二人の居場所
「おい……待てよ。いい加減止まれって……美奈!」
いつの間にか私に追い付いていた総司は、私の左手を捕まえる。
つい感情的になってしまう……それが私の悪い癖だ。
頭のてっぺんまで血が上ってしまうと、自分でも予期せぬ行動に出てしまうのだ。
今回は桂さんの一言から、勝手に少し先の未来を考えて、勝手に悲しくなって……勝手に走り去った。
ただそれだけ……
あの日、玄瑞の想いというか……覚悟のような物を聞き、頭では確かに理解した筈なのに……心の何処かでは、それを未だに受け入れられないでいるのだろう。
自分の命と引き換えにしてでも、なんて……大切な人から、そんな言葉は聞きたくない。
だって……みんな、みんな……仲間だから。
「総司は……」
「何だよ?」
「自分の命を……何かの為に犠牲にする事は、当然のことだと……思う?」
掴まれた手もそのままに、総司へと振り返ることもなく尋ねた。
「自分を犠牲に……ねぇ。どうだろうな? んな事ぁその時にならなきゃ分からないよな。けどさ……大切な物を護るために犠牲になるのなら、まぁそれは仕方ねぇのかもしれない」
「大切な……物?」
「例えば近藤さんとか、姉さんとか? そうだな、あとは……お前も」
最後の一言は、消え入りそうな程に小さな声だった。
「そうやって護られても……嬉しくないよ。だって、遺されるのも……悲しいじゃない」
「お前……言ってる事が矛盾してんな」
「矛盾?」
「お前が剣術を始めたのは、仲間を護るためなんだろ? 仲間が危なくなった時には、自分が時間稼ぎになれればそれで良いって……そう言ってたじゃんか。それって、お前は自分がされて嬉しくない事を、仲間にしようとしてるって事だろ? だから……矛盾してるって言ってんの」
総司の言うことは最もで、何も言い返せやしない。
反論したいが、上手い言葉が見つからなかった。
「お前の仲間は、それを望むのか? お前一人を犠牲にしてまで、生き延びようとすると思えるのか?」
「それは……分からない……けど、みんなには国を変えるっていう確固たる志があるから……そうするかもしれないね。だって、私なんてたいした取り柄も無いし……あまり役に立っているとは思えないもの」
「本当に……そう思っているのか?」
私の手を掴む総司の力が、更に強まる。
手首に跡が付いてしまうんじゃないかと思えるほど、そこに込められた力は強く感じた。
「本当にそんな奴らなら……そんな所には帰るなよ……居場所なら、僕が作ってやる。ほら……芹沢さんだってお前を気に入っていたし、試衛館の皆だってお前を妹のように思ってるしさ。お前が浪士組に来るって言うなら、みんなもきっと喜ぶと思うから……」
「それじゃ駄目なの! 例え私が捨て駒になる時が来るとしても……それでも」
私は総司の言葉を遮るように言った。
何故だかは自分でもよく分からないが、それでも私は玄瑞や晋作と一緒に居たい。
きっと、共に過ごす時間が長いからなのだろう。
「お前……やっぱり矛盾してるよ」
そう小さく呟いた総司は、ゆっくりと私を引き寄せる。
「お前さぁ……もう少し、自分に自信を持てば? お前がそんな風に思ってるってことは、少なくともあっちも同じように思ってるんじゃねぇの? お前がそうやって大切にしてもらってるから……お前もそいつらを大切に思えるんじゃねぇのか?」
「……そう、なの……かな」
「……馬鹿なヤツ」
総司は静かに私を離すと、私の鼻を思いっきりつまんだ。
「痛っ……な、何するのよ!」
「本当のことを言うとさ……お前をこの京で見つけられる事ができたら……もう二度と手放さないって、そう考えてたんだよね。どんな手を使ってでも、そばに置いておこうって……」
「何それ……ちょっと怖いんですけど」
「そうかもね……あの手この手と色々考えてたから、確かにその通りかも。でもさ……気が変わった。やっぱりお前は長州に返すよ」
「当たり前でしょう? 私の居場所は、元よりあっちなの!」
私の言葉のどこが可笑しかったのかは分からないが、総司はクスリと笑った。
「そう言うと思った。お前は自分の気持ちに正直だもんな……それより、何で気が変わったか知りたくない?」
「知りたい……かも」
「安心したから……かな? お前もちゃんと大切にされてるんだろうなって思ったら……無理矢理引き剥がすのも、可哀想に思えてきたんだよね。あーあ……僕ってば損な役回りだよね。これじゃあ、土方さんに怒られ損じゃんか」
「それは……自業自得じゃない!」
総司はぷうっと頬を膨らませている。
そんな姿に、心の奥底が何故かチクリと痛んだような気がした。
「これだけは……覚えておいて」
総司はそう言うと、私にそっと耳打ちする。
予期せぬ囁きに、私の頬は一瞬にして紅潮した。
「林檎みてぇな面だな……やっぱり、お前は面白ぇや」
「この……馬鹿総司!」
からかわれた腹いせに、私はゆっくりと刀を抜く。
「ちょ……馬鹿! こんな所でそんなモノを振り回すんじゃねぇ!」
「うるさい! 今ここでたたっ斬ってやるから、そこに直りなさい!」
恥ずかしさと怒りとで混乱した私は、刀を振り上げた。
それを振り下ろそうとしたその瞬間、私の腕は何者かに掴まれ動かなくなる。
背後の人物を確認しようと振り返るが先か……低く冷たい声が耳に入った。
「勇ましいのは上等……だが……近藤さんも、こんな所で総司を斬る為にお前に切紙を与えた訳じゃねぇよなぁ?」
「ひっ……土方……さん?」
「その猪みてぇな性格は、まだ直っちゃいねぇか……そんなんじゃ、ますます貰い手が居なくなっちまうぞ?」
「よ……余計なお世話よ!」
土方さんの手が離れた瞬間、私は刀を鞘に収めた。
「さぁて……屯所に居るはずのこの悪ガキ共は、どうやって抜け出したのかねぇ? お前ら……自分のした事が分かってんのか? 特に総司……お前は、俺の説教が足りなかったみてぇだな」
「やだなぁ土方さん……お説教は十分聞きましたよ。けどね……僕としても、今回ばかりは見逃して欲しいわけですよ。だって……これが本当に最後……なんですから」
総司の一言に土方さんは一瞬目を見開くと、そのままクルリと踵を返した。
「約束しろ……夕餉までには必ず帰って来い。近藤さんには……適当に言っといてやる。その代わり……分かってんな?」
「土方……さん?」
土方さんは私たちを見るもことなく、それはもう気だるそうに去って行った。
……行っちゃった。
土方さんはいつもしかめっ面ばかりしているけど……本当は人一倍優しい人。
それは試衛館で過ごした日々の中で、見つけたもの。
「私も……安心した」
「安心? 何にだよ」
ゆっくりと総司に歩み寄ると、今度は私がこっそり耳打ちした。
「お……お前……気味の悪ぃこと言うんじゃねぇよ!」
今度は総司が顔を真っ赤にさせる。
そんな様子にクスクスと笑う私。
お互いの居るべき場所は決まっている。
もうきっと、こうして笑い合う日は来ないだろう。
それでも……私は、玄瑞や晋作たちと一緒に居たい。
双璧と共に先へ先へと進んで行きたいのだ。
最後の時を面白可笑しく過ごした私達は、土方さんとの約束通り夕餉前には屯所へと戻って行った。




