お団子日和
「ねぇ……」
「うわっ! な……何故、お前が此処に居る!?」
「武人……お団子……」
「ま、待て! こんな往来の真ん中で、女が男の着物の袖を引っ張るな! お前には、恥じらいというものが無いのか? それに、俺は団子ではない。そもそも、俺は何故お前が此処に居るのか、と尋ねたのだ。団子が食べたいのならば買ってやる……だが、まずは俺の問いに答えてからだ!」
武人を無事に見付けた私は、着物の袖を掴み話し掛けた。
突然現れた私に、武人は驚きの声を上げ、分かりやすい程に困惑している。
「何となく……藩屋敷を飛び出してきちゃった」
「何だと? 高杉や久坂が心配するだろうが! 二人と喧嘩でもしたのか? それなら、さっさと仲直りしろ。一人で謝りにくいなら、俺が付いて行ってやる」
「喧嘩なんてしてないもん。それに……私は武人と約束があるって言って出てきたの。だから、大丈夫よ」
「俺には、お前と約束した覚えは無いのだがな?」
「既成事実を作ってしまえば、同じ事でしょう?」
「き……既成事実!?」
「ほら、お団子を食べに行こうよ。理由を話したんだから、武人の奢りだよ!」
深い溜め息をついている武人の手を取ると、私は走り出した。
甘味屋に着くなり遠慮なく団子を注文し、お茶と交互に口にする。
「何か……あったのか?」
武人は、団子を頬張る私を眺めながら、静かに尋ねた。
「ねぇ……武人は、奥さんは居るの?」
「何を唐突に言う? 当然、居るに決まっているだろう。この年まで独り身である訳がない。19の時分に祝言を挙げたから、今年で……」
「何年かなんて、そんなの数えなくて良いよ。そっかぁ……みんな、奥さんが居るんだね。この時代の人は、結婚が早いなぁ。みんなからしたら、私は……行き遅れなんだろうね」
「なんだ、嫁に行きたくなったのか? ふむ、そうだなぁ……その年では確かに遅いが……まぁ、お前の器量ならば、貰い手も簡単に見付かるだろう。高杉にでも頼めば、良い嫁ぎ先を見繕ってくれると思うぞ?」
「別に……嫁ぎ先を探してる訳じゃないもん」
私は頬を膨らませた。
「何を怒っている? すまんが、俺にはお前の心中が分からぬ。順を追って説明してくれ……でなければ、お前に助言してやる事も叶わぬからな」
「……本当に武人は真面目だね。真面目で優しくて、重度のお人好しよね。何だか拍子抜けしちゃった。そんな風に真面目な武人には……妾とか居ないんだろうなぁ」
「妾なぞ居らん。そもそも、俺にそんなモノは必要ないからな。女は、妻が一人居れば十分だ」
「良いねぇ……奥さんは、武人にちゃんと愛されてるってわけだ。でも、珍しいよね……この時代の人は、あちこちに妾や馴染みの芸妓を抱えてるじゃない? 晋作とか特に!」
私の言葉に、武人は少し考え込む。
その間も、やけ食いとでも言わんばかりに私は団子を口にしていた。
「高杉はな……祝言を挙げる前はあんな風では無かったのだ。いつからあぁなってしまったのだろうなぁ。あれだけ節操が無いのに、お前が高杉と何も無いとは……正直、不思議でならん。アイツは女なら誰でも……」
「その先は、言わなくて結構よ。私自身も良ぉく分かってますから! 晋作は事ある毎に、私は色気が無いからって言うの。だから、私なんて頼まれても相手にできないんたってさ。そんなの、私だって御免よ」
「フフ……そうか。高杉は、やはり素直では無いな。アイツらしいと言えば、実にアイツらしい」
「晋作の事はもう良いや。女癖の悪さは、だいたい知ってるし。そうだ……玄瑞は?」
派手に遊ぶ晋作と違い、玄瑞には慎ましやかなイメージがある。
武人達ほど、玄瑞達の夫婦仲は良くはないかもしれないが、それでも妾を持ったり馴染みの芸妓を抱えたりはしないだろうと思っていた。
「久坂……か。確かに、妾は居ないとは思うが……実際は、どうなのだろうな?」
ハッキリしない武人の言い方に、私は少しだけ苛立つ。
「そもそも久坂は萩でも京でも、相当な人気があるからなぁ。俺には、真相は分からないさ」
「玄瑞って、そんなにモテるの!?」
「あの顔にあの声……それに背丈だろ? おまけに学もあるのだ。女に言い寄られない訳があるまい。なんでも京では、往来を久坂が通ると……長州の久坂サンが通ると言って、女共が駆け寄る程だそうだ。桂サンが、よく言っていたよ」
「なにそれ……馬鹿みたい! 玄瑞なんて……たいした事ないのに!」
まただ……
この……面白く無いという感覚。
心の根底でモヤモヤしている感情。
何だか、イライラする。
大好きなはずのお団子も、今日は美味しさどころか、味すらよく分からない。
「ほぅ……そういう事、か。久坂も中々、罪作りだな」
「意味……分かんない。どうして玄瑞が出てくるのよ」
「お前が言い出したのだろう。そういえば、屋敷を飛び出す前、お前たちは何の話をしていたのだ?」
えっと……何の話をしていたっけ?
二人としていた話の流れを頭の中で整理すると、ゆっくり口を開いた。
「松陰先生の……改葬の話をしていたの。でも、玄瑞は、改葬に参列したくないって言い出して……晋作と掴み合いの喧嘩になっちゃったのよ。理由を話せって……晋作ったら、凄い剣幕だった」
「明後日の話か……それで、その理由とは何だったのだ?」
「それは……」
「言いにくい事なのか?」
「そんな事はない!」
私は咄嗟に否定すると、武人に説明した。
「玄瑞は、文サンの事を気にしていたの。今まで大切にしてあげられなかったから……松陰先生に合わせる顔が無い。だから、参列できない……って、先生はもう亡くなっているんだから、合わせる顔も何も無いのにね」
「そう……か」
「だからね、私……言ってやったの。これから大切にしてあげれば良いでしょうって……そうすれば、先生だって許してくれるに決まってるって……」
「それで屋敷を飛び出してきた訳か。俺を出汁に使って……」
「っ……ごめんなさい。だって、何だかその場に居たくなかったんだもん。面白くないっていうか……イライラするっていうか」
俯く私を見た武人は優しく微笑むと、そっと頭を撫でた。
「お前たちは……楽しそうで良いな」
「今の話の何を聞いて、楽しそうだなんて思えるのよ。意味分かんない!」
「そう……膨れっ面をするな。お前のその感情を何と言うのか知っているか? ……嫉妬いうのだよ」
「……嫉妬」
私は考え込む。
私が玄瑞に嫉妬している?
そういえば、精神科の講義で講師が言っていたっけ。
嫉妬は、自分と相手との差が大きく開くほど、芽生える感情だって。
例えば……私が1万円を持っていて、武人が100万円持っていたとする。
武人が私を羨ましがることは無いだろうが、私は武人を羨ましく思う。
何故なら、武人は私よりたくさんお金を持っているからだ。
この羨ましいという感情が嫉妬の始まり。
100万円が1000万円、1000万円が1億円という風に、自分との差が開けば開くほど相手を羨ましく……そして妬ましく思うのだそうだ。
「そっか! 分かった……私は玄瑞が羨ましかったのね? 私より頭が良いし、医術にも精通しているから……」
「は? お前は何を言っているのだ?」
「武人が嫉妬って言ったから……私、分かったの。私は、玄瑞に嫉妬していたって! そうと分かれば、私も頑張って勉強しなくちゃ……武人、今日はありがとう。それから、お団子ごちそう様!」
「お……おい! 違うだろ……お前が嫉妬しているのは玄瑞でなく……文に……って、もう聞こえてはおらぬか。まったく、アイツは人の話を最後まで聞かぬな。あれには困ったものだ」
私は言いたい事だけを言うと、武人のもとを去り藩邸へと走った。
最後に言いかけた武人の言葉など、私には届いてはいなかった。




