男たちの争い ―前編―
その後、玄瑞が屋敷に戻るなり、夕餉が始まった。
みんなそれぞれ、楽しそうにお酒や料理を口にしている。
そんな中、私は何気なく皆に尋ねた。
「ねぇ……この中で一番強いのは誰?」
「強いというのは、剣術の事か?」
「まぁ、そういう事かな」
「そうだな……それはきっと、桂サンだろうな。柳生新陰流を修め、その後の練兵館では双璧と称えられ、塾頭をされていた」
「桂サンが……双璧? 有名な道場でそう呼ばれるなんて、相当凄いのね」
玄瑞の言葉に皆が納得する。
誰一人として異を唱えるものは居ない。
この様子からすると、剣術ナンバーワンは桂サンで決まりなのだろう。
「じゃあさ、一番頭が良いのは誰?」
「玄瑞か晋作か……これは、迷うところですねぇ。学問でと言うならば玄瑞に軍配が上がりますが、晋作は晋作で頭が切れる男ですから」
「学才は玄瑞に敵うものは居るまいよ。学問じゃあ俺の方が劣るだろう」
桂サンは晋作か玄瑞かで悩んでいたが、晋作の譲歩により、学問ナンバーワンは玄瑞となった。
「家柄が一番良いのは……やっぱり、晋作?」
「そうですね。私は養子に出た身ですからね。和田の家は藩医……養子に出なければ、士分ですらありません。ですから、生家でと言えばやはり高杉家でしょうね」
家柄はやはり晋作……か。
「それなら……女性に人気があるのは誰?」
この一言により、事態は思わぬ方向に向かう。
今度は、誰という声が聞こえて来ない。
しばらくの間、沈黙が続いた。
「ねぇ、何で誰もなにも言わないの? もしかして……全員、女性には人気がないとか?」
私の言葉に、すかさず桂サンが反論する。
「そんな事はありませんよ。玄瑞などは京では、年頃の娘さんらから絶大な人気ですし……晋作も俊輔も、女性に人気ありますからね」
「そういう桂サンこそ、人気がありそうだよね。顔も頭も良いし、物腰が柔らかで……京の女性に好かれそうな気がする」
「これまた随分と褒めて頂いて……何だか照れてしまいますねぇ」
口では謙遜しつつも、桂サンは満更ではないような表情を浮かべている。
「じゃあ、やっぱりこれも桂サンが一番……」
「ちょっと待った! こればっかりは、相手が桂サンとて譲れませんよ」
今まで静かだった俊輔が、突然声を上げる。
好色総理が、我こそはと名乗りをあげたのだ。
「俊輔がですか? これは、随分と自信あり気ですねぇ。この中で自分が一番だと言いたいわけですか」
「そうですよ。学も剣も家柄も、双璧や桂サンには負けますけどね……女とあらば、この伊藤俊輔の十八番なんですよ」
「フン……お前はただ単に、節操が無いだけだろう? 日がな、あれだけ数多の女に声を掛けていれば、おいそれと付いていく女も居ろうに。だが……それは人気とは言えんな」
「何だと!? 狂介こそ、その無愛想を何とかしねぇと女も寄って行きゃしねぇぞ? 狂介、本当は俺が羨ましいんだろ」
「羨ましい? そんな事はある筈がない! 自惚れるのも大概にしろ」
俊輔と狂介は掴み合いの喧嘩を始めてしまう。
みんな、呆れ顔で二人を眺めていた。
「はい、そこまでです。俊輔、狂介に突っかかるのは止めなさい。狂介もですよ? 俊輔の挑発に乗るなど、貴方らしくもない」
桂サンはポンッと手を叩くと、二人を諌めた。
「貴方達が我こそはと思う気持ちは解りますよ。皆、男ですからね。このままでは、気も収まらない事でしょう……どうですか? 一つ、決着をつけるというのは」
「決着?」
その場の皆が首を傾げる。
桂サンは意気揚々と立ち上がると、私の背後に立った。
そのまま静かに私の肩に手を置くと、皆に提案する。
「我等の姫君に判断を仰ぐのですよ。我が君の決定ならば、客観的に決着がつくというもの。如何ですか? ……長州の姫君」
「わ……私!? 無理だって! それより桂サン……長州の姫君って何ですか!?」
「お気に召しませんでしたか? 貴女を大切にしているのは、双璧だけではありませんよ。ですから、双璧の姫君でなく……長州の姫君なのです」
「フン……私は大切になど思っては居らんがな」
「狂介! アンタねぇ……いい加減私に突っかかるのは止めなさいよ」
「そうですよ。時には素直になる事も必要ですよ、狂介。大切でないなら、どうして護衛をかって出るのです? 狂介は毎回、自ら護衛志願していると聞きましたよ」
狂介が毎回、自分から護衛を志願している?
そんなの知らなかった……
今までいつも、買い物や江戸巡りに付いてきてくれていたのは、晋作の命令だとばかり思っていた。
「そ……それは。他の者では心許ないからですよ。俊輔は好みの女を見れば、すぐに何処ぞに行ってしまうでしょう?」
「おかしいですねぇ……どうでも良い存在でしたら、そこまで気にかける必要はありませんよね?」
「……っ」
桂サンはいとも簡単に、狂介を言葉でねじ伏せた。
流石は桂サン……と思う反面、この人は敵に回してはならないと、本能で感じた。
「さて、狂介も納得してくれた様ですし……決着をつけましょう!」
桂サンは目を輝かせている。
「ねぇ……桂サン、何だか楽しんでない? こんな桂サンは初めてなんだけど」
「桂サンはそういう人だ。冷静で思慮深い反面、子供の様に楽しむ時もある。すまぬが、少し付き合ってやってくれ」
「玄瑞がそう言うなら……仕方ない、か」
私はこっそりと玄瑞に相談すると、桂サンに一つ尋ねた。
「ところで……どうやって、私が決着をつけるの?」
「よくぞ聞いてくれました。実は、そこが問題なのですよ。ですから私は考えました。貴女には、この中から嫁にいきたい者を選んで頂きたいのです」
「よ……嫁!? そんなの無理よ。だって既に奥さんが居る人ばかりじゃない。桂サンの言うようにしたら、晋作や玄瑞に武人は選考外よ?」
「そこは考えてはいけませんよ。三人は、独り身だとして考えて頂きましょう。これならば、皆条件は同じですからね」
桂サンの言葉に、私は考え込む。
誰と結婚したいか……
これは中々、難しい質問だ。
「おやおや、随分と悩んでいるようですね。では、俊輔など如何ですか?」
「俊輔?」
俊輔は未来の総理大臣だ。
という事は、日本初のファーストレディ……しかし、相手は好色総理。
幸せな結婚生活とは、程遠いだろう。
「確かに楽しそうだけど……私には向かないわ。俊輔は、他所にお妾さんを沢山つくりそうよね?」
「フフ……俊輔のその節操の無さが裏目に出たな。まぁ、これが普通の考えだろうよ」
「聞多ぁ、そりゃねぇよ。俺はなぁ、ちゃんと大事にしてるぜ……それこそ、皆だ!」
「皆って何よ……それが駄目だって言ってるのよ。それから、聞多も同じよ! 私、知ってるんだから。聞多だって、俊輔と一緒になって遊んでいるのよね?」
「なっ……何故それを!?」
「そうそう、聞多だって俺と似たようなモンなんだぜ? 同じ穴の狢ってヤツさ」
「ほらね? だから、二人とも絶対に無理!」
「俺らは姫君のお眼鏡には叶わなかったようだな……聞多」
項垂れる俊輔と聞多を見て皆が笑う。
桂サンは、他の者はどうなのか……と私に尋ね、早く続きを話すようにと、楽しそうな表情で催促した。
「他……かぁ。狂介は、私の事が相当気に食わない様だから、きっと駄目よね。私は、そんなに嫌いじゃないけど……」
「なっ!? 私とて……いや、何でもない。お前の言う通り、気の強い女は好かぬ。選んでもらわずとも結構だ」
「狂介は、何でいつもそうなのよ……そういうの、結構傷付くんだよね」
「……っ」
「狂介、意地ばかり張っているから悪いのですよ。さて、狂介の話は終わりにして、どんどん聞いていきましょうね」
桂サンは絶対に面白がっている。
何だか苦しそうな狂介の表情が気になったが、私は敢えて気にしないように努めた。
「あとは……晋作ね。確かに家柄も良いし、性格も嫌いじゃないわ。でも……晋作も、俊輔や聞多と同じよ。女性関係で泣かされそうだもの。私は、そういうのは嫌なの」
「フン……俺ぁ、酒も女も止めるつもりはねぇよ。それを咎めるような女は、こっちから願い下げさなぁ。他に女を囲われたくなけりゃあ、俺が離れられなくなるような良い女になるこったな」
「っ……相変わらず強気ね。晋作にそう思わせるような女性がどんな人なのか、気になるところだわ」
私は、晋作が入れあげたと有名な女性、おうのサンを想像しながら、呟くように言った。
これだけ強気な晋作が心底惚れた女性は……きっと、容姿だけでなく性格も素晴らしいのだろう。
心の奥底が、チクりと痛んだ。
「えっと、武人! 武人なら幸せな夫婦生活になりそうね。優しいし、実際に奥さん想いだもの」
「お……俺か!? こりゃまた、意外な高評価だな。例え話としても、嬉しいものだ」
「では、美奈は武人を選ぶのですか?」
「うーん。でも、武人も駄目なの……」
「どういう事だ?」
「武人は立派すぎるから……私が後ろめたさを感じちゃう。きっと、もっと良妻賢母な感じの奥さんでないと駄目よね」
こうなると、残るは桂サンか玄瑞だ。
私は、二人を見比べる。
どちらも美男子。
どちらも聡明。
どちらも物腰が柔らかで……人格者だ。
「桂サンは……」
「私は、何ですか?」
私に向けられた桂サンの笑顔に、何だか冷たいものを感じる。
笑っているようで、笑っていない……そんな感じだ。
下手な事を言って怒らせたら、後が怖い。
私の本能が、そう言っている。
「あのね……この中でも桂サンは、完璧な人だから……私なんかじゃ畏れ多くて……御免なさい!」
「フフ……良いのですよ。貴女がそう恐縮してしまうのも、仕方がありませんね」
この人……さりげなく自賛した!
実は、かなり自分に自信がある人なの?
「そう……桂サンには私なんて相応しくないもの。だから、引け目を感じちゃうから……桂サンは選べないわ」
「貴女が、これ程までに素直になるとは意外ですねぇ。そんな所も実に可愛らしい。しかし、そんな風に謙遜せずとも良いのですよ? きっと数年もすれば、私と居ても見劣りしない程に美しい女性になるでしょう」
「数年……ね」
遠回しに、今はまだ女として不足しているとでも言われたかのような気分だ。
そんなにも、色気は大事なのだろうか?
「最後に余ったのは玄瑞ですねぇ……やはり、貴女は玄瑞を選ぶのですね?」
「そう……ね。玄瑞は医者だしね。私には一番合う気がする……だから、やっぱり玄……」
「そうか、そうか……やはり、お前の隣は私しか居るまいな。嬉しいよ……ようやく、想いが遂げられるのだからな」
玄瑞は感慨深そうに、私の手をとる。
「ちょ……ちょっと! 離しなさいよ! 仕方ないでしょう、消去法で余ったんだから。勝手に誤解しないでよね!」
慌てて振りほどこうとする私を見て、皆は声をあげて笑っている。
「笑っていないで、誰か助けなさいよ! 俊輔、笑い過ぎよ!」
「そうは行かねぇよ。そもそもお前が、俺を聞多と一括りに選定外にして、久坂サンを選んだんだからな。それに……普段冷静な久坂サンの珍しい姿が拝めるのも、こんな時ばかりだ」
「っ……薄情なヤツ!」
皆はひとしきり笑うと、新たな勝負へとその身を投じるのだった。




