養生宣告?
「奈……美奈、おい……大丈夫か?」
誰かに呼ばれる声で、私はゆっくりと目蓋を開く。
目の前には、心配そうに私の顔を覗き込む郁太郎の姿があった。
何故、郁太郎がこんな所に居るのだろうか?
不思議に思い上体を起こそうとすると、すかさず郁太郎に制止される。
「無理して起きずとも良い。とにかく目を覚ましてくれて良かった。痛むところは無いか?」
「痛むところって……どういう事? 話が見えないんだけど……」
郁太郎が屯所に居ることも、郁太郎の言葉の意味もよくわからない。
痛むって……私はどこも痛まないんだけど。
「きっと記憶が混同しているのでしょう。何せ頭を打った様ですからね……大事をとって、しばらくは動かさない方が良いでしょう」
心配そうな表情の郁太郎に向かって、山崎サンが淡々と説明する。
私が頭を打った?
一体何のことだろう?
話が見えない私は、キョトンとした顔で二人を見つめる。
「とにかく……お前が動けるようになるまでの間、しばらくは此処で世話になっても良いと言ってくれている。この山崎君は医術に覚えもあるようだからな。本当に命拾いしたな……それにしても、玄瑞を探して河川敷から転げ落ちるとは、何ともお前らしいというか何というか。此処の者が見付けてくれねば、お前は死んでいたかもしれん。そそっかしいのも大概にしないと、命が幾つあっても足りんぞ?」
郁太郎は深い溜息を一つついた。
「あれだけの高さから落ちたのですからね。今無理に動かして、後で何かあっては困りましょう。回復するまでの数日は、私が責任を持って彼女の様子を見ますので、どうぞ心配なさらないでください」
「何から何まで本当に申し訳ない。ここは、ご好意に甘えさせて頂くとしよう。何かあればすぐに使いを寄越してもらえぬだろうか? こんな小娘でも、我が藩には必要な者なのでな……過保護かと思われるやもしれんが、宜しく頼みます」
「気になさらないでください。聞くところによると、彼女は局長の門弟だそうで……見知らぬ仲では無いので大丈夫ですよ」
私が話に加わる間もなく、二人の話は完結してしまう。
私は……此処に置いていかれるの?
「良いか、美奈。必要な物は、後ほど女中に届けさせる。お前は何も考えず今はただ、その身を治す事に努めろ。それから、我儘を言って此処の者を困らせるようなことはしないように!」
「落ちたとか、頭を打ったとか……全然意味がわからないんだけど! 私が帰らなかったら……玄瑞も晋作も心配するよ」
「何も覚えておらんとは……やはり、記憶が混乱しているようだな。早く良くなると良いのだが……。お前が心配する事は何も無い。玄瑞にも晋作にも、既に話は伝わっている。二人も明日辺りには、様子を見に来る筈だ……だから、早く屋敷の戻れるよう今はただ養生しろ」
郁太郎はそう告げると山崎サンに会釈をし、部屋を出て行った。
「ねぇ……私、全く話が見えないんだけど。一体どういうこと?」
とり残された私は、山崎サンに尋ねる。
「俺は局長の命に従ったまでだ」
「その命令とやらを、詳しく教えて欲しいんだけど!」
「命令は命令だ。お前がこの屯所に数日間滞在できるように、長州の者と話を付けて来るように……と言われたから、そうしたまでのこと」
山崎サンは、顔色一つ変えずにそう言い放つ。
「で? どんな話をしたわけ?」
「河川敷から転落して倒れていたお前を、うちの者が保護した。偶然にも局長の門弟であったため身元が分かり、長州の屋敷に報告に行った。しかしお前は頭を打っているだろうから、しばらくは動かさず安静にさせておいた方が良い。そう伝えたのだ」
「それで……なんで郁太郎が来たのよ?」
「あの者は長州で一番偉い医者なんだろう? 一目様子を診たいと、付いて来たのだ。お前は随分な要人のようだな……最高位の藩医がわざわざ出向くとは、正直驚いた」
「別にそんなんじゃないわよ。郁太郎は私の師だから……だから来てくれたのよ。それにしても、山崎サンは医者だったの? 医術の覚えがあるって、郁太郎が言っていたからさ」
私の言葉に、山崎サンは少し困ったような顔をする。
「あれは方便だ。医術の覚えが全く無いわけではないが……医者という程でもない。うちは鍼灸医だったからな。それに伴い、多少は分かるというだけだ」
「鍼灸医? じゃあ、銅人だね!」
いつだったか、郁太郎に見せてもらった鍼灸用のシュミレーター……銅人を思い出す。
「ほう、銅人を知っているのか。そういえば、先程の者が師だと言っていたな」
「そう。前に郁太郎に見せてもらったの。あれって、スゴイよねぇ……」
初めは何だか取っ付きにくかった山崎サンも、慣れてくれば意外と話し好きで、よく笑う人だという事が分かった。
和やかな雰囲気の中、鍼灸について色々と教えてもらう。
自分の知らない分野の話を聞くことは、とてもタメになり楽しかった。
「美奈、入るぞ?」
声と共に、近藤サンが部屋に入って来た。
「近藤サン……どうしたの?」
「山崎の交渉も済んだと聞いて、だな……来てみたのだよ。どうだ、山崎の交渉術は天下一品だろ?」
「天下一品というか何というか……しばらく屋敷に帰れなくなっちゃったじゃない」
「何だ、此処に滞在するのは嫌だったか?」
「嫌じゃ……ない……けど」
私は無意識に近藤サンから視線を外す。
「嫌でないなら良いじゃないか。兄弟子たちも、久しぶりにお前に会えて喜んでいるぞ? なぁに、此処に居られるのもほんの数日だ。まぁ……騒々しくて面倒かもしれんが、皆お前を可愛がっているって事で……しばらく奴らに付き合ってやってくれないか?」
「近藤サンにそこまで言われたら……頷くしかないよね。それに、どうせ数日は帰れないんだしね」
私が近藤サンに笑顔を向けると、近藤サンは安堵の表情を浮かべた。
「それより……さ、アイツは……どうしてる?」
「アイツ?」
「……総司だよ。土方サン辺りにこっぴどく叱られてるんじゃないかなぁ……なんて……ちょっと、心配」
私の一言に、近藤サンはニヤリと口角を上げる。
「気になるなら、見に行ってくれば良いじゃないか。知らない仲では無いんだからな。さて……そろそろ失礼するとしよう。あぁ、そうだ! 夕餉の時間にはまた、声を掛けに来る。それと、この部屋はお前の部屋として好きに使ってくれて良い」
近藤サンは言いたいことを言い切ると、山崎サンを引き連れて部屋を後にした。
「様子を見に行けって……そんな事を言われても……」
近藤サンの言う通り、総司の様子を見に行くべきか……
それとも
総司には関わらざるべきか……
結論の見えない問題に、私は必死に頭を悩ませていた。




