襲撃
優雅に荷馬車に揺られて、かれこれ三日目。
未だに目的地には到着していない。
道中、森を抜け、山を一つ越えたが、未だに、だ。
いったい、どこまで連れて行かれるのだろうか?
体力仕事とはいえ、傭兵たちの疲れも目に見えるほどだ。
そろそろ休憩が必要なのでは?
そんな私の思考と被るように、傭兵頭が休息を宣言。その途端、傭兵たちはその場に座り込んだ。
口々に軽い愚痴をこぼしている。
やれやれ、出発時の規律さはどこへやらだ。所詮は傭われ兵。
こんな無防備な時に、魔物に襲われたらひとたまりもないな。
・・・・・・待て、魔物?
そんな生物、存在したか?
「お前ら!だらけるのはいいが、周辺の警戒は怠るなよ!死ぬのは勝手だが、巻き添えはごめんだぞ!」
「ひでえぜ、お頭!」
「でもよう、頭数減ったら、その分は残った奴らの取り分が増えるんじゃねえか?」
「なるほど!よし、お前の犠牲は無駄にしねえぞ」
「なんでオレが死ぬ前提なんだよ!お前が死ね!」
「まあまあ、二人が死んだら、おれが二人の分もらってやるから」
「「お前が死ね!!」」
そんな他愛のないやり取りに、傭兵たちは笑い声をあげる。
なるほど、あの傭兵頭は上手いこと、このならず者集団を束ねているようだ。
少なくとも、疲労が決して軽くはないであろう状態でも、団員が軽口を叩き合える程度には、信頼関係を構築している。
それに・・・傭兵頭だけは休憩中でも・・・いや、だからこそなのか。気を抜いていない。
全周囲に神経を尖らせている。
だからこそ必然なのだろう。
異変にいち早く気付いたのは。
「!?・・・お前ら、魔物だ!!荷馬車を中心に方陣!!」
傭兵頭の叫びに、すぐさま傭兵たちが真剣な顔つきに変貌、各々が武器を手に殺気立つ。
そこには、先ほどまでだらけていた、ならず者集団はいない。
戦いを生業とする、戦闘のプロフェッショナルだけが存在した。
「えっ?えっ??」
そんな状況の急変化に、主だけが置いてけぼりだ。
どうやら、こういう修羅場には慣れていない様子。
その意味では、私と同じ境遇の労働奴隷たちも一緒か。
全員が少なからず動揺しており、不安な面持ちだ。
そういう自分は?
私であり、私でない誰かが、客観的に問う。
・・・私はこういう状況に慣れている?
自分だけは大丈夫。自分は死なない。
そう思い込んでいるのだろうか?
それとも、もう駄目だと、諦めの境地に行き着いたのか?
・・・・・・どれも、違う気がする。
ならば、なぜ?
自分自身が何者なのかわからない。現状、その不安の方が私にとっては深刻だった。
魔物の襲撃など、後回しに考えられるほどに。
だからこそ、怖いのだ。
私は、何だ?
荷馬車の外では、傭兵たちと魔物の怒号と悲鳴が嫌でも聞こえてくる。
外の状況は音でしか伝わってこない。荷馬車の中と外は、別の世界として隔離されているから、仕方ないと言えば仕方ないのだが、このままでは拙い気もする。
だが、主の、もしくは傭兵たちの許可なく荷馬車の外に出て、好き勝手に動き回れば、逃走する気かと疑われ、最悪の場合、魔物と一緒に殺される可能性は・・・高い。
故に、このまま荷馬車から動かないのが、奴隷という身分では正しい判断だ。
だが・・・それは家畜の思考だ。
嵐が通り過ぎるのを待つ。
だが、魔物がこのまま黙って通り過ぎるだろうか?
傭兵たちが全滅している可能性もある。
まだ外では剣戟の音は止んでないが、明らかに襲撃当初より減っているし、人間のものと思われる悲鳴の方が多く聞こえる。反面、魔物の威圧するような叫びは絶好調だ。
それとも、こういう状況だからこそ、悪い方向へと考えてしまうのだろうか?
いや、不思議なことに、私はこの状況下でも焦ってはいない。
正常な思考。
少なくとも、自分ではまともだと認識、判断できる。
ならば冷静にこの状況を整理すれば・・・どうにもこちら側は劣勢なようだ。
魔物の高揚した絶叫、人間側の苦痛に呻くあえぎ声が、嫌でも絶望的状況を伝えてくる。
音だけでこれだ。外の様子が私の予想通りの地獄なら、視覚で認識した途端、一般人ならそれで心が砕け、無抵抗に魔物に食われるだろう。
・・・このまま大人しく荷馬車内に居ても死ぬだけだ。
遅いか、早いか。時間だけが差異に過ぎない。いや、死ぬ心構えくらいは出来るだろうか?
・・・・・・無理だな。
ならばどうするか?答えは一つ。やれる事をする。
どうせ死ぬにしても、やることをやりきってから死んだ方が、後悔が少なくて済むだろう。
奴隷だからといって、手足を常時拘束されていなかった事を主に感謝しながら、私は躊躇うことなく、荷馬車の外へ出ようと動き出す。
その途中、それに目ざとく気付いた他の奴隷が躊躇いながらも「お、おい」とか制止する動きを見せるが、それはフリだ。
自分は止めようとした。
そんな免罪符目当ての行為。
根っからの奴隷気質がにじみ出る行動だ。
だからこそ、私も聞こえないフリをする。いちいち相手にする時間も勿体ない。無視だ、無視。
私は家畜ではない。
そんな自負があったから。
しかし、私が荷馬車の外へ出ようとした直前、何かが荷馬車にぶつかった音と衝撃で強制的にそれは中断。
そして、その後に続いたのは男の野太い悲鳴。
悲鳴の発信源は、先ほど私を制止しようとした奴隷の口からだった。
その表情は驚愕。いったい、何が起きたのかすら理解できていない顔だ。
・・・それは本人だけに限られた事柄なんだが。
なんせ私を含め、他の奴隷はソレを客観視できる立場にいるのだから。
悲鳴をあげた奴隷の腹部からは、刃物が突き出ていたのだ。子供でも、何が起こったのか理解できる。
・・・突き刺された本人は、混乱の極致だろうが。
荷馬車の床に飛び散った、少なくない血液が、それを現実だと、各々の思考を強引に引き戻す。
「う、うわあああああああああ!!!」
「な、なんだよ、これ!?なんなんだよ!!」
今までの寡黙ぶりが嘘だったように、屈強な労働奴隷たちが騒ぎ出す。
どうやら、命の危機的状況にようやく自我が蘇り、脳みそが再起動したようだ。
家畜のように過ごしていくであろう、奴隷の未来に絶望していたのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、少しばかり遅い。
私は即座に、荷馬車の床に伏せた。
誰もがそんな私の行動に気付かず、混乱したままだ。
だが私の予測が正しければ次は・・・・・・荷馬車の壁を、無数とも思える槍の刃先と思われる刃物が、次々と突き破ってきた。
突き立てられた槍の数は、荷馬車内にいる奴隷の数を軽く上回っている。
ある者は首を、胸部を、腕を、足を負傷し、「痛い!痛い!!」と口々に叫んでいる。
そんな阿鼻叫喚の地獄とも思える環境で、私の思考は正常に働いてくれる。
おそらく、魔物が荷馬車の全周囲を囲んでいる。武器は十中八九で槍。
ということは、道具を使えるだけの知性と、器用さを兼ね備えている事実。
厄介。この一言に尽きる。
今の一撃で即死できた奴はまだ運がいい。
そう思う。心の底から。
槍が一旦引き抜かれ・・・即座に突き立てられる。
一回目よりは少ないが、悲鳴が広くもない荷馬車内に響き渡る。
そしておそらく、外にいるであろう魔物たちにも、それは聞こえていたのだろう。
興奮したように、何かを叫んでいる。もしかしたらそれは、歓喜の雄叫びかもしれない。
しかし・・・今のでも死ねなかった奴は相当、運が悪い。
そしてそんな運の悪い奴は、現状を正しく理解できていない。
体の各部・・・もはや止めを刺されなくても失血死は免れない状態だというのに、荷馬車から出ようと動いている。
いや、これこそが生きようとする力。生存本能、生きる意志というやつか。
まあ、それ一つだけで生き残れるほど、現状は甘くないのだが。
本能と知恵。これを併せ持つからこそ人間なのだ。本能で生きていいのは動物だけ。昨今、魔物すら本能だけでは生きてはいないだろうに。
生きようと抗う誰かが、床に伏せて無傷の私の背中を踏んでいくが、うめき声も出さず我慢する。
そうしている間にも、槍は引き抜かれ・・・三度目の攻撃。
私はもちろん、これを無事にやり過ごす。
その際、もはや誰の悲鳴も聞こえなかった。
だが、私を踏み越えて行った名も知らない誰かも、三度目の攻撃は奇跡的に生き延びたようだ。
そしてようやく荷馬車の外に出ようとしたと同時に、その顔面に槍が深々と突き立てられた。
槍は勢い余って男の後頭部を軽々と突き抜けてしまい、抜くのに一苦労している。
うん、アレは誰がどう見ても即死だ。