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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第16章 長州へ発つ
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お腹を洗う?

 


 招かれた部屋に入ると、横になり苦しむ男性とその傍らで狼狽えているもう一人の男性、そして義助の姿があった。



「この人は……一体どうしたの?」



 私が郁太郎に尋ねると、郁太郎は簡単に説明し始める。



「鉄砲に当たったのだ」


「鉄砲!? それは大変……って、ところで何処を撃たれたの? 見たところ、血なんて出ていないようだけど……」


「傷が無いのは当たり前だ。何せ、その鉄砲ではないからな。つまり、鉄砲とは河豚の事だ。こやつは藩主の掟に背き、てっさを喰らったのだ。言ってみれば自業自得だな」


「……てっさ?」


「それについては、後々ゆっくりと説明してやる。とにかく、今はそんな場合ではないからな。さて……鉄砲に当たった際に如何様にすれば良いか、何か妙案は無いものかとお前を呼んだのだが……思い当たる策はあるか?」



 郁太郎は私に考えを求めた。


 てっさなんて言葉は聞いたことはないが、郁太郎は河豚に当たったのだと言っていた。


 河豚の毒は猛毒だと聞く。


 これは、どうしたものか……私は頭を悩ませた。



「この人は、河豚をいつ頃食べたの?」



 何かしらの案を思い付くきっかけになればと思い、何気なく尋ねた。



「半刻も経っていません。俺は止めておけと言ったんです。ですが……コイツは、町民から譲り受けた鉄砲を……自分でてっさにして食っちまったんですよ。鉄砲は前にも食った事があるから大丈夫だって……そう言って、食ってすぐに……こんな風に腹を痛がって……」


「……禁を破るとは、愚かな事だ。お前達は、御家断絶も覚悟しておいた方が良いな」


「そ……そんな……俺は……止めたのに……」



 ボソリと呟いた義助の言葉に、男性は青い顔で口をつぐんだ。



「今はそんな事を言っている場合じゃないでしょう? 家がどうこうより、この人自身が死にかけているのよ?」


「…………すまん」



 義助は小さく謝る。


 その間にも、私は頭を巡らせていた。



「郁太郎先生……この時代では河豚の毒に当たった時、どんな治療をしているの?」


「これといった治療などない。ただ、運の良い者は生き延びるが……大抵が死に至る。だからこそ、鉄砲を食う事は禁じられているのだ」


「…………そう」



 郁太郎がそう言うなら、その通りなのだろう。


 運良く生き延びるのを待つしかない……そう気持ちが傾き始めた時、不意にある考えが思い付いた。


 経口摂取してしまった毒……そうか!


 食べて間もない今ならば、もしかしたら……あの手が使えるかもしれない。


 ……お腹を洗おう!


 そう思いたった私は、ゆっくりと口を開いた。



「洗う……胃の中を洗って……空っぽにするのよ!」


「胃の腑を洗う、か。そうだな……理論上はそれが最善だろう。だが、その策は現実的な答えではないな。腹の中を洗うなど無理な事……腹を割いてしまえば、それこそ死んでしまうだろう」


「違うよ、お腹を切らないで洗うのよ! 確か……河豚の毒も、胃洗浄の適応だった気がする。私が荷物を取ってくる間に、大量のお湯を沸かしてもらって。あとは、炭を細かく砕いておいてほしいのと……油を用意しておいて。勿論、天ぷらとかに使うような食べられる油ね。他にも、大きな桶や……そうね、酒瓶もあると助かるわ。とにかく……準備しながら、ちょっと待ってて!」



 部屋から飛び出した私は急いで自室に戻ると、教科書と道具を鷲掴み、先ほどの部屋へと戻った。



「湯は今沸かさせている。炭はあの者が砕いているところだ。桶と油はここに……酒瓶はあるにはあるが、まだ中身が入っているぞ?」


「ありがとう。酒瓶は……中身は要らないわ」


「なっ……何をしている!? 酒を捨てるなど……おっ、おい! 瓶という物は、大変に貴重な物なのだぞ!?」



 酒瓶の中身を桶に捨てた上に、瓶を庭の石に当てて割った私に、義助は大声を上げた。



「ケチ臭い事を言わないの! 武士になったんだから、また買えば良いじゃない。そんな事より、人命救助が先決よ」


「そう……だな」



 私の言葉に、義助がそれ以上反論する事はなかった。


 沸いたお湯が程よく冷めるのを待つ間に、私は郁太郎と義助の前に教科書を開き、胃洗浄について簡単に説明する事にした。



「それで……どの様にすれば良いのだ?」


「その絵の通り、この管を口から胃の中まで入れるのよ。嘔吐は今のところ無いみたいだから、今ならできると思うの。まずは割った酒瓶の中に、お湯と砕いた炭を混ぜて入れるでしょう。酒瓶を胃より高くすると、液体が胃の中に流れて……まだ少し液体が残っている内に、酒瓶の高さを低くすると、今度は胃の中のものが酒瓶に流れてくるの。あとは何度もそれを繰り返すだけ」


「ほう……胃の腑を洗うとは、そういう事か。それで本当に洗う事が出来るというのなら、優れたものだな。だが……」



 優れた案だと言った郁太郎は、少し考え込む。



「何か気になる事があるの?」


「まぁ……な。お前はその管を胃の腑まで入れると言ったが……どれ程入れれば良いものかと気になってだな」


「それなら簡単よ。前歯列から45センチ……つまり、この管に太く目印みたいなものがあるでしょう。そこまで入れれば、だいたい胃の中に行くわね」


「そうか……では、何も案ずる事は無いな。これでこの者も助かる事だろう」


「でもね……」



 安堵の表情を浮かべる郁太郎に、落胆させるような一言を付け加える。


 ある程度の必要物品はかき集められたものの、一つだけ問題があった。


 それは、マーゲンチューブ……つまり、今回最も重要となるこの管にあった。



「この管は……胃洗浄用じゃないのよ。これは、栄養を胃に送るための管であって……胃を洗うための物じゃないの」


「それは、どういう意味だ?」


「要するに……太さが少しだけ小さいって事。だから……もしかしたら、ちゃんと出しきる事ができないかもしれないの。それと、この処置はかなり苦しいって言われてる。河豚の毒のせいで嘔吐が起きるようなら……それ以上続けることもできないわ」



 私の言葉に、郁太郎は少し考え込む。



「しかし……何もしなければ、天に運を任せるだけだ。何もせずに死ぬならば、何かをして少しでも生きる望みがある方が良いと思うが……お前の見解は違うのか?」


「私も……そう思う。八時間から九時間でこの毒は分解排出できるって書いてあるから……えっと、だいたい四刻から五刻もてば助かると思うの。ある意味、賭けみたいなものだけど……それでも、納得してもらえるなら……」


「分かった。天に運を委ねるとしても、出来る限りの事をした上で委ねるとしよう」



 郁太郎の言葉に、私と義助は顔を見合わせ頷いた。


 上手くいくかは正直なところ分からない。


 でも……出来る限りの事をしたい。


 私は立ち上がると、胃洗浄の準備を始めた。


 

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