閑話十四 織田信広 戦の前に
信広視点の信秀到着前の話です。
天文十七年二月下旬 織田信広
年始に吉と会ってもう二ヶ月か。
勘十郎の元服の儀では会うことは叶わなんだが、一悶着有ったと聞いた。
正室の長子で嫡子、勘十郎は生まれながらに父信秀の後継者たる定めであったが、世間ではうつけ呼ばわりされておるらしい。
儂は元服すればすぐさま初陣、その後父信秀に従い戦の日々であり、落ち着く間も無かった故、勘十郎とは殆ど関わりがない。
元服の儀でも父の用意した装束を着て来ず、派手な衣裳で現れ、危うく父に恥をかかせる処であった。
傍目に見れば、確かにうつけた行動が目立つ。嫡子の立場にあぐらをかいておるとも。
勘十郎は嫡子なれど、父信秀とは共に住んでおらぬ。
嫡子と云うことで早々と城をあてがわれ、家老を傅役におとなに傅かれて暮らして居るが殆ど父とは会うことが叶わぬ。父は多忙故、致し方なくはあるのだが。
正室の土田御前と暮らしておるとはいえ、勘十郎が歪んだ一因ではないかと儂はみておる。
儂もあまり父を知らずに育ったが、それでも長子故、偶には会いに来てくれた。
それに、儂は幼少の頃より、庶子である事をしっかりと教えられた故、そういうものだと思っておったし、傅役を父代わりに、その妻を母代わりに育ち、あまり寂しい思いはせなんだな。
ともかく、勘十郎は元服し正式に那古野城主となり、父の家臣でも能臣と名高き林佐渡を筆頭家老に、優れた家臣が付けられた。
これを機に後継者たる自覚を持ってくれればよいが。
吉からはあれから手紙と共に本が届いた。
手紙には近況伺いの他、今年の春よりの新田での農法について書かれておった。
正条植えというらしいが、次の田植えで試してみるつもりでおる。
届いた本は「ポエニ戦争」と題された千八百年ほど前の遙か西域にあったローマという国とカルタゴという国の戦を書いた戦記であった。
相変わらず綺麗な文字で書かれて居て読みやすいが、漢字に平仮名と片仮名を交えた本が届いたのは初めてであった。
最初面食らったが慣れてみるとこれはこれで読みやすい。
戦記物ではあるが、勇壮な武士達の戦いの物語というより、寧ろ戦の記録で、地図や軍の配置、陣立て、戦の推移など、更には戦った兵士らの装備まで書かれてあり、これは相当な読み物であるな。
特に面白かったのはやはりカンナエの戦いであろう。
数万という途方もない規模の両軍の軍勢もさることながら、装備、質共に優勢なローマの軍勢が対するカルタゴの軍勢を押しに押し、勝ちを確信しておったら、実はそれは策で気がつけば包囲されており壊滅的な負け戦を被る。
この戦を率いたハンニバルという遠い昔の将軍はなんと凄いのであろうか。
しかし、唐国にも騎馬だけで編成する騎馬隊が居るらしいが、この本に出てくるローマもカルタゴも想像を絶する規模の騎馬を用いておるな…。
日ノ本でも騎馬隊を使うことが出来れば戦が変わりそうであるが、士分ばかりそんなに大勢集めることは叶わぬな…。
遠江では広い平野で野戦になる可能性が高いが、このハンニバルの様な戦が出来ればさぞ素晴らしい事であろう。
儂は本を読み終えると深い溜め息をつき、目を閉じると広い平原で対陣する数万の今川軍と織田軍がこのカンナエの戦のような戦をする様を思い浮かべた。
ハンニバルとはどの様な男であったのだろう。
数万の織田の軍勢を率いる儂は対する太原雪斎の率いる同じく数万の今川勢を迎え撃ち、飲み込むがごとく今川勢を引き込むと包囲し散々に殲滅するのだ。
そうなれば、儂は古の名将にあやかり織田ハンニバル信広と名乗るのだ。
などと、くだらぬ事を妄想しておったら、儂を呼ぶ声で現実に引き戻される。
「三郎五郎様、備後様より書状にございます」
「うむ。ご苦労」
父よりの書状を受け取ると、早速目を通す。
今川勢が遠江奪還の陣触れを出したか。
動きがあるという報せは受けておったが、思ったより早かったな。
父の書状によれば今川の軍勢は実質的に総動員に近い二万から二万五千。
武田や北条の抑えを置かねばならぬ事を考えても、父の見立て通りだろう。
それだけの兵を繰り出して来るからには、今川は太原雪斎は確実に出てくる、そして義元殿も出陣してくる可能性もあるな。
遠江を守る戦故負けねば勝ちではあるが、これ幸いと叩いておくというのが父の腹か。
尾張からも実質総動員の二万、安祥、つまり西三河からも一万出すようにというお達しであるが、父の見立てでは岡崎は此度に関しては様子見で動かぬであろうと。
しかし、岡崎には今川からの与力が居るはずだが、様子見など許されるのか?
いずれにせよ、父の言う通り今川と同程度の兵数では負ける可能性もある。
松平忠倫殿、信孝殿に抑えの兵を預けて万が一に備えてもらうとするか。
儂は直ちに陣触れを出すと腹心の勘助と半蔵を呼び出した。
「殿、お呼びにござるか」
「うむ、今川が遠江奪還の陣触れを出した。
今川が総力で来る以上、我らも総力戦となる。
それ故、父より安祥からも兵を出すよう要請があった」
「はっ。
して、如何ほど集められますか」
「どのくらい参陣があるかにもよるが、安祥には一万の兵を出して欲しいという要請だ。
故に、一万は動員し、上和田城へは岡崎の抑えに三千ほど入れ、常備軍と併せて一万で遠江へ向かうつもりでおる。
更に集まるようなら二万を上限に参陣させる。
去年は年貢の集まりもよく、塩など産物の売上で資金も余裕があるはずだ」
勘助が頷く。
「ははっ。
遠江であれば野戦となりましょうから、兵が多くとも大丈夫にござる」
「されば、拙者は東三河に手の者を出し、国人らの動向を探りましょう」
「うむ、頼んだぞ。
此度の遠江での戦は、弾正忠家や安祥に靡くに良き機会となる。
ここで味方し功を上げれば、後の扱いも良くなると思うであろうからな」
「でしょうな。
今の三河は松平宗家ですら今川に従属し続けることに疑問の声が上がっておるとも聞きまする」
「父が出陣してくるのは三月上旬とのことだ」
「「はは、心得ましてござります」」
そして、三月に月が変わって早々、井伊家より使者が来た。
元々春には婚儀の予定であったが、戦で婚儀は延期になる為、先に娘を届けたいとの事だ。
井伊の娘との婚儀は二つの意味を持つ、一つは勿論弾正忠家との縁、もう一つは新参の井伊家からの人質。
それ故に、先に娘を差し出すということなのだろう。
併せて、井伊谷に万が一の事があれば、娘だけでも助けたいという事なのかも知れぬ。
早馬で父の了承を取ると、井伊の姫君を迎え入れた。
吉と同い年という井伊の姫君は話に聞く通り器量よく、芯の強そうな娘であった。
「祐にございます」
「三郎五郎信広である。
此度はよく参られた。
婚儀の日までは客人故、安祥でゆるりとなされよ」
「お気遣い、有難うございます。
不束者にございますが、宜しくお願い申し上げます」
「うむ。こちらこそよろしく頼む」
さて、この姫を悲しませぬ為にも、此度の戦、より励まねばならぬな。
信広視点の話ですが、ちょっとネタ入れてみました。
あまりに不評だと変えるかも知れません。
一応、信広もまだハタチそこそこの若者なのでそういう事もあるかなあと入れてみました。