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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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閑話十八 織田信秀 大戦の前の夜

信秀も準備完了です。





天文十七年三月 織田信秀



昼八つ(十五時頃)に差し掛かった頃、儂は尾張の軍勢を率い二俣城へ向かう。

吉田城から井伊谷まで約八里、到着する頃には既に夜も更け亥の刻(二十三時)であった。

そこで休息を取り日も明けぬ頃より出陣し、井伊谷から二俣城は約四里。到着する頃には既に日もすっかり上っておった。


先触れにて知らせておった松井殿が出迎える。


「備後様、随分早く到着されましたな」


「うむ、少々強行軍でここまで来た。

 では早速、案内を頼む」

 

兵らに小休止を取らせると、松井殿の案内で徒歩で渡河可能な場所に案内してもらう。


「この辺りにござる。

 今日は運良く徒歩にて渡れそうにござるな」

 

儂は案内された辺りを見て回ると、確かになんとか徒歩にて渡れそうな位の川の深さに見えた。


「うむ、良さそうだ。

 しかし、ここで敵勢とかち合うと弓の良い的になりそうだ」


「左様、この城を落とすのは簡単ではござらぬ所以にござる。

 今の所まだここには今川は来ておりませぬ」

 

「なれば早く渡らねばならぬな。

 兵らには少々酷であるが、渡れば休むこともできよう」


「ははっ、城の方で飯の準備もできております故」


「うむ。助かる」


小休止の兵らに号令すると、渡河場所付近の林に集合させる。

渡河の場所はこの林から抜けたところにあり、砂地が広がっている狭部になる。

正面の川を渡った砂地の向こうに見える林に伏兵があれば大変な被害を被るであろう。

そして、恐らく増水するとこの砂地の辺りはみな水の底なのであろうな。


物見を先ずやり、敵方が居ないことを確認させた後、足腰達者な者に丈夫な縄を持たせて渡河させ、都合何十本もの綱を両岸に渡らせる。

吉が用意し運んできた船を用意させると、それに槍等のかさばる武器や物資などを載せ綱を使って運ばせる。

それと並行して、身軽になった兵らを続々と綱を伝って渡らせる。

これにより、足を取られたり滑らせたりしても、水に流されることはない。


この船は通常の川船とは違い、ただ平たいさながら薄い箱の様な船で、普通に船として使うにはあまり向かぬが、こういう物を運ぶには便利なことがこれで分かった。

正直、初めて見た時は置いていこうかと思ったくらいであるが。

使わなくなったら矢盾なり薪なりに使ってくれと言っておったが、まあそれはそういう時が来れば考えるとしよう。この先にも天竜川ほどではないが、川が有る故な。


そして、儂の想定よりも短時間で脱落者もなく皆川を渡り終えた。

この船と、綱はなかなか良いな。

吉の話ではこの船を川に並べ板を渡せば船橋にもなると言っておったな。


渡河を終えた軍勢に一先ず林の中で陣をはらせ、城から提供された飯を配らせる。

勿論、旗印や天幕などは一切出さず、遠目には我等の存在は見えぬはず。


儂は主だった将らと二俣城へと入る。

話には聞いておったが三方を川に面し、更にはその内二方が断崖という難攻不落の堅城であった。

松井殿が味方してくれたから良かったようなものの、これを落として更に背後を突くなどそもそも無理であろうな。

そう考えると、やはり吉の考え方は甘く見えても結果として良き方に出ることが多いということか…。


「松井殿、馳走感謝致す。

 無事渡河に成功し、今川勢の背後に出ることが叶った。

 これも松井殿の案内あっての事、感謝しておるぞ」

 

「勿体なきお言葉。

 拙者も、備後様の見事なお手並みに感服しておりまする」

 

「うむ。

 何事も準備があればということであるな。

 既に物見を放っておる故、ここで兵らを休ませた後、出陣するつもりだ。

 松井殿には、この二俣城は要衝故、このままここの守備を任せたい」


「ははっ、承りました」



儂は兵らの元へ戻ると物見の兵が戻るのを待ちながら、兵らに薬酒を一杯ずつ飲ませ、交代で休憩を取らせる。

今朝はあまり寝ておらぬ故な、疲れが溜まっておっては力も出ぬわ。


それから暫しすると、物見を任せておる甲賀の者らから続々と報せが上がる。


義元殿が率いる本隊二万は一路曳馬城に向けて行軍中。

これは義元殿が乗った輿が見えたとの事なので、先ず間違いなかろう。


太原雪斎は別に動いておるらしく、本隊にそれらしき姿は見えずとの報せ。


我等は軍勢を率い、一先ず合代島に陣を移し、更に敵の動きを探らせる。


その後、義元殿は天竜川の東に陣を張り、翌朝渡河の構えとの報せ。

信広も恐らく今頃曳馬城の周辺に陣を伏せてあるはずで、今川方からは曳馬城で籠城の構えに見えるであろう。


更に日も暮れた頃、高天神城方面へやっておいた物見が戻ってくる。

少なからぬ兵数の今川勢が高天神城を囲んでおるとの事で、城攻めに向かわせた者らは城の奪取に成功したのであろう。

これで、今川の少なからぬ予備兵力が高天神城に貼り付けられよう。

しかし、そこにも太原雪斎らしき者は居らず、旗印は左三つ巴、朝比奈勢が攻囲中との報せ。


ここにも太原雪斎は居らなんだ。


その後、夜陰に乗じて殆ど兵の残っておらぬ社山城を囲み、無血開城させると、若干の守備の兵らを残し、敷地川に沿って袋井を南下する。

鹿島神社の付近までたどり着くと、岩井にて陣を張り、そこで朝まで休息となった。

我等は敵が渡河し信広ら三河勢と戦を始めた頃、今川の背後に回り、そこから挟み撃ちにする予定で有るのだが、太原雪斎の居場所がいまだ掴めぬのが気がかりだ。





太原雪斎の居場所が掴めないままですが、予定の場所まで潜り込みました。

翌朝から今川勢が渡河し本格的な戦が始まります。

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