魔獣
武具屋を出てすぐに、私は改めてメルヘイムに礼を言う。
「ありがとう。装備一式の代金はいつになるかはわからないが、必ず返す」
「いつでもいいわよ」
実に軽い対応だが、あれほどの大金をよく知りもしない私に投資するとは・・・。
与えられてばかりでは不安も生じる。
メルヘイムは、自身にも何かしら利益があるからと誤魔化すが・・・私に何をさせたいのだろうか?
金もなければ、記憶もない私に、何を求めているんだ?
・・・まあ、悩んでも答えは出ない。
求められたら、その時に考えよう。
購入したばかりの剣帯を腰に巻き、剣を吊るす。
うん、何故かしっくりくる感覚だ。むしろ落ち着くくらいだ。
「新人ハンターには見えないくらい、様になってるわね。見た目だけなら、歴戦の戦士に見えなくもないわ」
茶化すように、メルヘイムが褒めてくれる。
外見も大事だが、中身も同じくらい大事だぞ。
「肝心の腕前が、自分でも未知数なんだがな。まあ・・・格好だけで終わらないように努力する」
「貴方なら、大丈夫よ」
なんでそんなに自信満々?
何か、メルヘイムにしかわからない根拠でもあるのだろうか?
・・・聞いても、教えてはくれなさそうだが。
「・・・これから都市の周辺を散策するのか?」
なので、当面の予定を聞いてみる。
「そうね、エルヴァース周辺の・・・とは言ってもゴメリア領限定だけど、村々を回りましょうか。ハンター協会支部長として、懸案事項もあるし」
「懸案事項?しかも支部長として?」
何だかいきなりキナ臭いワードが出てきたな。
「そうなのよ。聞いてくれる?」
・・・嫌だと言っても、無駄だろうな。
むしろ早く聞けという、見えない圧力すら、今この瞬間もひしひしと伝わってくる。
逃げ場など、最初からないのだ。
私はため息を無理やり飲み込んで、「・・・具体的な内容は?」と、メルヘイムに話の先を促す。
メルヘイムは待ってましたとばかりに、嬉々として話し出す。
「ここ最近、トロルの目撃情報が頻繁に協会支部に届くのよ。しかも複数の村から」
「すまん、話を遮るがそのトロルというのは、やっかいな魔物か何かか?」
「魔物・・・というより、その一段階上に分類されている、魔獣というやつね。皮膚・・・というより、外郭が岩のように硬くて、そこそこ知能も高いのが特徴ね」
「知能が高い?どれくらいだ?」
簡易な罠を見破れるくらいか?
「人間と対話できるくらいね」
「・・・・・・はっ??」
今この女、すさまじく恐ろしい事を口走ったか?
私の空耳か?空耳だろ?むしろそう言ってくれ。
「正確に言えば、辛うじて・・・と付け加えるべきかしら。トロルはたどたどしい話し方で、同じような言葉を何度も繰り返すから、スムーズな会話は出来ないのよ。少しばかり根気は必要だけど、対話は可能ね」
対話ができる魔物?いや、そこまでの知能があるから魔獣に分類されるのか・・・。
とんでもない案件を抱え込んでたな、メルヘイムの奴。
・・・そして私を、その懸案事項とやらに巻き込む気か。
新人ハンターを?
鬼畜か、この女!?
「・・・私の手に余る、重大案件だと思うんだが・・・」
それとなく、辞退を申し込むが・・・。
「大丈夫よ、貴方なら」
即座に笑顔で却下された。
むしろ今の、少し食い気味でかぶせてきたぞ。
いや、それ以前に。それ以前に、だ。
その根拠のない自信はどこからやってきた?
今回ばかりはため息を押し殺せず、口から「はあーー・・・」と漏れ出るのは仕方ないと思う。
それが良かったのだろうか?
気付けば、深く考えもせず喋っていた。
「トロルが人里近くまで降りてくるなんて珍しいな。奴らは山奥を住処に好む習性だったはずだが。トロルの変異種か?」
「そうなのよね。変異種の可能性も、低くはないのよ。・・・・・・ところで貴方、少しばかり記憶が戻ったの?」
「えっ?」
「トロルの生態を少なからず知っている口ぶりだったわよ、今の発言」
「・・・・・・そう言われれば確かに。何故か、口が勝手に動いていたな」
「無意識に?・・・貴方、もしかしたら記憶を失う前も、ハンターを生業にしていたのかしら?トロルの生態なんて、一般人は知らないわよ」
「・・・どうなんだろうな?よくわからない」
「・・・経緯はどうあれ、良い傾向ね。例えどんな内容でも、思い出すという過程を経るのが、記憶を取り戻すのに大事なことだから。そのうち、自分自身のことも何か思い出せるようになるわ、きっとね」
「そう・・・だな」
そう願いたい。
だが何故だろう?
早く記憶を取り戻したいと思うと同時に、不安にも駆られるこの心情は?
私は思い出したいのか?
忘れてしまった過去を。自分自身を。
・・・何を考えているんだ、私は。
思い出したいに決まっている。自分が何者なのか分からない、こんな不安定な心理状態。
このままでは、生きていること自体に、虚しさを感じてしまいそうで怖い。
こんなの、長く続いてほしいわけが・・・ない。
「・・・支部に戻ったら、行方不明になっているハンターを調べてみるよ。もしかしたら、何か貴方に関する情報が得られるかもしれないし」
「・・・すまんな」
「こういう時は、ありがとうでしょ?でも、あまり期待はしないでね。行方不明になったハンターなんて、それこそゴマンといるんだから」
「ああ。・・・ありがとう」
「どういたしまして。・・・さて、話をトロルの件に戻すけど、確かに不可解なのよね。なぜこんな人里にまで降りてきたのかが。知能が高いからこそ、むやみやたらと動き回る習性なんて、トロルにはないはずだし」
「やはり変異種の可能性が一番濃厚か?」
「そうなんだけど・・・もし、もしも仮にだけど、通常のトロルが普段はしない行動を、とらざるを得ない状況にあるとしたら?」
それはつまり・・・。
「よほどの事態、か」
「それが人の手による人為的なものか?はたまた自然によるものなのか?・・・どちらにしても厄介ね。基本的にトロルは人間を食料程度にしか見ないから」
「一つ聞くが、トロルのような魔獣クラスが、村を襲ったらどうなる?」
「トロル単独でも壊滅よ。・・・幸いと言うべきかしら、トロルの足は遅いから、よほど接近されていない限り、昼間であれば逃げられるわ。夜間は・・・厳しいと思うけど」
そうだろうな。
人間は基本的に夜目が利かない。
特殊な訓練をしていれば、ある程度は見えるだろうが、それでも魔物に比べれば見えていないのと同じだろう。
夜というのは、それだけで人間には不利な環境なのだから。
「急いで対処したいところだけど、情報が足りないのよね。トロルの足取りを追うにしても、村人たちの目撃情報のみ。しかも複数ヶ所から。これが一ヶ所だけだったら、対応は簡単なんだけどね」
「・・・・・・・・・そうか、だから私は助かったのか」
ずっと不思議に思っていた。
なぜ、べルルクの縄張りと知っていたのに、あんな辺鄙な場所にメルヘイムがいたのか。
その疑問がようやく今、氷解した。
「あれ?たどり着いちゃった?」
「ああ。あの時、メルヘイムはトロルの手がかりを探している途中だったのか」
「バレたか」と、メルヘイムが微苦笑する。
「あまりにも手がかりがないから、無駄足かなって分かっていたんだけど、結構トロルの探索範囲を広げたのよ。その結果、ベルルクの縄張り内で、唯一生き残っていた貴方を見つけた。肝心のトロルは、けっきょく見つからなかったけどね」
「・・・皮肉なものだな。トロルのおかげで、今も私がこうして生きていられるなんて」
「卑下しないで、プラスに考えたら?俺は運がいい。強運の持ち主だ、とかね」
「・・・なるほど。そういう考え方もあり、か」
「あるある。さて、その助かった命でトロル捜し、手伝ってくれる?」
結局、そこに行き着くのか。
だがまあ、今の流れで断る選択肢はないだろう。
「わかった、微力ながら手伝う」
「ありがとう。見つけた場合、ちゃんと報酬は払うから。発見さえ出来れば、あとはどうにでも出来るから」
「他のハンターは動いていないのか?・・・まさか私とメルヘイムだけで捜している、そんなわけないよな?」
「トロルが確実にいるという証拠がないから、少人数しか動いていないわ。何事も、先立つ物がないと人は生きていけないでしょ?協会側からしたら、不確定情報に、余り予算は動かせないのよ」
「だからこうして支部長自ら動いて、少しでも予算を浮かせようと?」
世知辛い世の中だな、おい。
「泣けてくるでしょ?予算は有限。無限には存在しないのよ」
・・・そのわりには、私の装備品一式に大金をポンと払っていたが。
言葉には出さない。
藪を突いたら、蛇以外のナニカが出てきそうだ。
「ちなみに、動いているのは全員が下位ハンターだから、トロル退治には期待しないでね」
「下位ハンター?」
「ええ。説明は・・・してなかったわね。ハンターにも、上位、中位、下位のランクわけがあるのよ。ちなみに上位ハンターになる条件は竜殺し。中位は魔獣殺し。下位が魔物殺しよ」
上位ハンターになる条件が竜殺し?
達成した人間がいるのか?
「・・・上位ハンターは今、何人いるんだ?」
「今のところ、ハンター協会が把握している限りでは三人ね。たまに討伐したのに申告しないハンターもいるから、正確には何人いるか、わかんないんだけどね」
討伐したのに申告しない?
そんな奴がいるのか?
何でだ?
「・・・理解できないんだが、なんで申告しないんだ?上位ハンターになった方が、優遇はされるんだろ?」
「もちろん、上位ハンターになれば色々と特典があるわよ。でも・・・なかには変わり者のハンターもいるのよ。あたし個人でも、二、三人ほどそういう人物に心当たりあるし。ちなみにその内の一人に聞いたのよ、その理由を」
「それで?正直に答えてくれたのか?」
メルヘイムを煽るつもりはない。
ただの素朴な疑問だ
だが、メルヘイムはその状況を思い出して、少しばかり苛立っているようだ。
やや語気を強めに、まくしたてる。
「はっきり明言したわ。支部長である、このあたしに。その本人いわく、面倒くさい。その一言よ」
「・・・・・・」
想像以上の変わり者だな、そのハンターは。
「まったく、ふざけた女よ」
しかも女ハンターかよ。
ことごとく、私の予測の上をいくな。
「今頃、どこで何してるのかしら?・・・気ままにやってるわね、うん」
あっ、メルヘイムの目が虚ろになっている。
現実に引き戻してやろう。
「つまり、私たちが追うトロルは本来、中位ハンターに任せるべき相手だと」
「・・・そうね。下位ハンターでは、手に負えないわ。あくまでも今回の下位ハンターに期待しているのは、索敵要員としての働きよ」
「・・・功名心に、はやらなければいいんだが」
「手柄欲しさに?トロルを討伐して一気に中位ハンターの仲間入りって?・・・・・・ないと言い切れないのが、悔しいわね。こういうのは昔からだけど、自分の実力を過信している下位ハンターが多いのよね。・・・不安だわ」
そんなメルヘイムの心配は杞憂に終わった。
・・・そう言えれば良かったのだが。
事態は、悪い方向へと動いていく。