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レディウム  作者: つとむュー
エピローグ
44/44

ミモリの花

 十分くらい歩いただろうか。前方に目印の重し石が見えてきた。

 この場所に来るのは、二年ぶりだ。

 懐かしい。

 二年前の嵐の日、シリカはミモリの花のつぼみを必死に守った。そして僕たちが駆けつけて、風よけとしてバケツをかぶせ、その上に重し石を置いた。

 つぼみが花を咲かせた今も、重し石は花の前に置かれたままになっている。

 そしてシリカは、重し石の右横で、僕に膝枕をされたまま消えてしまった……って?

「えっ?」

 二年前にはなかったものを見つけて、僕は驚く。

 ――ミモリの花。

 シリカが消えた場所には、一輪のミモリの花が咲いていたのだ。

「いつの間に?」

 僕は小走りになって花に近づく。

 周囲の花と同じように穏やかな風に揺れるミモリの花。その花はまるで、シリカのお墓のようだった。

「この花の……、香りから嗅いでみるか……」

 僕は意を決し、ゆっくりと鼻を近づけた。


 ふっと意識が宙に舞う。

 まるで、自分が何かに乗り移ったかのように。

 僕の意識は、あっという間に無機質な灰色の病室に飛んでいた。

 見えるのは、ベッドに横たわる一人の若い男性の姿。

「ええっ!?」

 その男性は、手術をした直後のレディウ人の僕だった。

 意識の主は男性から毛布を奪い取って体に巻き、そして毛布と一緒にベッドに潜りこむ。

「これって……」

 意識の主はナース姿になり、ライトと一緒に街で買い物をする。そしてアパートのベッドで横になるが落ち着かなくて眠れない。

「あの時のシリカの意識じゃないか!?」

 目まぐるしく変わるシーンの中で、僕は確信した。

 これは正に、入院していた僕の目の前でレディウ人になったシリカの意識だった。

 しかも驚いたことに、その人になったかのごとく五感や感情を共有することができるのだ。

 買い物に疲れたシリカの意識は、パジャマを持参して僕の病室にたどり着く。

 そしてベッドに潜りこんで僕のぬくもりに触れた。

 ――懐かしくて、心地よい。

 幸せな感情が意識を満たしていく。

「あいつ、僕の隣でこんなにもくつろいでくれてたんだ……」

 それはすごく嬉しかった。

 その後、意識は女の子たちと一緒に買い物をして、化粧の練習をする。翌日はバイトの後、病院に行き、僕の車椅子を押しながらミモリの森にたどり着いた。

 そして最後のシーンは、ミモリの花畑で僕に膝枕をされて眠りにつくところだった。

 ――こんな穏やかな時間が永遠に続けばいい。

 シリカも同じ気持ちに満たされていたことを知って、胸が一杯になる。


『この『四』という数字にはいろんな説があっての、レディウ人の魂だと言という人もいるんじゃよ。記憶という人もおる』


 ジンク先生の言葉が脳裏に蘇る。

 やっとわかった、すべての謎が。

 記憶と一緒に失われる『四』という数字。

 それが光の玉となり、光の玉が発芽したものがミモリの花となる。

 その正体は、失われた記憶そのもの。

 光の玉はトリティにしか見えず、したがってミモリの花はトリティにしか咲かせることができない。

 つまり、ここに咲いているのはレディウ人の記憶じゃなくて、トリティの記憶なんだ。

 レディウ人に変身してしまった仲間の記憶にいつまでも触れ合うことができるように、トリティが咲かせている花だったんだよ。

 トリティが守っていたのは森ではなくて、この花畑だったんだ……。



 僕はシリカの記憶の花から離れると、重し石の方を向く。

 ――シリカが必死に守ったミモリの花。

 これも誰かの記憶なのだろう。

 誰の記憶なのかは、簡単に想像することができた。

 僕はゴクリと唾を飲んで、ゆっくりと花に鼻を近づける。

 意識はあっという間に、五万年という月日をさかのぼってしまった。

 ミモリの森で焦げ茶色のトリティとして誕生した意識は、真っ白なトリティと出会う。

 ――口元の黒い斑点が特徴的なトリティ。

 それはシリカだった。

 つまりこの記憶は、トリティだった頃の僕の記憶だったのだ。

 運命的な出会の後、二人は五万年の月日を恋人同士としてこの森で過ごす。しかし、シリカは十年前にレディウ人になり、その二年後にアクチニウム化を経てトリティに戻った。

 ――夢に出てきた青白く光る女性。

 僕がこの場所で倒れた時に頭の中に入ってきたのは、この記憶だったのだ。

 もともとは自分の体の一部だったものであるから、シンクロし易かったのだろう。

 意識のシーンの最後は、この花畑で体の異常を感じるところだった。


 今度は僕は、この花の右隣に移動する。

 そこに咲いているのは、シリカが消える直前に香りを嗅いでいた花だ。

「なんと……」

 意識がはるか宇宙に飛ぶような感覚。

 今までの花とは次元が違っていた。時間感覚が全く異なっている。

 何億年、いや何十億年という月日を意識が遡っていく。

 意識は恒久的な日々をトリティとして過ごし、最後の五万年に運命のトリティと出会った。

 そのトリティは、今の僕と同じ焦げ茶色のトリティだった。

「これは、神様のトリティだった頃のシリカの記憶じゃないか……」

 お互いに好きで好きでたまらない。

 この存在なしでは生きていくことができない。

 そんな愛が溢れていた。

 それはシリカとここでキスした時と同じ感覚だった。

 きっとネフィーは、この花の香りを嗅いでしまったのだろう。


『あの花畑には、シリカさんの五万年分のあなたへの愛が溢れている』


 ネフィーのこの言葉の意味がやっとわかった。

 さぞかし彼女は心を痛めたに違いない。

 ――シリカの深愛とネフィーの傷心。

 嬉しくもあり悲しくもあり、僕は複雑な気持ちにいたたまれなくなる。

 その時。

「やっぱり、ここに居たか……」

 背後からかけられた言葉に、ビクッとして振り返る。

 そこにはライトが息を切らしながら立っていた。


「せっかくネフィーがレディウ人になったというのに、肝心のお前がいないから探し回ったんだぞ」

「きゅるるる、きゅるるる!(ゴメン、ライト。でもこれはネフィーの指示に従った結果なんだよ)」

 僕は必死に弁明する。

 それを聞いてライトは表情を崩した。どうやら言いたいことは伝わったようだ。

「何を言ってるのかわからないけど、自分が悪いことだけは理解したようだな」

 いやいや、そんなことは言ってないけど。

 でもライトが機嫌を直してくれたのだったらそれでいい。

 すると、ライトは遠くの森に目を向けた。

「ネフィーはレディウ人に戻ったけど、本当に俺のことを忘れちゃったんだな。お前もそれが嫌で抜け出して来たんだろ?」

「きゅるるるる……(そうじゃないけど、そういうことにしてやるよ)」

 しばらくの間、二人で花畑を眺める。

 確かに、僕もその場にいたら嫌になっちゃうかもしれない。

 でもこれは、あらかじめ分かっていたこと。ライトがくじけても、僕が折れてはいけないんだ。

 まあ、最初はトリティであることを利用して、ネフィーの胸に飛び込むという手もあると思うけど。

 ――そうだ、ライトならシリカが倒れた場所の花について、何か知ってるかもしれない。

 そう思った僕は、シリカの記憶の花の前に移動し、花を鼻でつつくようにしてからライトを見上げる。

 その仕草を見て、ライトも僕の意図をわかってくれたようだ。

「おお、その花か。それは咲かせるのが大変だったんだぜ」

「きゅるる?(大変だったって、どういうこと?)」

 するとライトが説明を始めてくれた。

「シリカが消えた後な、俺はネフィーとミューさんと一緒にここに来ただろ? その時にネフィーが変だったんだよ、ミューさんにしつこくまとわりついてさ。まるで、シリカが消えた場所を教えろって感じだったんだぜ」

 へえ、そんなことがあったんだ。

「それでミューさんがこの場所を指さしたら、ネフィーは水を撒き始めたんだ。それが一回じゃなかったんだよ。何回も何回も水を運んできて、かなり広い範囲に撒いてたんだ。結局、芽が出てきたのはここだったんだけどな」

 それって……どういうことだろう?

 光の玉の着地点がわからないから、広い範囲に撒いていたってことなのか?

「きゅるるる……(ネフィー……)」

 ネフィーの苦労が目に浮かぶ。

 さっき僕は、耳に水を溜めて運ぶことの大変さを思い知った。

 それを何回も繰り返すなんて、どれだけ重労働だったことだろう。


『ミモリの花って、成長がものすごく早いって言ったよね。つまり、それは最初の水やりが肝心ってことなの』


 ネフィーの言葉が脳裏に蘇ってくる。

 シリカの記憶の花を咲かせようと必死だったのだろう。

 ミモリの花のことを一番分かっているネフィーならではの行動だったのだ。

 そして、彼女はシリカの記憶の花を立派に咲かせてくれた。

「きゅるるる……(ありがとう、ネフィー)」

 次から次へと涙がこぼれてくる。

 ネフィーにはどんなに感謝しても感謝しきれない。

 そんな僕のことを、ライトは静かに見守ってくれていた。


「ホクト、そろそろ行こうぜ。みんながお前のことを待っている」

「きゅるるるる……」

 僕がライトを見上げると、彼は優しく抱き上げてくれた。

 ライトの腕の中で揺すられながら、僕はミモリの花畑を眺める。

 風に揺れるあの花々は、それぞれ誰かの記憶だったのだ。

 その種を、大切に想う存在が苦労して水をあげて花を咲かせた。

 変身してしまったその存在を懐かしむために。

 この世に存在していた証を残すために。

 今の僕ならわかる。

 ミモリの森の開発を阻止したトリティの気持ちが。

 花畑の端に近づくと、ネフィーの光の玉、いや記憶が着地した場所が見えてきた。

 それは僕とネフィーが初めてキスを交わした場所。

 彼女にとっても、あの場所は最も大切な場所だったのだろう。

 それは、あの種が花を咲かせた時にわかるはず。


『私の想いはあそこには無いの。まだね……』

 

 もうネフィーにそんなことは言わせない。

 彼女の想いは、僕が立派な花として咲かせてあげるんだ。

 もし、もしもネフィーがその時にもレディウ人として存在していたら……。

 この場所に連れて来れば、その記憶が彼女に乗り移って、また奇跡が起こるかもしれない。

 だってその花は、かつてはネフィーの一部だったのだから。

 僕が倒れた時のように。

 そして、シリカが倒れた時のように。

「待っててね、ネフィー。絶対、綺麗な花を咲かせてあげるから」

 強い決意を胸にしながら、遠ざかるミモリの花畑を僕はいつまでも眺めていた。




 おわり

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