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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
ほのぼの番外編
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男たちの争い ―後編―




 残された私は、寝息をたてる玄瑞の横に座る。


 介抱って……スヤスヤ寝ているんだから、必要無いと思うんだけど。


 それでも約束は約束なので、此処に居なくてはならない。


 暇だと思いつつ、室内を物色した。


 まず目に留まったのは、部屋に掛けられていた玄瑞の着物だ。


 桜の柄の入った艶やかなもの……玄瑞は桜の柄の入った着物を好んで着ている。


 桜の花は春に一気に咲き乱れ、一瞬にして散っていく。


 散り際も美しいが……私はあまり好きではない。


 桜は……悲しい程、儚すぎるからだ。






「っ……美奈?」



 小さく私を呼ぶ声に反射的に振り返ると、目を覚ました玄瑞がゆっくりと上体を起こした。



「どうして、お前が此処に居る? 私は確か……」


「桂サンと競ってお酒を飲んで、倒れたのよ」


「そう……か。情けないところを……見せてしまったな」



 玄瑞は照れ臭そうに呟いた。


 私は玄瑞の元へと近寄る。



「情けなくなんて……無い。でも……もう、あんな事はしないで。お酒だって、下手したら死んじゃうんだから」


「……面目無い」


「どうして、あんな事をしたの? 玄瑞が桂サンに……勝てるわけ無いのに」


「それは……だな。桂サンが、あの様な戯れをするから悪いのだ。勝った者が負けた者に命令できるなど……他の者にその座が渡れば、悪用されかねんだろうに。他の者はさして気にはならんが、お前に危険が及ぶのは本意ではない」


「でもまぁ、結局は桂サンが勝って……早速、命令されちゃったんだけどね」



 私は苦笑いを浮かべながら、玄瑞に告げた。



「何を命じられた!?」


「ちょっと……痛いってば。大したことじゃないよ」



 玄瑞は思い切り私の肩を掴み、声を荒げる。



「……今夜一晩、玄瑞の介抱をするようにって」


「私の……介抱? 他には!?」


「それだけだよ。だから、大したこと無いって言ったでしょう?」


「本当か!? 隠しだてしているわけでは、あるまいな?」


「本当だよ!」


「そうか……ならば……良い。まったく、あの人も人が悪いな。わざと私を煽るなど……まぁ、その挑発に乗ってしまった私も私なのだが……それはそうと、すまなかったな。私が負けてしまったばかりに、この様な面倒事を……」


「謝らないでよ。私のためを想ってしてくれたことなんでしょう? それに、別に面倒事でも無い……って、ちょっと!」



 私が言い切らないうちに、玄瑞は私を包み込む。


 いつもの様に引き剥がそうかとも思ったが、玄瑞は私の為に無理してしまったのだ……そう考えると、何だか無下にはできなかった。


 私は懐に顔をうずめながら、玄瑞の背中をさする。



「それは一体、何のつもりだ?」


「あれだけ飲んだんだもん……気持ち悪いかなぁって、介抱のつもりかな?」


「そうか……それは有難いな。気分もあっという間に良くなった気がする。お前は良い看護師だな」


「こんなの看護なんかじゃないし……」


「そんな事は無い。看護師とは、人の苦痛を和らげるのだろう? 苦痛を和らげるには、薬や治療だけではないと言っていたではないか。現に私の苦痛も和らいだのだから、これも立派な手当てだ」


「玄瑞、あのね……」



 私は少しだけ体を話すと、玄瑞の顔を見上げた。



「玄瑞は、医者のままじゃ……駄目なの? 萩でも京でも何処でも良い……政治から離れて、医者として生きるんじゃ駄目なの?」


「お前は困った事を言うなぁ……それが、お前の望みなのか?」


「分からない……けど、医者のままでいれば穏やかな生活が送れると思うの。だから……」


「少し、私の話を聞いてくれるか? 私の子供の時分の話だ」



 玄瑞は、穏やかな表情で私に尋ねる。


 その表情に何も言い返すことなどできず、私はただ頷いた。




「私は三男でね。次男は幼少期に鬼籍に入っているので、顔すら分からぬが……一番上の兄の玄機とは年が二十も離れていた。これがまた兄は長州一と謳われるほどの秀才で、緒方洪庵先生のもとで蘭学を学び、適塾では塾頭も努めていたのだ」 


「お兄さんは、立派なお医者様だったのね。それにしても、兄弟揃って秀才だなんて……やっぱり、遺伝なのかなぁ」


「そうだな……幼い私の目から見ても、兄は優れていて、本当に憧れの存在だった。蘭学や医術に長けているだけでなく、軍政にも明るかったからな。そして、彼は勤王思想の持ち主でね。私も兄に連れられ、同思想の様々な人物との会合をよくこの目で見たものだ」


「玄瑞は……お兄さんのようになりたいの?」



 私は話の流れから、玄瑞が伝えようとしている事を汲み取ろうと努める。



「そうなのかもしれないな。兄は……玄機は、幼い頃より私の目標とすべき存在だったのだよ。いつしか私も、兄のようになりたいと勉学に励み、医学だけでなく他の知識も取り入れようと躍起になった。兄に認めてもらえるようにと思っていたのだが……私が十五の時に、その兄も亡くなってしまったよ。海防策について不眠不休で書き続けていたのが祟ったのだろう。有能であっただけに、多くの人に惜しまれた最期だった」


「そう……玄瑞は……辛い思いをしたのね。十五だというのに自立を余儀なくされるなんて……私ならきっと、挫けていたと思う。それでもここまで来られたのはきっと、玄瑞のその我慢強さのお蔭ね」


「そうかもしれんな。私も久坂の家を絶やさぬよう、藩医となった……しかし私は、いつからか医術よりも気を惹かれる事があると気づいたのだ。いや……思い出したという方が正しいか。兄とはやはり兄弟なのだろうな。松陰先生や、村塾の皆に出逢い……それは確固たる信念となっていった。だから……」


「良いよ。分かった……私は玄瑞の意思を尊重する。玄瑞だって、いつも私の意思を尊重してくれるでしょう。でも、これだけは言わせて……私は、貴方を死なせるつもりは無いから」


「そう……か。これはまた、随分と強力な味方だな」



 私たちは顔を見合わせると、微笑んだ。



「もう一つ聞いても良い? 蘭学を学んでいたという事は、やっぱり外科なんだよね?」


「そうだな……確かに、外科医術に重きを置いているように思えるな。私は大したことは出来ぬが、兄は全ての分野において優れていたようだ。……何か気になることでもあるのか?」



 気になること……無いといえば嘘になる。


 晋作を助けるために、あれから色々と調べてはみた。


 だが、結局は薬に頼るより他に手立てはなく、その薬を作ることすら難しそうだ。


 薬が無理ならば、発症させないように食事療法や生活改善指導を……とも考えたが、あの晋作が素直に聞き入れるはずがない。


 それ以前に、それが功を奏すとも限らない。


 今のところ、完全に手詰まり状態なわけだが……もう一つ希望があった。


 それはかなりの荒治療。


 そして、私には出来ない技。


 外科医術に長けていて、尚且つ執刀経験がある医者が必要な大技だ。


 肺切除。


 今後、発症したとして喀血や乾酪壊死……つまり肺が全く機能しなくなってしまった時、もうそれしか手立ては無いだろう。


 そもそも、この時代に麻酔薬やどの程度の手術器具があるのかすら、私には全く分からないが……最悪の事態をも視野に入れていた。


 玄瑞は……手術ができるのだろうか?



「玄瑞は、手術経験はある?」


「それは、どの程度のことを言っているかによるのだが……」


「お腹を切り開いたり、臓器をいじったり……そういう感じの手術」


「あるわけが無かろう。私の経験など、せいぜい傷口を縫う程度だ。外科医術とは危険が伴う。そんな物、経験が明らかに不足している私が安易に手を出せる筈があるまい」


「だよね……」


「だが、異国ではごく当たり前に行われるとも学んだ。痛みを和らげる手段が無い故に、死に至る場合が多いと聞くが……何処かの国では、患者に強い酒を飲ませ、泥酔状態で医術を施すと言う話も聞いた事がある」


「泥酔状態!? 麻酔じゃないの? まぁ……そもそも麻酔があるなら、術前にお酒なんて飲ませないよね……そっか……じゃあ、駄目だね」



 最後の手立てもあっさりと潰えてしまう。


 私は小さく溜め息をついた。



「お前が何を案じているかは分からんが……力になれなくて、すまない。私などではなく……兄が生きていれば……」


「っ……そんな事言わないで!」


「美……奈?」



 悲しそうな表情を浮かべる玄瑞を見ていられなくなった私は、玄瑞にしがみつく。



「お兄さんは確かに凄い人だったかもしれないけど……玄瑞は、玄瑞だよ? 私はお兄さんじゃなくて、玄瑞が良いの……今の、このままの玄瑞が良いの!」



 玄瑞は何も言わずに私の頭を撫でる。


 少し困ったような笑顔を浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。



「そうか……お前は、こんな私でも認めてくれるのだな。私は兄のように、何かを為せるような人間ではない。だが、だからと言ってそこで己を駄目だと思い、それに甘んじていてはいけないと……いつも、己を律してきた」


「玄瑞は……自分に厳しすぎるのよ。もう少し肩の力を抜いてみなさいよ。もっと、人に甘えても良いのよ?」


「お前の言う通りかもしれんな。ここのところ、少し疲れていたのかもしれない。偉大な兄がいつしか、負担になっていたのだろう」


「辛くなったら……いつでも弱音を吐いても良いの。私が全部……受け止めるから!」


「……ありがとう」



 そう言った玄瑞の表情は、先程より幾分か気が晴れたかのようだった。


 そんな顔を見て安心した私は、玄瑞から離れるとゆっくりと立ち上がった。



「そろそろ……部屋に戻るね。玄瑞も、ゆっくり休んだ方が良いよ」


「もう、戻るのか?」


「当然よ。いい加減寝なくちゃ……明日、起きられなくなっちゃうもの」


「桂サンの命は……」



 その一言に、嫌な事を思い出す。


 そういえば、一晩と言われたのだった……つまり、朝まで此処に居なくてはならない。



「もうちょっと端によって!」


「なっ!? お前は、何をしている!」



 布団に入り込もうとする私に、玄瑞は慌てふためく。



「何って……桂サンの命で、一晩此処に居なくちゃだから……仕方ないじゃない」


「私はそういう意味で言ったのではない! ただ、もう少しだけお前と話をしようと……」



 それは一瞬の出来事だった。



「ぎゃあぎゃあ、うるせぇなぁ……玄瑞は、ようやくお目覚めか……って、お前ら……何してやがる!?」



 私たちは、勢い良く襖を開けその場に立ち尽くしている晋作を、反射的に見上げた。



「しっ……晋作……これは、誤解だ! 美奈が自ら勝手に布団に……おい、晋作!」



 晋作はズカズカと部屋に入ってくると、私をひょいっと抱え上げた。



「まったく……油断も隙もありゃしねぇ。とにかく、コイツは部屋に連れ戻す。異論はねぇな?」



 玄瑞に返事をさせる隙も与えぬ内に、晋作は私を抱えたままその部屋を後にした。



 その後の私は……



 晋作には何故か怒られ、桂サンには思い切り笑われた。



 桂サンの命だからと思っての事だったのに……何だか納得がいかない。



 しかし、ここはグッと堪えて……不本意ながら、晋作の小言を黙って聞いていた。



 夜明けも近付く頃になってやっと私は自室に戻った。



 こうして、長い夜は終わりを迎えたのだった。




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