第八十九話 農機具開発
田植え時期に向けて新たな農機具の開発です。
『父上の出陣』
天文十七年三月上旬、今日は父の出陣です。
いつも通り、那古野で出陣式を行い遠江へ向かうのでしょう。
玄関で父上を見送ります。
「では、吉よ。行ってくる」
「どうかご武運を」
「うむ。ではな」
そうして、父は古渡勢を率いると、いつもの様に威風堂々と出陣していきます。
今回は、板金鎧を着ている武将が増えたように思いますね。
やはり、去年の戦で板金鎧を着ていた武者の多くが無傷で戻ったというのも大きかったのでしょう。
この度の大戦、出陣して行った者達が皆無事に帰ることを祈ります。
『春の農地改善の為の準備その弐』
三月も上旬となり、すっかり暖かくなってきました。
もうすぐ田植えのシーズンですから、領民たちに約束したとおり、今年も更なる農業改善を進めます。
こういう時に、前世で農家の孫娘で良かったと、つくづく思います。
この度、進めるのは農業用水路の整備と農地の拡大、更には正条植えの実験です。
故に、旧来の田んぼは従来通り、実験は新しく作る田んぼで先ず試すことになります。
あまり広くとっても、領民の負担となりますので、将来を見越して農業用水路の整備は余裕を持ってやるつもりです。
さて、新しく仕事を始めるので、またいつものお供を連れて鍛冶場に来てます。
「清兵衛さん、先日話していた新しい仕事の打ち合わせに来ました。
上手くできれば、今年の田植えで試験的に使ってみるつもりです」
「姫さん、よくお越しくださいやした。
田植えと言うことは、また農機具でやすな」
「はい、そのとおりです。
新しく作るのはこちらになります」
図面をテーブルに載せます。
「一つは、この田定規。
もう一つは以前作った耕運機の追加機能で、草鋤き。
最後の一つは、田植え機」
清兵衛さんが佐吉さんと図面を眺めます。
「こちらの田定規ですか。こちらはすぐ出来やしょう。
しかし、こちらは木でも作れやせんか」
「そうですね。木でも作れるでしょう。
問題は、田にこれを置いて転がして溝を付ける物なので、ある程度重みがないと押し込みながら転がす必要があります。
しかし、知っての通り水田は泥濘ですから、それでは力加減が難しいでしょう。
ただ、鉄で作ると重すぎる可能性もあります。
これはまずは例の熱田の大工さんに頼んで見るのもいいかもしれません」
「では、こちらは熱田の大工に頼んでおきやす。
その次の、草鋤でやすか。
これは雑草を抜くものだと思うのでやすが、恐らくすぐ作れるでやしょう。
元々、この耕運機も俺が作ったものでやすから」
「そうでしたね。
こちらの草鋤は上手く使えれば雑草抜きが随分と楽になるでしょう」
「最後の田植え機ですかい。
これは結構なカラクリでやすな。
この車の回る力で、このカラクリを動かし、この板に挟んだ苗を、この爪で掴んで差し込むと。
原理はわかりやすが、泥にまみれても動くように作らないと駄目でやしょうな。
佐吉はどうでい」
佐吉さんは清兵衛さんに振られてギョッとしますが、ジィっと図面を見て答えます。
「作ります」
また、『作ります』です。多分作るのでしょう。
何か問うでもなく、含みを持たせるでもなく、一言『作る』と答えるのです。
先のアイアンサイトも見事なものでしたが、既に彼の頭のなかには完成図が出来上がったのかもしれません。
「では、任せましたよ。
それと、佐吉さん、この田植え機を上手く作れれば、清兵衛さんと同じく、召し抱えとします。
勿論、断っても構いませんが。考えておいてください」
「おお、佐吉、良かったじゃねえか。
俺も、まだ教えることは有るかもしれないが、弟子の範疇にするには勿体無いと思ってたのよ。
この田植え機、上手く完成させればおめえも姫さんの家臣の仲間入りやさ」
「…、ともかく、田植え機を作ります…」
どうにもこの佐吉さんはこの時代の職人さん特有の気風の良さみたいなものに欠けますね。
どちらかと言うと前世の技術屋に居るようなタイプです。
閑話休題、図面が有るとはいえ、これで田植え機がしっかり作れれば、その技術力はかなりのものですね。
私はてっきり模型を作って欲しいとか言われると思ってたのですが。
ともかく、出来上がるのが楽しみです。
「それでは、目処が付いたらまた報せてください。
心待ちにしてますよ」
「へい、承りやした。
またお報せしやす」
田植え機が設計通りに動けば、田植えが相当に楽になるでしょうね。
田定規に合わせて田植え機を押すだけで、自動的に二列一定間隔に植えられるのですから。
そして、耕運機に草鋤のオプションが付けば更に楽になるでしょう。
工数が削減できれば耕地面積を広げることも、或いは綿花など別の作物に力を割くことも出来ます。
また、中腰の仕事が減れば身体への負担もぐっと下がるでしょう。
農民がたまの祭りだけでなく、余暇を楽しむ程の時間的金銭的余裕ができれば、新たな消費者として経済が拡大します。
そこまでいくにはまだ時間が必要でしょうが、それがなれば今の日本で最も豊かな地方となるでしょうね。
全てはそのための準備です。
吉姫は経済拡大の方策を考えているようです。