第九十話 津田監物殿の到着
一先ず役者は揃いました。
『津田算長殿の到着』
天文十七年三月上旬、準備の為に紀州に戻っていた根来の御坊こと津田監物殿が古渡に到着しました。
この度は尾張に移り住むことになりますので、郎党を率いての移住となり、同じく刀鍛冶の芝辻清右衛門殿も家族と共にやってきました。
父との対面は父が戻ってきてからとなりますが、移り住むことは既に話を通していますので、既に古渡に屋敷を用意してあります。
芝辻清右衛門殿一家も職人長屋の方に一先ず入ってもらうことになります。
「姫様、御待たせ致しましたが、お約束どおり清右衛門も伴って参りましたぞ」
「津田殿、遠路遥々この古渡への移住、誠に大儀でした。
既に屋敷の方も用意してありますので、あとで屋敷のものに案内させます。
一先ず屋敷に落ち着いていただいた後、一緒に仕事をしてもらう方々との顔合わせをしますので明後日にでもまたこの屋敷に顔を出してください」
「はっ、忝なく。
では、明後日に参ります」
挨拶に来た津田殿が出ていったあと、鈴木殿を呼んでもらいました。
鈴木殿は一族での移住でしたから、移り住むのに時間がかかりましたが、既に昨年には準備を済ませていたこともあり、二月には長屋に落ち着きました。
既に、古渡に来て鉄砲の製造も行い、父に献上しています。
まだ内密の仕事なので、功績を外に見せられないのは残念ですが、いずれその時が来るでしょう。
「姫様、お呼びと伺いましたが」
暫くすると、鈴木殿が屋敷を訪ねてきました。
鈴木殿は城の外縁の武家屋敷に住んでいるので、すぐ近くになります。
「はい。
紀州根来の津田殿が到着しましたので、お伝えしておこうかと」
「根来の津田監物殿ですな。
まさか、かの御坊と同じ城で仕事をする事になるとは思いませんでしたぞ」
「うふふ。私もお二人共召し抱えることが叶うとは思いませんでした。
これで鉄砲に関係する人は一先ず揃いましたので、仕事の役割分担などの話をしますので、明後日にまた屋敷を訪ねてください。
鈴木殿もそろそろ落ち着かれたとの事ですから、本格的に鉄砲衆の組織作りを始めなければなりません」
「はっ、承知しました。
いよいよ仕事を始められるかと思うと、腕がなります。
では、明後日参ります」
『古渡鉄砲衆の始まり』
二日後、屋敷を津田殿、そして鈴木殿が訪ねてきました。
「二人ともよく来てくれました。
津田殿と鈴木殿は屋敷が近くなので既に顔を合わしていますか?」
「はっ、既に昨日挨拶を終えております」
「それはよかったです。
では、既にある程度お話をしていますが、お二人の仕事の話をした後、鍛冶場の方に一緒に行ってもらいます」
「「はっ」」
「以前からお話していたように、鈴木殿は我が弾正忠家の鉄砲奉行として鉄砲衆の組織作りと監督、そして鉄砲大将として戦に行く場合は、その鉄砲衆を率いてもらいます。
いずれ人が育ってきたら、鉄砲大将はその者に任せ、鉄砲奉行に専任してもらう予定です。
鉄砲衆は、戦に出たら生きて帰ることが第一義です。
鉄砲を奪われることは絶対に避けねばなりませんし、その戦で得た経験を伝えて貰わねばなりません。
鉄砲は御存知の通り、まだまだこの日ノ本では緒についたばかりですから。
最初に率いる鉄砲衆の将兵全てが後の鉄砲衆を育て新たに率いる。そのくらいの気構えが必要です」
鈴木殿が平伏します。
「そこまでそれがしらをかって下さるとは。
必ずやご期待に応えまする」
「期待しておりますよ」
「津田殿は先に来られたときにお話したように、鉄砲の研究と用兵術の編纂をお願いします。
鈴木殿が実際に鉄砲を使い、或いは戦に出て得てきた事柄を津田殿が纏め、次の鉄砲と用兵術に活かすのです。
いずれ後に続く者がそれを学べば鉄砲衆を率いることが出来る、そういう教本を作るのです。
そして、時期が来たら鉄砲ばかりではなく、騎馬、弓、槍、鉄砲など、全ての兵科を組み合わせいかに効果的に用いるのかに昇華させ、それらを教える兵学校を作ることが最終目標です。
いずれ、兵は専業兵士が主力となり、戦の度に領民が駆り出されるという時代は終わるでしょう。
その時の為の準備をするのです」
津田殿も平伏して応えました。
「…、そこまで先を見ておられるとは。
この監物、そこまでの仕事に関われるとは想像もしておりませんでした。
必ずや期待に応えまする」
「期待しておりますよ。
では、お二方、鍛冶場の方に参りましょうか」
「「はっ」」
『古渡製作所の発足』
鈴木殿、津田殿の両名を伴うと鍛冶場に向かいました。
向かうは鍛冶場の一番奥にある私の家臣たちが居る区画です。
鍛冶場には既に鈴木殿の一族の鍛冶が詰めており、鈴木殿も個々には何度も来たことがあります。
勿論、津田殿は今回が初めてです。
元々、古渡には通常の城に有るような城の片隅の一角にある鍛冶場しかありませんでした。
そこに詰める鍛冶もそんなに大勢という訳ではなく、仕事も殆どが城の武器防具の保全でした。
勿論、それが今も主業務であることには変わりないのですが、私が清兵衛さんを連れてきてから大きく事情が変わりました。
父が私が頼む仕事を余り大っぴらにしたくなかったというのも有るのですが、鍛冶場を拡張し、専用の区画が作られ、作るものが増えるたびに区画を拡張していき、そのうち工房区画さながらの有様となったのです。
城でこれだけの工房区画を持つところは余り見られないそうです。
既に最初に作られた区画は城の鍛冶に開放されていて共用区画となっており、旋盤などが置いてあるのは一番奥になります。
実は、まだ鈴木殿の一族の鍛冶の人にはそこは教えてません。
「姫様、ここはまるで鍛冶の里ですな…。
これ程の規模の鍛冶は余り見たことがありませぬ」
津田殿が工房区画をみて感嘆の声をあげます。
「拙者も初めてここに来た時は驚きました」
鈴木殿も同意の声を上げます。
「さあ、奥に話をできる場所もありますから、参りましょう」
入り口で待っていた芝辻殿とも合流し、奥の部屋に向かいます。
奥の部屋には清兵衛さんと佐吉さん、それに鈴木殿の一族の鍛冶仁兵衛殿が居ます。
鈴木殿の一族の鍛冶は他にも居ますが、この人が纏め役です。
私達が到着したのを見て清兵衛さんが声をかけてきます。
清兵衛さんには私が話した事以外はまだ話さないように事前に言い含めてあります。
「姫さん、そちらのお方が鉄砲の先生でやすか」
「そうです、鈴木殿と同じく紀州から来てくれた津田監物殿です」
「監物にござる」
「こちらが私のお抱え鍛冶の清兵衛。あちらが佐吉です。
この二人は鉄砲鍛冶と言うことではないのですが、私が作って欲しいものを色々と頼んでる人です。
芝辻殿は監物殿のもとで主に鉄砲に専念してもらいますが、立場は同じお抱え鍛冶になります」
「承知しました」
「そして、あちらが鈴木殿の一族で仁兵衛殿、他にも鍛冶が何人か居ます。
鈴木殿の一族の鍛冶の人は鉄砲の生産を主に任せますが、他の仕事をして貰うこともあるかも知れません。
これは、雑賀荘に居た頃も同じだと思います」
「はっ、それで問題ございません」
「従来の鍛冶屋と異なるのは、新しいものを考え作る事が担当の者と、生産を主に受け持つ者を分け、軒を連ねて仕事をするという事にあります。
つまり、新しい鉄砲を監物殿と共に作るのが芝辻殿。
それの生産を受け持つのが、仁兵衛殿ら鈴木党の鍛冶。
そして、こちらの清兵衛らの作った新しい物の生産も場合によれば鈴木党に頼むことも有るということです。
勿論、鈴木党の鍛冶の者も生産だけしかさせないと言うことではなく、なにか新しい事を思いつけば、仁兵衛殿を通して上げてきてください。その時はまた考えます」
一同が頷きます。
「また生産に関しても、より効率よく生産するには分業が必要でしょう。
ですが、それは追々進めていく事として、今日は一先ず顔合わせです。
では、今後の成功を祈って盃としましょう」
千代女さんに酒と盃の手配を頼むと、小者の人たちが持ってきてくれます。
皆に盃が回ると、音頭を取ります。
「皆の成功のために」
「「「姫様のために」」」
何故か私のためにになってますが、水を差すのもあれなので…。
「では、手始めに先ごろ作らせた鉄砲に取り付ける部品を見せましょう」
職人さんや技術に明るい人は物を見せるのが一番ですから。
佐吉さんが奥から例のアイアンサイトを持ってきます。
先日の弩の時に作った物の予備ですが、やはり実に見事な出来栄えです。
これを見る瞬間だけ平成が戻ってきた錯覚を覚えます。
机の上に置くと、わらわらと寄ってきて観察します。
「手にとっても?」
「どうぞ」
鈴木殿や仁兵衛殿、監物殿に芝辻殿が回し合ってじっくり見ていきます。
そして、一通り見終わると机に戻ります。
「見事な作りですが、これは鉄砲の狙いを定める部品ですか?」
「そうです。照準器といいます。
論より証拠です、鉄砲を一丁持ってきてくれますか」
そう言うと、仁兵衛殿が先日作った鉄砲を一つ持ってきます。
古渡で作られた鉄砲は、部品の多くを紀州から持ち込んだもので作ったので、後世に残る紀州筒そのままの作りをしています。
「これにございます」
仁兵衛さんが机に置きます。
「では、これに取り付けてください」
そう言うと、佐吉さんが金具を出してきて器用に取り付けます。
何でしょうその手際の良さは…。
私はピカティ○ーレールが出て来そうな錯覚を覚えました。
「このように使う部品です。
手にとって実際に見てみてください」
年長者と言うと監物殿なのですが、先ずは鈴木殿が手に取りました。
そして、狙いをつけてみます。
ほう…。と呟きがでます。
次に監物殿が受け取ってみてみます。
「ほほう。これは…。
この部分は動きまするが、もしや距離を合わせるためのものですか?」
「そうです。
遠くなれば鉄砲の弾は下に落ちますから、照準器の距離を伸ばし銃口を上げれば、弾は弧を描きより遠くに飛ばすことが出来ます」
「そこまでご存知でしたか…」
そして、鍛冶二人は取付金具やネジなどを見てため息をつきます。
「この螺子を作るのに我らは苦労しておりますが、この様に精密な螺子は見たことがありません」
「作り方は恐らく同じだと思いますよ。螺子切りでオスとメスを作り、ヤスリで仕上げる」
「そうですか…」
明らかに二人の清兵衛さん達を見る目が変わります。
そして、鈴木殿と津田殿の私を見る目も変わります。
「やはり、拙者は姫様の元へ来て良かった。
よもや、参って早々にこの様な物を見ることが出来るとは…。
拙者、これを見てますます意欲が湧き申した」
津田殿の瞳が輝き、やる気に満ちた表情を浮かべます。
「左様、我らもあのまま雑賀荘に居れば、このようなものが有ることも知らなんだでしょう。
これに比べれば、これまでのものは子供の玩具のようなものです。
照準器がつくだけでこれほど変わる。
この先、どれ程の鉄砲を使えるのか、拙者楽しみでなりません」
それを聞き、津田殿も頷きます。
「この照準器はまだ秘中の秘のものです。
今、日ノ本の国に有る鉄砲にはこれ程の物は付いていません。
どれだけの差が出るのか、明日にでも射的場で試してみると良いでしょう。
勿論、扱いにはくれぐれも注意し、外には持ち出さぬようお願いします」
「はっ。では早速明日にでも試してみます」
鈴木殿が請け合うと、津田殿も追従します。
「拙者も同行します」
「はい。ではどうだったか、また教えてください。
この照準器も改良することがまだまだあるかも知れませんので」
「「はっ」」
「では、これからよろしくお願いしますね」
「「「はっ」」」
皆が応え、この日はお開きとなりました。
私は密かにこの工房区画の事を古渡製作所と名付けたのです。
いずれ指物師や細工師なども雇い入れたいものですね。
役者は揃い仕事分担も決まりました。
これからは少しずつ鉄砲を増やし、そして鉄砲衆を組織します。