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レディウム  作者: つとむュー
五日目(水曜日)
16/44

 午後になると、雨と風が強くなってきた。

 サッカーの授業は中止となり、僕とライトは図書室で暇をつぶす。

 四時限目のレディウ文学と五時限目の生物学を受けているうちに、雨と風はさらに強くなっていた。

「ホクト君、今日はミモリの森に行く必要はなさそうね」

 五時限目が終了すると、ネフィーが窓の外を眺めながら言う。

 確かに。この雨なら水やりをする必要は無さそうだ。

 せっかくネフィーと一緒にミモリの森へ行く約束をしていたというのに、ちょっと残念に思う。

「そうだね、今日は大人しく帰るか……」

 僕は一人でアパートに帰った。


 アパートに着くと部屋は静まりかえっていた。

「おーい、シリカ。帰ったぞ」

 何も反応はない。いつもは玄関で待っているというのに。

 今日は水やりの必要がないから、寝ちゃってるのかな……。

「シリカ?」

 ベッドに行ってみるが、シリカはいなかった。

「どこにいるんだよ……」

 ベランダの窓を見ると不自然にカーテンが揺れている。窓がシリカの体の分だけ開いていて、雨が吹き込んでいた。

 ――えっ、これって……。

 僕は窓の前で立ち尽くす。

 もしかして、シリカは独りでミモリの森に行ったとか?

 でもなんで? 今日は新芽に水をやる必要はないのに。

 その時――吹き込む風にあおられてカーテンがバタバタと音を立てた。

 天候はどんどんと悪化しているようだ。

「おいおい、マジかよ……」

 僕は雨合羽をかぶると、玄関の外に出て隣のライトの部屋のドアをたたく。

「ライト、ライト。いるのか? 返事をしてくれ」

 しばらくするとおもむろに玄関のドアが開く。

「どうした、ホクト。そんなに慌てて」

 ライトが面倒くさそうに口を開いた。

「シリカがいないんだ。ベランダの窓が開いていて、そこから外に出たみたいなんだ」

「本当か? どこかあてはあるのか?」

「おそらくミモリの森に行っていると思う。詳しい場所はネフィーが知っている」

 するとライトは僕の恰好を見て目を丸くする。

「これから行くのか? こんな天気だぞ」

「こんな天気だから行くんだよ!」

「わかった、わかった、怒るなよ。じゃあ、ネフィーに声をかけてみるよ」

「ありがとう。本当に申し訳ない」

 僕は傘も持たずに、雨合羽一つで嵐の中に飛び出した。


 ミモリの森の入り口に着いた僕は、新芽の場所を目指して森の中を進む。

「シリカは本当にここに居るのかな……」

 森の中では風雨はあまり感じなかったが、いつもより一層暗い。たちまち僕は不安になる。

 シリカがいなかったら無駄足だし、ライト達にも迷惑をかけてしまう。

「でも、いるとしたらここしか考えられないし……」

 樹木の中の小路を抜けてミモリの花畑に出る。雨が激しく僕の顔を打ちつけた。やっとのことで新芽のところまで行くと、何か白いものが見えてきた。

 ――シリカだ!

 地面にうずくまり、長い耳で囲って芽を守っている。

 僕は思わず走り出していた。そして、シリカに覆い被さるようにしてひざまずく。

「シリカ、どうして独りで来たんだよ」

「きゅるるるる……」

 弱々しい声で、シリカは新芽の方を見る。すっかり成長した新芽からは、つぼみが顔をのぞかせていた。

「お前、つぼみを嵐から守っていたのか……」

「きゅるるる」

 シリカが僕を見る。疲れた表情が安堵に変わる。

 その瞬間。

 ガクっとシリカから力が抜けた。新芽を避けるようにして横たわるシリカ。新芽を覆っていた耳も今はだらりと力がない。

「シリカっ! シリカぁぁぁっっっ!」

 僕がいくら叫んでも、シリカはピクリともしない。

 レディウ人となったその日から、ずっと一緒にいてくれたシリカ。

 なぜか名前だけは覚えていたシリカ。

 どうしてここに独りで来たんだよ!

 どうして僕を待っていてくれなかったんだよっ!

 涙が次から次へとあふれてくる。

 僕の頭に、背中に、お尻に、容赦なく雨や風が吹き付けた。

 でもそんなことは関係ない。どうか、僕の手の中にいるこの小さな命を救ってほしい。

 心の底からそう祈った。


「おーい、ホクト!」

 二十分ぐらい経っただろうか。ライト達の声が遠くから聞こえてきた。

「ホクト君!」

 ネフィーが僕を見つけて駆け寄って来る。懐中電灯の光が雨粒のカーテンを照らし始めた。

「シリカちゃんはいたの?」

「シリカが、シリカが、死んじゃった……」

 僕は新芽を守りながら、ぐしゃぐしゃの顔でネフィーを見上げる。続いてライトとアンフィもやってきた。

「ちょっと待って……」

 そう言ってアンフィがしゃがみ、シリカを抱き上げる。

「大丈夫よ、ホクト。ちゃんと生きてるわ」

「本当?」

 僕は新芽の前に跪いたままアンフィを見上げる。シリカを抱きながら彼女が見せる笑顔は、僕に元気を与えてくれた。

「シリカは、シリカは生きているんだね?」

「ええ。これから私はシリカをアパートに連れて行く。ネフィー、ホクトに傘を差してあげて。ライトは何か新芽を守るものを持ってくるのよ」

「わかった、お姉ちゃん」

 ネフィーは自分が濡れるのも構わず、僕の上に傘を差してくれた。

「オーケー。バケツと重石を持って来ればいいよな」

 ライトも僕を励ましてくれる。

「ありがとうみんな。本当にありがとう……」

「困った時はお互い様だぜ。すぐ戻るからもう少し頑張れよ」

「わかった」

 こうしてアンフィはシリカを抱いて、ライトはバケツを探しに雨の中を走り出した。


「ホクト君、ひざを上げて。泥だらけよ」

 ネフィーの提案で僕らは向き合い、新芽を囲むようにしゃがんで一つの傘の中に入った。

 新芽には何も問題はなさそうだ。

「もう少しでつぼみが出そうね」

「ああ、この嵐で折れてしまわなくてよかった」

「シリカちゃんが命がけで守ったんだものね。きっと、きれいな花が咲くわ」

 ぜひそうであってほしい。そうでなくてはシリカの苦労は報われない。

「ところで、シリカは本当に大丈夫なのか?」

「そうね。シリカちゃんは大丈夫よ。だって死ぬことはないんだもの」

 ええっ……。

 僕は一瞬、言葉を失った。

 レディウ人も消えるまで死なないと聞いたが、トリティもそうなのか?

「死ぬことはないって……、トリティもラジウムでできているとか……?」

「まあ、そんなようなものだけど、物質が違うの」

 物質が違うって……?

 僕が不思議な顔をしていると、ネフィーが説明してくれた。


「トリティを形作っている物質はね、『トリウム』っていうの」


「トリウム?」

 初めて聞く物質名がまた出てきた。

「そう、トリウムでできているからトリティ」

 トリティの語源って、体を作る物質の名前だったんだ……。

「それはどんな物質? ラジウムのように突然消えちゃうとか?」

「消えはしないわ。トリウムは変わるのよ、ラジウムに」

 えっ? えええっ!?

「変わる? って、ラジウムに……?」

 それってどういうことなのだろう?

 ラジウムは確か、レディウ人を構成している物質のはず。ということは――

「も、もしかして僕達レディウ人は、トリティが変身して誕生するとか……?」

 心の中のどこかで感じていた予感。

 ネフィーはそれは肯定するようにニコリと微笑んだ。


「正解よ、ホクト君。トリティは私達レディウ人の祖先なの」


 それから、僕はネフィーと何を話したのかよく覚えていない。

『トリティは私達レディウ人の祖先なの』

 彼女のその言葉があまりにも衝撃的だったから。

 そうしているうちに、ライトがバケツと重石を持って戻って来た。

 僕はただ立ったまま、ライトとネフィーが新芽の上にバケツを被せているのをぼんやりと見ていた。


 アパートに戻ると、アンフィがライトの部屋でシリカの面倒を見てくれていた。

 シリカはぐっすりと眠っている。

 なんでも、帰りに病院で注射を打ってもらったという。熱が出ているけど、薬を飲みながら安静にしていれば元気になるらしい。

「ホクト。ほら、元気出して。それでシリカのことちゃんと看てあげてね。死ぬことはないけど、苦しみは本物だから……」

 アンフィが暗い顔をしたままの僕を見上げる。

「わかった。アンフィ、本当にありがとう」

 今日はアンフィ達に本当にお世話になった。

 アンフィは普段は天然っぽいけど、いざという時は頼りになる存在だ。それがとても頼もしかった。

「ホクト君も早くシャワーを浴びた方がいいわ。すごいびしょ濡れよ。シリカちゃんは私達がホクト君の部屋に連れて行くから安心して」

 僕に対する心遣いも嬉しい。

「みんな、今日は本当にありがとう」

「困ったときはお互い様だぜ。俺達が困った時はよろしくな」

「そうよ、ホクト君」

「ホクトがシャワーを浴びている間に私達帰るからね」

 ライト達が友達で良かった。僕は思わず涙が出そうになる。

「わかった。シャワーを浴びてくる……」

 涙を見せないように僕は自分の部屋に戻り、浴室に入る。体や顔に当たるシャワーの温かさは、自分が生きていることを実感させてくれた。

 浴室から出ると、シリカは僕のベッドで寝ていた。

 僕はパジャマに着替えてシリカの隣で横になる。シリカはすっかり体温を取り戻していた。

 ――生きている。シリカは生きている……。

 今まで当たり前のように隣に存在していた温もりを、今日はしみじみと噛み締めながら僕は眠りに落ちた。

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