鴨の謎
「ほらよ! こいつを使うと良い」
稽古場に着くなり、芹沢さんは私に竹刀を放り投げる。
反射的にそれを受け取ってはみたものの……当の私は、どうしたものかと、その場に立ち尽くしていた。
「何だ? 竹刀じゃ不満なのか? こっちでも良いが……一応お前さんも女だからなぁ。さすがに、顔に傷なんざ作るわけにゃいかねぇだろう? 今回はおとなしく、それにしておけ」
木刀でなく竹刀を手渡された事に対して不満に思っていると、芹沢さんは思ったのだろうか?
勿論……不満があるのは木刀や竹刀等の道具ではない。
局長……それも神道無念流の免許皆伝者と手合わせしろと、突然言われた事に対して、不満があるのだ。
「さてと……早いとこ始めてくれ」
芹沢一派が見守る中、私と新見さんは竹刀を構えた。
こうなってしまったものは仕方がない。
腹を決めて、出来る限りの事をしよう…………。
まるで子供の相手をするかのように、何度となくかわされ一本取られる。
想定内の事だが、やはり免許皆伝は伊達じゃない。
強すぎるその相手に何度となく立ち向かうも、敵うことはなかった。
そんな私の姿を楽しそうに芹沢さんは眺めていた。
私の息が上がりきった頃、芹沢さんの制止により無謀な手合わせは終わりを迎える。
その場に座り込むと、芹沢さんが私に近付き、思い切り頭を撫でた。
「よくやった! お前さんは中々見込みがある。何より、勝てもしない相手にも臆することなく立ち向かう気概が良い!」
「そりゃあ……どうも。これで……満足?」
「あぁ、満足だ。やはり長州の娘は面白ぇな。どうだ、少し話でもしねぇか?」
「話?」
私は首をかしげる。
「話って言っても難しく考えるような事じゃねぇさ。何でも聞きたいことがありゃあ答えてやろう」
「聞きたいこと……ねぇ」
突然そんな事を言われても、思い浮かぶ筈がない。
ましてやまだ息が整ってもいない状態だ。
必死に頭を巡らせるが、良い話題は見付からなかった。
「突然言われても……思い付かないわよ」
「そりゃそうだ。ならば、俺が勝手に話すとするかねぇ」
芹沢さんは豪快に笑った。
「まず、俺は水戸の出だ。こう見えて家柄は良くてだな、一時は芹沢城なんて城も持ってたらしい。まぁ、俺が生まれる相当前の話だがな」
「城!? 何それ……そんなの初めて知った……」
「大昔の話さ。だが、それもあってか家には水戸の藩主が訪れる事もあったなぁ。ほら、この扇もそん時に貰ったモンだ」
「芹沢さんって……名家のご子息……なのね」
知らなかった事実に、私は驚嘆する。
壬生浪士組がこうして存在できるのも、芹沢さんのこの家柄があってこそなのではないのだろうか?
「家の事はそんなところかねぇ。剣の方は……一応、免許皆伝だ。神道無念流のな。学の方は……延方郷で水戸学などを一通りってとこか」
「何だか凄い人なのね……感心するわ」
私の正直な感想に、芹沢さんは気を良くしたようだ。
「まぁ……良い事ばかりでもねぇがな」
「……どういう意味?」
「投獄経験もあるってことさ。……要するに、前科者だ」
「随分と色々な経歴をお持ちなのね」
冗談混じりに言う芹沢さんの姿を見ていると、何だか悪い人のようには見えなかった。
私が読んできた書籍では悪人と書かれる事が多かった。
しかし、本当に悪人なのだろうか?
まだこの人の全てを見ていないから、知らないだけなのだろうか?
自然と表情が難しいものになる。
「さて……と、もう少し話して居たいが生憎忙しくてなぁ。お前さんの話を聞くのはまた後だな。新見、悪いがコイツの面倒を見てやってくれ」
「承知致しました」
新見さんの返事を聞くと、芹沢さん達は稽古場を後にした。
面倒見も……良いのね。
芹沢さんという人柄が、ますます分からなくなった出来事だった。




