最悪の鉢合わせ
屯所に戻った私達は、皆と共に夕餉を取り楽しい時間を過ごした。
その翌日は、久しぶりに朝から試衛館の皆に稽古を付けてもらい、昼過ぎからは総司と京散策に出掛ける。
夜からは皆が私の為に酒宴を設けてくれた。
それはやはり豪華とは言えないものではあったが、大人数で庭に敷物を敷いて笑い合いながら過ごす時間は、どんな豪華な料理にも勝るものだった。
そして、桂さんとの約束の……別れの日。
屯所の皆に挨拶すると、総司の護衛で屋敷へと向かった。
それは、しばらく歩いた時の事だった。
少し先からこちらへ歩いてくる人物に、思わず目を奪われる。
あれは……
「おい、美奈……急に立ち止まってどうした?」
「あのさ、総司……見送りはここまでで良いよ。屋敷まであと少しだし……ここからは一人でも……」
「何言ってんだよ。そんな事したら、僕が近藤さんに怒られる。お前をちゃんと、屋敷まで送り届けなけりゃ近藤さんに合わせる顔がねぇよ」
「でも……」
そうこうしている内に、目の前の人物は一歩また一歩と近付いてくる。
彼を総司と会わせる訳には行かない。
総司たちは、天誅騒ぎを繰り返す不逞の輩を取り締まる役目。
一方、彼は…………
「お……おまんは、美奈じゃなか!?」
最悪の事態だ。
私と総司が言い合っている間に、彼は私を見付けてしまっていた。
「い……いぞ……っと……磯田さん、お久し振りです。屋敷に用事なら、私と一緒に……」
「何を訳の分からん事を言っちゆうがかえ? そもそも、僕は磯田ちゆう名ぁじゃのうて……」
「良いから……話を合わせて!」
総司に悟られないよう、私はこっそり耳打ちする。
「そいつ……誰?」
そんな私の姿を見た総司は、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「あの……さ。この人……磯田さんが、屋敷に用事があるんだって。だから、ここからは彼と一緒に屋敷に戻るね。えっと……総司、ありがとう。屯所の皆にも……よろしくね!」
苦し紛れに言った、磯田さんという名の岡田以蔵。
とにかく以蔵を連れて、ここから早急に立ち去らなきゃ……そればかりを考え、私は彼の手を取り総司に背を向ける。
突然のことに、以蔵は顔を真っ赤にさせて戸惑っているが、今はそんな以蔵の様子を案じてやれる程の余裕はない。
歩き出そうとしたその時……私の左手は、総司によってガッチリと捉えられていた。
「そんな訳の分からない奴じゃ、護衛が務まりっこないだろ。僕も一緒に行く」
「いや……あの……総司、えっと……」
総司の意外な行動に、私は狼狽える。
最悪だ……どうしよう。
「訳の分からん奴は、おんしの方じゃ。美奈は僕が屋敷に送るき、おんしは付いて来んでもええ」
「だから、お前じゃ安心して預けられねぇって言ってんの。だいたいさぁ、いざという時にまともに剣が振るえるわけ?」
大丈夫……大丈夫だから。
以蔵の剣術はきっと、総司と同等かそれ以上の強さだから。
だから、それ以上は余計な事を言わないで……
睨み合う二人の姿にオロオロしながらも、私は心の中で叫ぶ。
「そんなに僕の剣が信用ならんのなら、いつでも相手しちゃるが……どうするがかえ?」
「へぇ……それなりに自信があるんだね。面白い……じゃあ……やろっか」
やるって……ちょっと……それってまさか……
ここは、大通りなんですけど!
こんな所で刀なんて抜かないでよ!
「ちょっ……ちょっと待っ……」
私が二人を止めようとしたその時、聞き覚えのある二つの声に呼び止められる。
「美奈!」
「総司!」
左右を交互に見やると、以蔵側には久しぶりに見る晋作の姿と、総司側には不機嫌そうな土方さんの姿があった。
「総司……お前、まだこんな所で油売ってやがったのか。美奈を屋敷に送ったら、さっさと戻って来いって言っただろうが!」
「げっ……土方さん。何で土方さんは、こう良い時に邪魔ぁするんですかねぇ?」
「……何か言ったか?」
「いいえ……何も?」
土方さんから雷を落とされた総司は、頬を膨らませて不貞腐れている。
「どうして、晋作が此処に?」
「お前が今日戻ると聞いたが、一向に帰って来やがらねぇからな……俺が直々に出向いてやろうと思ったのさ」
「そう……とりあえず……助かったわ。ありがとう」
良いタイミングで現れてくれた、晋作と土方さんに大感謝だ。
これで、市中での抜刀騒ぎは防げたはずだ。
そう思い、ホッと胸を撫で下ろした。
「そこの……二人。此度は美奈が……世話になったな。これは、その礼だ」
晋作はそう言うと、土方さんに小さな包みを手渡した。
「お礼なんて受け取れねぇですよ……だって……」
「総司……お前は黙ってろ! こんな気遣いなんざ要らねぇ……と言いたいところだが、うちも何かと入り用でね。悪ぃが、遠慮せず受け取っておこう」
土方さんは、晋作からのお礼を堂々と受け取る。
今回の事は、全て総司が元凶なのに……とも言えず、私は黙ってそれを眺めていた。
それが済むと、総司は土方さんに引きずられるようにして、私達の前から去って行った。
「おまんは……僕の名を覚えてくれちゅう……そう言うた筈じゃ……」
ポツリと呟いた以蔵の声に、ハッと我に返る。
土方さんと総司との別れで、以蔵の存在をすっかり忘れていた。
以蔵に視線を移すと、以蔵は何とも言えないような……悲しげな表情を浮かべていた。
「ち……違うの! ちゃんと、以蔵の名前は覚えているのよ? でも、さっきは……あの人には、以蔵のその名前を知られちゃマズイと思ったのよ。だから……」
「ほうか……ほいたら……ええ」
私の説明に、以蔵の顔に一瞬にして笑顔が戻る。
その表情を見て、私は安堵の溜め息をついた。
「さぁて……いつまでもこんな所に居ねぇで、屋敷に帰るぞ。そこのお前……お前も付いてくるのか?」
晋作は以蔵に視線を移し尋ねた。
「僕は……」
「用がねぇなら、俺ぁ美奈を連れて帰るさ。えっと……武市んトコの門弟だったか……じゃあな」
「僕も……僕も、行く……き、待っとおせ」
もともと以蔵が向かおうとしていた方向からして長州屋敷とは逆方向だったのに……何で?
以蔵には何か他に用があるのでは……とも思ったが、何故かちゃっかりと私達に付いてきていた。




