草津千軒江戸構え ―後編―
「ただいまぁ! あっ、もう夕餉の支度が出来てるんだ?」
私が部屋に戻ると既に料理は用意されており、晋作は杯を煽っていた。
豪華な部屋に相応しい、豪華な料理。
こんな風に贅沢が出来るのも、二人のお蔭だ。
「そんな所に立ってないで、座ると良い」
「そ……そうだね」
私は慌てて腰を下ろした。
しばらくの間、私達は料理や美酒に舌鼓を打つ。
どれをとっても美味しくて、本当に幸せな気分になった。
「……美奈」
突然、私は晋作に呼ばれた。
晋作は、それまで手にしていた杯を置き、何やら真剣な表情を浮かべている。
「お前には、一つだけ大切な事を話しておかなきゃならねぇ」
「大切な……事?」
私は首をかしげた。
「そうだ。これは、大切な事だ」
「な……何よ? 突然、改まって……」
「お前は、この先の歴史を知っているのだろう?」
「そ……そうよ。そんなの、当たり前じゃない。もしかして……晋作は、先の事を知りたいの?」
私の問いかけに、晋作は眉間にシワを寄せる。
何だか、その答えが気に入らないとでも言いたそうな表情だ。
「その……逆さな」
「逆?」
「先の事を知りたくねぇ訳じゃねぇ。だがな……俺ぁ、お前を利用するつもりも更々ねぇ」
「ど、どうして!? そんな事言われたら……私の存在価値が……無いじゃない! 確かに、新しい時代は訪れる。でも、私は……それに対する犠牲を、必要以上には出したくはないのよ?」
晋作の意外な言葉に、私は異論を唱える。
「美奈……お前の気持ちは分かる。だがな、私達の気持ちも少しは分かって欲しい」
「二人の気持ちって何よ。私が二人に出来る事と言ったら、歴史を教える事くらいじゃない。それが出来ないのなら……私に価値なんて無い。二人に、こんな風に良くしてもらう意味も無い」
「っ……美奈」
ポロポロと涙を流す私に、玄瑞は戸惑っている様だった。
気まずい沈黙が流れる中、声を発したのは晋作だった。
「お前……何か、勘違いしてねぇか?」
「勘違いって何よ」
「俺らが、何故お前を大切に扱っているのか……お前はてんで分かっちゃいねぇ」
「……晋作」
晋作が言った珍しい言葉に、私は耳を疑った。
私を……大切に扱っている。
初めて晋作から、こんな風にちゃんと言葉にされた気がする。
「お前の知識は確かに凄ぇモンさな。徳川も天子も、藩主らも……それを知ったならば、破格の待遇でお前を欲しがるだろう。まぁ、実際……お前の言う通りに動きゃあ、全てが意のまま簡単に済むだろうからなぁ」
「なら……それで良いじゃない。私は、二人や長州の為にのみこの知識を使うつもりよ? だって、それ以外で二人の役に立てる事なんて、私には無いもの。剣術だって切紙程度だし、医術だってそう。知識はあっても、技術が無い私にはたいした事なんて出来ないから……たった一つだけでも、二人の役に立てれば……」
「そうじゃねぇ!」
私の言葉を遮るようにして声を荒げた晋作に、私は思わず肩をビクッと震わせる。
私は、何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。
晋作は私の目の前まで来ると、無言で腰を下ろした。
「お前を利用するなんざなぁ……したかぁねぇんだよ」
「それは……私には、そんな価値すら無いって事?」
「そんな事を言ってるんじゃねぇ! 俺も玄瑞も……お前を利用する為に、傍に置いている訳じゃねぇ。お前を……気に入っているからこそ置いている」
「気に入ってって……今日の晋作は、何だか変だよ……」
「うるせぇよ。少しは黙って聞きやがれ。つまりは……お前は、俺らの役に立とうだとか存在価値がどうだとか、そんなくだらねぇ事は考えるなという事さな」
「でも……」
晋作の言葉は、私にとって確かに嬉しいものだった。
だが……人間ならば誰でも、恩義には報いなければならないという感情が、大なり小なりあるはずだ。
実際、生活に困る事が無いどころか、こうした贅沢までさせてもらっている。
異なる時代に降り立った私が、こうして生きていられるのも全て……二人のお蔭だ。
そんな二人に、何かしてあげたいと思うのは当然の感情だろう。
「晋作の言う通りだ。勘違いをしてもらっては困る。お前は、我々がその知識を利用したいが為に、大切に扱っていると思っているだろう?」
「正直、それも……あると思ってる」
「それは何とも悲しい事だな。私達の気持ちが、お前には届いてはいなかったという事なのだからな。私も晋作も、お前を大切に想っているからこそ……利用するような真似はしたくは無いのだ。分かるか?」
「それは、嬉しいけど……」
「それでは、お前の気が済まない……と言いたいのだろう?」
「……うん」
「ならば、こういうのはどうだ?」
玄瑞は、優しく微笑む。
「本当に、必要な時……その時にだけ、私達はお前の知恵を貸してもらうのだ」
「必要な時って、どんな時?」
「そうだなぁ……我々や、長州の仲間の命に関わるような時だろうか?」
「それじゃあ、少なすぎるよ」
「ん? そうか? ならば……我々が、本当に決断に困った時にも、お前の知恵を借りるとしよう」
「それで本当に足りる? 二人にとって、仲間で居られる?」
私の言葉に、二人は目を見開く。
それと同時に、私の頭にポンっと手を置いた。
「その考え方を変えるには、まだ時間が掛かりそうだな。だが、決して忘れてくれるな? お前に先の世の知識が無かろうが……お前は、大切な仲間だ」
「フン……馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ。例え、全く役に立たずとも……お前は、大事な仲間に決まってんだろうが」
穏やかな口調で言う玄瑞と、ぶっきらぼうに言う晋作。
二人のその言葉に、更に涙が溢れた。
「っ……ありがとう」
「礼など不要だ」
「礼なんざ要らねぇさ」
片方ずつ涙を拭われた私は、二人に笑顔を向ける。
「私ね……本当はずっと、不安だったの。二人の役に立てなかったら……捨てられちゃうんじゃないかって」
「っ……何を馬鹿な事を! 私がお前を捨てるはずなど、あるまい」
「クク……そりゃあ玄瑞は、下心があるからなぁ?」
「えっ? 下心があるの!?」
「晋作! いい加減にしろ! 誤解されてしまうではないか……お前も、晋作の戯言などは聞くな!」
「焦るところがまた、怪しいねぇ」
「フフ……怪しいねぇ」
「なっ!? 美奈まで言うか!?」
玄瑞は真っ赤な顔をして言う。
そんな姿に、私と晋作は微笑んだ。
「松陰先生って……凄いよね。二人が私を大切に想っていてくれているって……教えてくれたの」
「先生は、人を見抜く力があるからな。私も先生のようになりたいとは思えど、先生の存在は偉大すぎて到底及ぶまい」
「先生は……特別さな。あの人程の人格者は、他には居ねぇさ」
「二人にも、こんなに影響を与えるなんて……私も、松陰先生に学びたかったな」
「何を言っている。お前も先生に認められたのだろう?」
「先生に、教え子だと言われたならば……お前も、村塾の門下生さな」
「そっか……何だか、嬉しいな」
松陰先生に生きて逢う事は叶わなかったけど、ほんの少しの間でもその教えを乞うことが出来た。
最後に先生は私に、晋作に送った言葉と同じ言葉をかけてくれた。
それだけでも、幸せな事なのかもしれない。
「私……ずっと、二人の傍に居るから。二人が辛くなった時や、迷った時は私を頼ってよね?」
「フフ……心得た」
「頼り甲斐はねぇが……頭の片隅にでも入れておいてやるさ」
本音で語らった私達の絆は、更に強まったような気がした。
この先も様々な困難を乗り越え、その度にこの絆を強めて行ければ良い。
同志
仲間
そして
家族
私達の関係は、何と表現したら良いのか分からない。
きっと、そんな言葉では上手く言い表せない。
本当に不思議な縁で繋がっているのだ。
そんな事を考えながら、私は眠りにつく。
私の定位置である、双璧の間で……




