大炎上
ついに、例の策を決行すべき日が訪れた。
昨日は海月楼にて最終的な打ち合わせを行った。
この日まで幾度となく会合を重ね、夜な夜な何度も現場の下見も済ませている。
晋作は下見など必要ないと言っていたが、不安だった私が何とか説き伏せての事だった。
私達は入念な下準備を終え、今夜その集大成を迎える。
……などと、格好よく言ってはみるが、所詮はただのテロ行為だ。
こんな事を私の時代で実行しようものならば……その行く末は、予想に容易い。
しかし、その行動が新たな世を築く礎となると、晋作や玄瑞らが信じているのであれば、私はそれを見届けるまでだ。
12月12日、夜
私たちは英国公使館へと走る。
人に見付かってはならない為、明かりなどは一切灯していない。
この時代の人々は夜目がきくのだろうか……暗闇であるにもかかわらず、まるで道が見えているかのようだ。
真っ暗闇の中、私は玄瑞に手を引かれる。
「こりゃあ、聞いていたよりも立派な柵ですね? これを断つとなると、一筋縄ではいきませんよ」
泥だらけになりながらも辿り着いた先には、高くて頑丈そうな柵があり、私達の行く手を阻んでいる。
「下見が功を奏したな。手筈通り、伊藤……頼んだぞ」
玄瑞に言われるなり、伊藤サンは持参した鋸で柵を壊し始めた。
「ねぇ……私も手伝おうか?」
必死に丸太と格闘している伊藤サンに同情した私は、思わず声をかけた。
「良いって、良いって……双璧の姫サンに……こんな重労働はさせらんねぇ……よっと」
「何それ……勝手に変なあだ名を付けないでよね? そもそも双璧の姫って何よ」
「あれ……不評だったか? 双璧……から寵愛を受け……ているから、双璧の姫君……中々良いだろ?」
「初代総理は、ネーミングセンス皆無なのね。よく覚えておくわ」
手を動かしながらそう話す伊藤サンに、私は溜め息を一つついた。
「お前ら、静かにしろ」
突然の晋作の声に、私は反射的にビクッと肩を震わせる。
晋作の視線の先を辿ると、遥か遠くから幾つかの明かりが見えた。
「あれは……何?」
玄瑞の着物の袖を掴み、そっと尋ねる。
「おそらく……見廻りだろうな。ひぃ、ふぅ、みぃ……ふむ、6人といったところか。たいした数では無い、心配には及ぶまい」
「見廻り……そういえば……」
いつか観た映画でのシーンを思い出す。
英国公使館の焼き討ちの際に見廻りの者たちと出くわすが、確かこの中の誰かが見廻りの者の提灯を斬って……その姿や気迫を恐れた見廻りの者たちは、その場から逃げ出してしまう。
映画ではそう描かれていたはずだ。
きっと、史実でもそうなのだろう。
あれは史実に沿った映画だったから……
「お前らは、此処に居ろ。俊輔! 俺らが戻って来るまでには、その柵を何とかしておけよ? それと、玄瑞……分かっているだろうが、美奈を絶対に近寄らせるんじゃねぇぞ?」
「晋作! 私も……」
「武人……行くぞ」
晋作は隊長らしく指示すると、武人と共に明かりの方へと駆け出した。
私はというと、手首を玄瑞にがっちりと掴まれ、その動きを封じられている。
「離してよ……いくらなんでも、二人じゃ大変でしょう? 私も加勢するわ」
「お前は晋作の話を聞いていなかったのか? 晋作は、お前を近付けるなと言っていたではないか。そもそも、真剣での勝負などさせられる訳がなかろう!」
「勝負になんてならないわよ! 映画では、こっちが威嚇して相手が逃げて……それで、事は済んでいたもの」
「駄目だ! 此度は何が何でも、認めんからな!」
映画のワンシーンと同じ光景を見てみたい……という私の願いも虚しく、玄瑞がその手を離してくれる事はなかった。
「久坂サン! 柵が……壊れました!」
晋作達が帰って来るよりも早く、伊藤サンと柵との戦が終わった。
あれからしばらく経つが、晋作達の姿が見えない。
何かあったのではないかと、流石に心配になる。
「晋作は何をしている……折角、柵が壊れたというのに。っ……致し方あるまい。伊藤に井上らは、予定通り公使館へ行ってくれ。焔硝は持っているな?」
「勿論ですよ……ですが、高杉サンや久坂サン達は……」
「私は、美奈と共に晋作らを待つ。奴らが戻った際に誰も居ないと、何かと不都合だろう? それに……今はこの手を離す訳にはいかぬのでな。分かったなら早く行け。手早く事を済まさねば、此度の策も失敗に終わってしまうだろう」
玄瑞の言葉に伊藤サンらは頷くと、壊れた柵の間を通り公使館へと消えて行った。
「置いて行かれたぁ……」
「そんな顔をするな。仕方がなかろう? 晋作の元へ行かせるのは危険だ。かと言って伊藤らの元に行かせるのも危険。ともあれば、私と此処に残るより他はあるまい」
「どうして、公使館に行っちゃ駄目なのよ?」
「あの洋館を炎上させるのだ……その為に、此度は相当な量の焔硝を使う。万が一、お前が火傷でもしては困るからな。お前は此処で見ていれば良い」
「っ……過保護! 晋作も玄瑞も、過保護すぎ! 私は、剣だって扱えるし……」
私は、そう言いかけたところで口を閉じた。
二つの足音が、私たちの元へと向かって来ていたからだ。
「晋作! それと……武人」
「おい……俺はお前にとって晋作のオマケなのか?」
「ち……違うよ。そんなつもりじゃ無いもん」
「それにしても……お前がおとなしく待っているとはなぁ。正直、驚いた。お前も少しは成長したのか?」
「っ……行きたくても行けなかったの! だって、玄瑞が離してくれなかったんだもん。見てよ、コレ……酷いよね?」
頬を膨らませながら掴まれたままの右手を上にあげ、武人に見せた。
武人は私のそんな姿を見て、笑いながら私の額を小突く。
その時。
ふわりと、鼻につくような嫌な臭いがした。
これは……血の……臭い?
まさか……
「ねぇ……もしかして……」
私が尋ねようとした瞬間、辺りが昼間のように明るくなる。
火付けが為されたのだ。
伊藤サンらが、公使館の方からこちらへと向かってくる。
「後ほど、藩邸で!」
皆は口々にそう言うと、バラバラな方向へと散って行った。
私もそのまま玄瑞に手を引かれ、ただひたすら走る。
しかし……その最中の私は当然、心ここにあらずだった。
赤禰サンから漂ってきたあの臭い。
あれは、きっと血の臭いだったと思う。
二人は……人を斬ったのだろうか?
映画のあのシーンと異なるのは何故?
史実が変わってしまったのか……
それとも
あのシーンが史実と異なっていたのか……
真実がどうであれ、今の私にはそれを確かめる術はなかった。




