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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第13章 京での日々
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荒治療

 

 

 女中に声をかけた後、私は郁太郎の部屋へと駆け込んだ。


 そこで目にした藩士の容態は非常に悪く、その姿に思わず絶句する。



「何を呆けている? 何も出来ぬなら、出て行くが良い!」



 郁太郎の言葉にふと我に返った私は、血塗れの藩士に駆け寄った。


 体中の刀傷はどれも浅い物で、それぞれ必要な箇所にだけ縫合をすれば事足りるだろう。


 しかし問題は左手首だった。


 文字通り手のひら側の皮一枚で繋がっているような状態で、皮膚の縫合をしたところで、どうこうなるような生易しいものではなかった。


 これを治すとしたら、骨や皮膚だけでなく神経や血管の縫合や再建が必要だろう。


 局所麻酔も無いこの時代に、本当にこのような術式が取れるのだろうか?


 ここは郁太郎の腕の見せどころ……か。



「この手はもう使い物にならんな……玄瑞、すまぬがこの者を少し抑えていてくれ」



 そう呟いた郁太郎は、おもむろに側にあった刀を抜く。



「ちょっと待って! 何をする気!?」


「何をって……決まっているだろう? この手は使い物にはならんからな。切り落とした上で、止血するのだ。それ以外に手立ては無い」


「そんな事をしたら、この人は二度と刀を握れなくなる。神経も血管も……全部縫い合わせてよ! そうすればきっと……」


「この状態で全てを縫い合わせるなど、釈迦とてできまい。急がねば命すら危ういのが見てわからんのか? 良いからそこをどけ!」



 郁太郎に弾き飛ばされた私は、後方で尻餅をつく。


 私が立ち上がる間もなく郁太郎は藩士の左手を切り落とし、火鉢で熱した鉄を患部に当てた。



 藩士の悲鳴にも似た叫び声と、肉が焼けるような匂い。



 それは……治療というにはあまりに荒く、この時代の医療技術の限界を垣間見たかのような瞬間だった。 



「この程度で放心していては、先が思いやられるな。お前はこの場で、何もせずに見ているだけなのか?」


「そんなこと……無い!」



 郁太郎の言葉に、私ができる事を探した。


 玄瑞は黙々と傷口を縫合している。


 私は玄瑞の反対側にまわると、女中が運んできたお湯と以前郁太郎から渡された石鹸で傷口を洗った。



「……そうだ、それで良い」



 郁太郎は小さく微笑むと私の隣に座り、洗浄が済んだ傷口から順に縫合を進めていった。 



「終わっ……た」



 縫合が終わり、身体を拭いて着替えを済ませた頃には、時刻は既に深夜を回っていた。


 私も郁太郎も玄瑞も……みんな、着物の所々が血塗れだ。


 良く気の効く女中がお風呂を焚いてくれたので、その後は順に入浴する。







「もう上がったのか? 早かったな」


 先に湯を済ませていた玄瑞は、私の姿を目にするなり声を掛けた。


 私は玄瑞の隣に座り、膝を抱える。



「どうした? 疲れたのか?」


「……そうじゃないの。何て言うか……悔しかったの」


「悔しい?」


「私の時代なら……あの人は、左手を無くす事も無かったと思うの。それに、あんな風に痛い思いもしなくて済むし……万が一、この先あの人が急変しても……最善の処置が出来る。だから……あんな風な治療しか出来ないこの時代が……何も出来なかった自分が……悔しい」



 医療機器や麻酔薬、輸血に抗生剤……上げればキリが無い程、この時代にあって欲しいものが沢山ある。


 こんな事でこの先、みんなの命が救えるのだろうか。


 考えれば考える程、不安ばかりがつのる。



「私はお前に、何と声を掛ければ良いのだろうな? あの場において、郁太郎殿の判断は最善であったと私は思う。それと……お前の行動も的確だったと思うのだがな」



 玄瑞は静かにそう言うと、私の肩を抱き寄せた。


 それを振り払う気力は今の私には無く、その身を預けた。



「お前は何が足りないと思う?」


「そんなの……有り過ぎて言い尽くせないよ。欲を言えば、キリが無いもの」


「ならば、その中で最小限の物は何だ?」


「最小限……そうね、まずは麻酔薬かな。これがあれば、痛みに苦しむ事無く処置が受けられる。それと……抗生剤。怪我だけでなく病にも使えるわ。あとは……」


「最小限だと言ったのに、お前は欲張りだな」



 玄瑞がフッと笑ったのにつられるかの様に私も笑う。



「足りないのならば、作れば良い」



 突然背後から聞こえた声に、私達は振り返る。



「郁……太郎」



 郁太郎は私の反応など気にもせず、その隣に腰を下ろした。



「作れるなら、とっくに作ってるよ。それが出来ないから困っているんじゃない!」


「ならば……作れないような物を、お前は何故知っている? 何故それが必要であると感じている?」


「そ……それは……」


「あの時、お前は言ったな? 皮一枚で繋がったあの手を……全て縫合出来ぬものかと。それが、さも当然に出来るかの様な口振りだったな。悪いが、この時代にその様な医術を用いる者は誰一人とて居はしまい」



 郁太郎の言葉に、私は何も言い返せなかった。


 私はただ俯き、返す言葉を探す。



「もう……良いだろう。郁太郎殿は我が長州の藩医となった方だ。我らの為に尽力する姿を見るに……彼は信頼の置ける人物だ。話しても……良いのではないか?」


「玄……瑞」



 玄瑞の言葉に、私は郁太郎に全てを順序だてて話した。


 郁太郎は何も言わず、頷きながら私の話を最後まで聞いてくれていた。



「信じられぬ様な話だが……信じられなくもないな。先ほどの者の処置の仕方、それにお前が必要だと感じている物……それらは、私が知らない手技や器具だ。私が学んだ医学とは似てはいるが……異なる物の様にも感じる。さて……どうしたものかな」



 真剣に悩む郁太郎の姿に、私と玄瑞は小さく微笑んだ。



「何が可笑しい?」


「可笑しいって言うか……意外だったのよ。郁太郎の事だから、有り得ないなんて言って信じてくれないと思っていたの。でも……こんな風に悩んでいるから、それが意外で」


「私とて無条件に信じた訳ではない。お前の言動と不思議な知識という条件があるからこそ、信じられるような気もすると言ったのだ。お前は私を欺くような人間では無さそうだしな」


「……郁太郎」


「何だ?」



 私は郁太郎の手を取ると、満面の笑みを向けた。



「ありがとう!」



 夜明けも近づいた頃、私達はそれぞれの部屋へと戻って行った。


 一人また一人と、私の秘密を知る者が増えて行く。


 こんな風に、本当の意味で信頼のできる仲間が、あと何人増えるのだろうか。



 私は、そんな仲間を護れる人になりたい。



 深い眠りにつく間際に考えたのは、そんな希望だった。











 

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