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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第16章 長州へ発つ
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旅立ちの前の一騒動

 


 しばらくして、玄瑞は私をそっと離した。


 その視線は、何か言いたい様で……でも言いにくい。


 そんな感じのものだった。



「どうしたの?」



 私が首を傾げて尋ねると、玄瑞はますます困ったような表情を浮かべる。


 これは、桂さんが言っていた長州行きの話と何か関わりがあるのだろうか?



「何か……話が……あるんでしょう?」



 沈黙に耐えきれず、更に問い掛けた。



「そろそろ、お前にも話さねばなるまいな。そうは言っても……さて……どこから話せば良いのやら……」


「どこからでも良いよ。とりあえず、話せるところから話してよ」


「そう……だな。順序立てて話せぬやもしれんが、そうする事にしよう。だが、その前に……一つだけ聞いておきたい事がある。お前は……私が馬関に行くとしたら……付いてきてくれるか?」


「馬……関?」



 馬関とは確か……下関海峡の辺りの事だったような……


 長州関連の史実にはあまり詳しくは無いが、確か馬関戦争というものがあったと記憶している。



「もちろん……付いて行く。私が玄瑞やみんなを護るって約束したじゃない。だから……」


「護る……か。それは心強い話だ」



 私の意気込む姿に、玄瑞はクスリと笑った。



「桂さんが……な、お前を連れて行けと言っていたが……私としては、お前に無理強いはしたくなかったもので、念の為お前の意思を尋ねたのだ。だが、それを聞いてひとまず安心だ。それともう一つ言っておくが……私はもう、玄瑞では無いのだよ」


「玄瑞じゃない? それって……どういう事?」


「先日……士分に取り立てられたのだ。その際に改名し……義助(よしすけ)となった次第だ」


「義……助? 士分って……つまりは、玄瑞は武士になったってことだよね?」


「そうだ。医者である事を捨て、日の本の為……今後は更に奔走する事となるだろう。そんな私に……お前は……落胆するか?」



 玄瑞……もとい、義助は曇った表情を浮かべている。


 藩医として生きてきた義助が武士の身分を手に入れ、今後は身分に苦しむことなく活動できる事は、彼にとっては願ってもない事なのだろう。


 医者である事を捨てる……というのは何だか淋しい気もするが、それは口にしてはいけない事だ。



「おめでとう……本当に……良かったね、玄瑞……じゃなかった、義助。そうね、義助も武士になれたんだから……沢山の貢ぎ物を期待してるわ」


「お前は……怒らないのか? いつか、言っていたではないか。政の類いから離れて、医者として穏やかに暮らせぬものかと……」


「それはそれ、これはこれ。とにかく、義助の願いが叶ったんだもん。それは嬉しい事なんでしょう?」


「それは……正直な気持ちを表すならば……その通りだが……」


「もう……そんな顔しないの。嬉しいなら嬉しそうな顔をしなさいよ。辛気臭い顔してたら、せっかく得た人気が落ちちゃうでしょ?」


「人気……どういう意味だ?」



 義助は怪訝そうな表情を浮かべる。


 これは……私のちょっとした意地悪だ。



「芸妓さんに舞妓さんに、茶店の看板娘に……あとは、何だっけ? この京に来てからというもの、随分人気があるようで羨ましいよね。あの日だって、少し歩いただけなのに女性に声を掛けられて大変だったじゃない。でも……そんな風に暗い顔してたら、綺麗な京の娘さん達も離れて行っちゃうよ? だから……嬉しいなら、笑いなさいよ」



 私の意地悪な一言に、義助はますます困ったような表情になる。


 そんな姿が少しだけ、可愛く見えた。



「あれは……娘どもが勝手に寄ってくるだけだ。しかし、私は……」


「ふぅん……勝手に寄ってくるなんて、それはそれは凄いじゃない。ひょっとして、馬関にも勝手に付いてきちゃうのかもね」


「……っ」


「あの日のように行く先々で女性に囲まれていたら、それこそ国事どころじゃなかったりして。外国を打ち払う前に、寄ってくる女の人を打ち払う必要があるかもねぇ。私も侍らせられる程にモテてみたいや……羨ましい」



 少し意地悪し過ぎただろうか?


 義助は眉間にシワを寄せ、唇を噛み締めている。


 私から視線を逸らし着物を握りしめる姿に、少し言い過ぎてしまったと感じた。


 からかいすぎた事を謝ろうと口を開いたその時…………不意にその口を塞がれる。



「わっ……悪かった。っ……今日はもう遅い……お前も、早く休むと良い」



 義助は私から離れると即座に立ち上がり、その突然の出来事に呆然とする私を置き去りにして部屋を出て行ってしまった。


 襖がパタンと閉まる音に、ふと我に返る。



「にっ……逃げるな、馬鹿義助!」



 口元を抑え叫んだその声は、きっと義助の耳には届いてはいないのだろう。


 一瞬だけ見えた義助の赤らめた顔と、私の唇に残る感触がいつまでも残っていた。







 その日の深夜。


 私は郁太郎に叩き起こされる。


 眠い目を擦りながら上体を起こすと、郁太郎の焦る様子にただならぬものを感じた。



「こんな夜中に、どうしたの? 郁太郎が私の部屋に来るなんて、珍しいじゃない」


「そんな悠長な事を言っている場合ではない。夜分遅くにすまぬが……私とともに来てくれ」



 何が何だか訳も分からぬまま、私は郁太郎の後を追っていった。


 また、誰かが斬られたのだろうか?


 郁太郎が私を呼んだ理由は分からないが、私を呼ぶということは、間違いなく急患だろう。


 無理矢理に目を覚まさせると、少しでも郁太郎の役に立とうと気合いを入れた。



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