有効期限
「そうだ、ホクト。身分証を持って来たか?」
三人と一匹でアパートを出発してから、ライトが思い出したように聞いてくる。
「ああ、持ってきたけど。なんで?」
すると、ライトが見せてほしいと手を差し出した。
僕は慌てて身分証をポケットから取り出す。表にはこんな文字が記されていた。
ホクト――これは僕の名前だ。昨日僕がマジックで書いた。
六五○○万二○一六年五月七日発行――これは僕の誕生日……らしい。
身分証をライトに渡すと、彼はカードを裏返して、そこの書いてある小さな文字を指差した。
「ここの最後の部分を読んでみな」
僕は身分証を受け取り、立ち止まって目を凝らす。歩きながらでは読めないくらい字が小さい。
『この身分証は、発行日より一万年間有効です』
「い、いちまんねん!?」
見間違いじゃないよな……。有効期限が一万年とはどういことだ?
「違う違う、その次」
ライトが顔をしかめて身分証を覗き込む。
どうやらライトにとっては、有効期限が一万年ってことは重要ではなさそうだ。とてつもない数字なのに。
僕は目を細めて、後に続くさらに小さな文字を読んだ。
『また発行日より三日間のみ、市内のすべての店舗や交通機関にてフリーパスとして使用することができます』
えっ、フリーパス?
フリーパスっていうのはどういうことなんだ? もしかすると、この身分証を使えば三日間は何でも買えるってこと?
顔を上げると、ライトがニヤニヤしている。
「ホクト様、今日はご馳走になります」
アンフィもなんだか嬉しそう。さてはこの二人、これが目当てだったんだな。
「でもさっきはなぁ。女の子の格好をさせられそうになったしなぁ……」
わざと渋い顔をすると、今度はライトが手を合わせた。
「さっきはゴメン。ホクトの新たな可能性を発掘してあげたかったんだよぉ~」
「えー、まだそんなこと言うの」
「いや、本当にゴメン。この通り謝るからさ……」
それでもまだ僕が渋い顔をしていると、ライトはだんだん開き直ってきた。
「だって、ほら、フリーパスってこと教えてあげたじゃん。普通気がつかないぜ、こんな小さい文字……」
あまりにライトの態度がいじらしいので、僕は可笑しくなってぷっと吹き出した。
「あはははは。お返しだよ、ライト。いいよ、ご馳走してあげるよ。今日はパッとやろう」
「待ってましたぁ~」
「きゅるるるる!」
ライトとアンフィはもちろん、なぜかシリカも大喜びしていた。
街に向かっていると、ギュルルゥと自分のお腹が盛大に鳴った。
「そういえばライト、僕はまだ朝食を食べていなかったんだよ」
「きゅるるるる……」
シリカもお腹が空いたという顔をしている。
「じゃあ、まずは腹ごしらえしようぜ」
ライトの提案で三人と一匹はレストランへ向かった。
しかしそこでトラブル発生。
「申し訳ないのですが……」
僕達は店員さんに入店を断られてしまったのだ。
「えっ? ダメなんですか?」
「ごめんなさいね、動物の入店はダメなんですよ」
「きゅるるるる……」
悲しそうに鳴くシリカ。
シリカは僕の大切な友達だ。除け者にするわけにもいかない。
仕方が無いので、僕達は石畳の広場に面したオープンカフェに腰を下ろす。さすがにここなら大丈夫だろう。
僕は、サンドイッチとミルクと人数分のコーヒーを注文するためレジに行く。恐る恐る身分証を提示すると――ライトの言う通り無料になった。『おめでとうございます』という祝福の言葉と共に。
「すごいよ、本当にタダだったよ」
コーヒーのトレーを持って興奮ぎみに席に着くと、ライトが人差し指を立てて口に当てた。
「しーっ! ホクト、あまり大きな声で言わない方がいいぞ。身分証目当てで人が集まっちまうからな」
身分証目当て第一号が何を言うか、と思ったが、本当に人が寄ってきたら面倒臭い。
「そうだね」
そう言いながら、僕はキョロキョロと周囲を見渡した。
日曜日ということもあり、噴水のある広場には多くの人が集まっている。散歩をしている人、出店で買い物をしている人、みんな明るい顔をしていた。
でも、女装している男の人は一人も居ない。
あのままスカートを穿いて外出していたら――僕はきっと注目の的になっていただろう。
「ホント。日曜日はみんな女の子の格好をしてるよね」
皮肉たっぷりにライトの顔を見る。
「もうカンベンしてくれよ、ホクト。本当に悪かったからさ……」
アンフィは隣で、だから悪いことはするもんじゃないよと笑っている。
「じゃあ、いろいろと分からないことを教えてくれる?」
「わかった、わかったよ。何でも聞いてくれ」
ライトは僕が買ってきたコーヒーを一口すすった。
「じゃあね、まずはこの身分証」
僕は身分証をテーブルの上に置く。
「ここに書いてある有効期限って、どうして一万年なの?」
すると、アンフィの口から驚きの真実が飛び出した。
「だって、私達って消えるまでに千六百年くらいかかるでしょ」
「えっ、千六百年!?」
僕が驚くと、アンフィが呆れた顔をしてライトの方を向く。
「なによ、ライト。あんた友達面してそんなことも教えてあげてなかったの?」
「いやぁ、レディウ人がラジウムで出来ている、ってとこまでは話したんだけどさ」
まあ、もしライトが教えてくれたとしても、昨日はいろいろなことがあり過ぎて記憶に残らなかったに違いない。
それにしても千六百年とは長い。
しかし、身分証の有効期限がそれよりもはるかに長いのは何故だろう?
「じゃあライト、教えてくれよ。消えるまで千六百年、というのは今の話で分かったとして、なんで有効期限は一万年もあるんだよ?」
「あはははは、これがまた難しいんだな。忘れちゃったけど」
ライトは頭を掻いている。やっぱり分からないんじゃん。
すると、すかさずアンフィがフォローしてくれた。
「一言でいうと、半分くらいの人が千六百年くらいで消えちゃうんだけど、中には数千年消えずにいる人がいるってことらしいの。私も詳しいことは忘れたわ」
なんだ、二人とも詳しくは知らないのか……。
これもラジウムという物質の特性なのだろう。学園に行った時に詳しく聞いてみるしかないな。
それにしても千六百年とはなんて長い年月なんだろう。
「その間、死なないしな」
そしてライトがポツリと言う。
「ええっ、死なないってどういうこと?」
「文字通り、消えるその時が来るまでは死ねないのよ」
ちょうどその時、サンドイッチが運ばれてきた。
食事をしながら、僕はライトとアンフィからレディウ人の特徴について聞く。それはざっと次のようだった。
レディウ人は、現れてから千六百年くらい経つと突然消えてしまう。
それは、ラジウムという物質の特性らしい。
そして消えるその時が来るまでは、死ぬことはない。
事故や病気などで瀕死の状態になっても、翌日には元の状態に戻っているという。
ただしその際は死に相当する痛みや苦しみを伴うので、わざわざ試そうという人はいない。
死ぬことがないので、殺人事件も起こらない。
「じゃあさ、死なないんだったら食べなくてもいいじゃん」
僕はサンドイッチをほおばりながら聞いてみる。
「でも腹は減るだろ? それって嫌じゃん。この星の人は、生きるためじゃなくて、自分の欲望を満たすために生活してるんだよ」
ライトにしてはなかなか興味深い言葉だった。
「太古の時代、ラジウムはただ単に物質として存在していたらしいわ。出現して、時間が経つと消えて行くだけの物質。しかし数億年かけて、私達は楽しみを求めて進化を続けてきたの」
アンフィは空に浮かぶ雲に視線を向け、静かに語り出した。
「最初は原始生物に始まり、両生類、爬虫類、そして哺乳類。楽しみを求め、楽しみを享受できるように進化した。その最終形が今のレディウ人としての形態らしいの。あっ、これはすべて、ジンク先生の受け売りだけどね」
「ジンク先生って?」
「学園の生物学の先生よ。ホクトも授業を受けてみたら?」
「覚えておくよ」
「先生の説ではね、レディウ人は一番活動的な格好で出現するように進化したらしい。つまり、私たち若者ってわけ。最も活動し、最も悩み、最も吸収し、最も発散し、そして一人でもなんとか生活できる形態の代表は若者なの」
なんでも現代のレディウ人は、出現する時に若者の格好をしており、年齢を重ねるにつれて老人の格好となるらしい。年齢を重ねると言っても千六百年もかかる。だから、一年や二年の歳の差は、見た目では全く分からないという。
また、レディウ人の成人は百歳と決められているそうだ。百歳と言っても、外見は誕生したばかりの若者とさほど変わらない。そして成人になるまでは、学園に通ってお金を貰うことができる。一方、成人になるとその後はずっと働いて税金を納めなくてはならない。それが千五百年も続くわけだから、市にはお金がたんと貯まるというわけだ。若者のための授業料やアパート代としてお金が豊富に用意されているのも、そういう理由だった。