂もまさかこんな日が訪れるとは想像もせなんだ。
「誠に。
今年は美濃斉藤との同盟もなりますから、三河からは戦がなくなりまするな」
広忠殿が驚かれる。
「なんと…」
武衛様は広忠殿に声を掛けられる。
「三河は戦続きで民百姓は疲弊しておろう、これよりは戦は一先ず忘れ民を慈しみ内政に専念するのだ。
その折には安祥の信広に協力を仰げば捗ろう」
「ははっ、心得ましてござりまする。
安祥の信広殿の元にも訪ねて行きまする」
「うむ。それで良い。
では備後守、まだ松平殿と話もあろう。後は任せる故頼んだぞ」
「ははっ」
武衛様が下がられる。
二人になると、広忠殿が懐から書状を取り出して渡してきた。
開いてみると、それは吉から広忠殿へ向けられた手紙であった。
中に目を通していると広忠殿が話される。
「備後守殿、まずは礼を言わねばならぬ。
その吉殿よりの手紙にある通り、某は危うく殺されかけたのだ。
それを吉殿の手の者によって救われた」
「なんと、そのような事が」
「よく考えれば予見できた事ではあるのだが、吉殿は某が命を狙われる事を予見して手の者に影守をさせておったそうなのだ。
長らく争ってきた間柄ではあるが、よもやその敵の娘に命を救われるとはな。
そればかりか我が嫡男は客人として遇され、その吉殿に教育まで施されていると聞く。
更には竹千代には世話役に先の妻であった於大まで呼び寄せておるとはな…。
吉殿は敵の某に何故そこまで。
いずれにせよ、吉殿には返せぬ程の恩義が出来申した」
儂もまさかそこまでの事をしていると迄は知らなんだ。
しかし、ここに至ってみると全ては一本の筋として繋がっておる。
こうして広忠殿を味方に出来たのはその結果なのであろう。
「広忠殿、於大殿は書状にあったとおりまだ再婚しておらぬ。
後添えの戸田氏の娘とも離縁したと聞くが、どうされるのだ」
「某は於大と離縁致したは致し方なき事故、本意ではござらなんだ。
もし叶うのであれば、再び於大を妻と迎えたいと願ってござる」
「それを聞き安心致した。
水野殿の妹をいつまでも嫡男とは言え世話役をさせておくわけにもいかぬ故」
「では…」
「うむ、こうして味方となった以上は、また一度水野へ戻し水野殿へは儂から言葉添しよう」
「忝ない…」
「併せて伝えておくことがある。
武衛家は今川と和議を結び同盟を結ぶことと相成った」
「な、なんと…。
今川と同盟…、で、ござるか…」
流石にこの話は驚き感慨深げな表情をされる。
「左様、故に今川より三河衆の全ての人質は戻される。
そして、我が元に客人として滞在しておる広忠殿の嫡男は勿論の事、三河国人らの子息らもいつでも迎えに来て貰って構わぬ。
尾張にて中々受けられぬ学問を学んでおる故、望むならばそのまま預けられても構わぬ。
いずれにせよ、我らは縁は結べど人質は取らぬのが武衛様のご意向なれば」
「…。
家臣らも喜びまする…。
三河の国人衆は武衛様に大きな恩義が出来ましたな…。
無論、備後守殿にもでござる」
「吉が広忠殿の嫡男竹千代殿を高く評価して居る。
それで我が娘を竹千代殿に輿入れさせよと言うのだ。
その見立ては殆ど外れたことが無い故な、儂はそうするつもりであったのだが広忠殿は如何であろうか。
吉は無理であるが、丁度竹千代殿に歳の釣り合う器量の良い娘が居るのだ」
「願ってもない話でござる…。
信広殿とも今後は合力し三河を治めねばならぬ間柄。
織田と縁を結ぶ事は良き話にござる」
「なれば後日婚約を交わすとしよう」
「よしなに。
ところで、一度竹千代に会いに尾張を訪ねたいと思いまする。
その際には此度の礼を吉殿に申さねばと思っておりまする。
許可頂けるであろうか」
「うむ。
今やお味方故いつでも参られよ」
「有難く。
では、今日はこの辺りで失礼致す。
本日の話を家臣らにして安心させたく。
信広殿にも宜しく伝えてくだされ」
「承った。
では、また会おうぞ」
広忠殿は家臣らと戻っていった。
こうして尾遠参と平定し今川とも結ぶことなったな。
ここまでは吉の見立てどおりであるが、我が後継者の問題は更に難しくなった。
更には武衛様の変わられよう、儂としては頼もしくもあり好ましくもあるのだが、守護代らはどう取るであろうか…。
兎も角、儂も出立し安祥へと向かった。
これで尾遠参と平定し美濃と駿河を同盟国としました。




