トリウム
翌日。
シリカはすっかり良くなっていた。
外へ出たがるシリカに、今日は一日部屋で寝ているようにと言い聞かせ、僕はアパートを出る。
二日ぶりに学園に登校した僕は、すぐにジンク先生の研究室を訪れた。
「おっ、ホクト君か。昨日はどうしたんじゃ?」
先生は心配そうに僕の顔をのぞき込む。
「僕と一緒に暮らしているトリティが、その、病気になっちゃって……」
「ほう、それでどうした?」
「死んじゃったかと思ったんですけど、なんとか良くなりました」
「それはよかったのう……」
先生は僕の欠席の理由がわかると、ゆっくりとテーブルの前に座った。僕も先生と向かい合うように椅子に腰かける。
「あの、先生……。トリティは『トリウム』という物質で出来ているって本当ですか?」
僕は早速、あの嵐の夜にネフィーに聞いたことを質問してみた。
「ああ、本当じゃ」
「それで、トリティも僕達レディウ人のように死なないって聞いたんですが……」
「ああ、そうじゃ。トリティも死ぬことはない。違う物質に変わってしまうまではな」
「変わるって、本当にレディウ人になるんですか? トリティって!」
興奮気味に身を乗り出す僕に、先生は困った顔をした。
「それを誰に聞いたんじゃ?」
「友人からですが」
「そうか……。新人は皆、そのことを聞くとビックリしてしまうんじゃよ。だから、順を追って最初からちゃんと教えとるんじゃが……。残念ながら、君はすでに聞いてしまったんじゃね?」
「はい」
もしかしたら先生は否定してくれるんじゃないか。そんなわずかな期待は打ち砕かれた。
――レディウ人はトリティが変身して誕生する。
ジンク先生の言葉は、僕の心の中に重く沈んでいった。
「じゃあ、トリウムの話でもするかの」
今日の授業は、ジンク先生からトリウムについての話を聞くことになった。
僕達の体はラジウム二二六で出来ている。これは三日前に習ったことだ。
そして、そのラジウム二二六に変わるトリウムの名前の後ろにも、番号が付いているという。
『トリウム二三〇』
それが、僕達ラジウム二二六の祖先らしい。
ラジウム二二六とトリウム二三〇。
やはり数字が違う。
「ホクト君。この数字を比べて何か気付くことは無いかの?」
数字? つまり、二二六と二三〇だ。
引き算をしてみると――その差は『四』。
これってどこかで見たことがあるような……。
「先生、四だけ数字が違います」
「そうじゃ、数字が四だけ違う。同じようなことを、どこかで見たことがないじゃろうか?」
先生も同じことを言っている。
そうだ、ラジウムとラドン。
この数字の違いも、確か『四』だった。
「ラジウムとラドンです。ラジウムがラドンに変わる時、数字が四だけ減ってしまうんです」
「正解! よく覚えておったの。新人にしてはなかなかの出来じゃ。今日は金曜日だから、試験を合格にしてあげよう」
そう言いながら、先生は机の引き出しから小さな機械を取り出す。そして僕の身分証にかざした。
ピッっと小さな音が機械から聞こえてくる。
「えっ?」
一体何が起きたのか分からなかった。
僕はまじまじと身分証を眺める。特に変化は無さそうだ。
不思議がる僕を、先生は機械を片付けながら満足そうに眺めている。
「これで、君が校門を出た時にボーナスの千レディをもらえるんじゃ」
「ありがとうございます、先生!」
僕は嬉しくなって、しばらくの間身分証を見つめていた。
「この『四』という数字については、この間話した通り、いろいろな説がある」
先生の授業は続く。
「記憶、もしくは魂、ということでしたっけ?」
「そうじゃ」
そして先生はその理由を説明してくれた。
「レディウ人として誕生する時、誰もがトリティの時の記憶を持っていない。君もそうじゃったろ?」
確かにそうだ。僕にはトリティの時の記憶はない。
「だから、『失われた四は記憶』と考える人が多い」
そうか、四という数字が失われるから、自分についての記憶が無いのか……。
記憶があれば、シリカとの関係も最初から分かっていたはずなんだから。
――ん、待てよ。
ここで僕はあることに気付く。
――シリカもトリティなんだから、もしかしたらそのうちにレディウ人になるんじゃないのか?
もしそうだとすると、それはいつ頃なんだろう?
「先生、トリティがレディウ人になるまでにかかる時間ってどれくらいなんですか?」
それがわかれば、シリカがレディウ人になる時期がわかるかもしれない。
「はははは。それはトリウム二三○がラジウム二二六変わるまでの時間、ということじゃな。そういう時間のことを何て言ったっけな?」
先生は意地悪そうに笑った。まるで、わからなければ先ほどの試験合格は取り消しだぞ、と言わんばかりに。
うーん、なんだったっけな、その時間って……。
僕が悩んでいると、先生は助け舟を出してくれる。
「ほら、ラジウム二二六の半分が変わってしまう時間は千六百年じゃったじゃろ。そういう時間のことじゃ」
千六百年――これはレディウ人の寿命、じゃなくて、レディウ人の半分が消えてしまう時間。だから――
「半減期です!」
「そうじゃ、よく思い出したの」
いや、助かった。これで僕のボーナスは救われた。
「トリティ、つまりトリウム二三○の半減期。これはどれくらいだと思う?」
えっと、ラジウム二二六が千六百年だから……。
「千年くらいですか?」
「はははは。もっとじゃよ」
もっと長いのか? それは一体どれくらいなんだ?
「五千年?」
「まだまだじゃ」
えっ、もっと? じゃあ、一万年とか?
「トリウム二三○の半減期はの……」
僕はゴクリと唾を飲む。
「七万五千年じゃ」
な、七万五千年!?
なんという永さなんだ。
それが本当なら、シリカがレディウ人になる前に僕は消えちゃうじゃないか!?
僕は愕然とした。
僕はシリカがレディウ人になるのを待とうと思っていた。
シリカが本当にメスだったら、どんな女性に変身するのか見てみたい。
しかし、その半減期は七万五千年という。一方、僕達の半減期は千六百年。このままでは、シリカがレディウ人になる前に僕は消えてしまう……。
でも、待てよ。
僕はレディウ人になった……ってことは、トリティだった時の僕の年齢は七万五千年くらいだったってことじゃないのか?
それならば、シリカの年齢も七万五千年くらいで、もうすぐレディウ人になるってこともあり得るかも?
「先生。シリカの、いや、トリティの年齢って、どうやったら分かるんですか?」
そうだ、シリカの年齢がわかれば、レディウ人になるまでの時間が分かるかもしれない。
すると先生は険しい顔でアゴを撫で始める。
「それは難しい質問じゃ。はっきり言って、それはわからん。トリティはしゃべれんし、身分証も持っておらんからの」
八方ふさがりか。本当にトリティの年齢を知る方法はないのだろうか?
しかし先生は気になることを僕に告げる。
「それに、もし年齢が分かっても無意味じゃ」
「えっ、それは何でですか?」
「なぜなら、半減期が七万五千年といっても、たった千年でレディウ人になるトリティもおるし、十万年以上もレディウ人にならないものもおるからじゃよ」
うーん、よくわからない。それはどういうことなんだ?
僕がぽかんとしていると、先生は説明を追加してくれた。
「トリティが百匹おったら、七万五千年経つとだいたい半分はレディウ人になる。分かるのはそれだけじゃ。一匹一匹を見ると、いつレディウ人になるのかは全く分からないんじゃよ」
まだよく理解できていないが、先生がそう言うんだからそうなんだろう。
要は、シリカがレディウ人になるのを待つのは無意味だということ。それだけはわかったような気がした。
「じゃあ、今週の授業はこれで終わりじゃ。来週も来てもええぞ。午前中は空いてるからな」
「えっ、そうですか? ぜひ、授業を受けに来ます」
よかった、まだまだ先生に訊きたいことがあったんだ。
僕は来週のことを考えながら、先生の研究室を後にした。




