萩
長州に着いてから久坂さんがまず向かうと言ったのは、萩城だった。
長州の萩城と言えば僻地……そんなイメージだったが、意外にも栄えていた城下町に驚く。
「私はこれより城にて、周布殿に報告をあげなければならない。すまぬが……そこの呉服屋で待っていてはもらえぬだろうか? その間に好きな生地を選び、着物を仕立ててもらってくれ」
「仕立てるもなにも……いやいや、私……お金なんて無いし!」
「金は心配せずとも良い。店の主人に、後ほど久坂玄瑞が参ると伝えてくれれば大丈夫だ」
「?」
私が返答に戸惑っている間にも、久坂さんは足早に去って行ってしまった。
仕方が無いので、言われた通りにすることにした。
「ご、ごめんください……」
「はいはい、いらっしゃい」
威勢の良い声と共に、店主が奥から顔を出した。
「あの……その……着物を仕立てて頂きたくて……」
「お着物ですね? どのような物が宜しいですか? とりあえず……まずは、好きな生地をお選び下さいな」
「ありがとうございます」
店内を見渡すと、様々な色や柄の生地が展示されていた。
多すぎる生地の種類に、優柔不断な私は迷いに迷う。
黄緑……いや、何か違うなぁ。
ピンク……これは私の顔には似合わない。
紫……あぁ……色気不足でダメだ。
結局、私は山吹色の生地を選んだ。
店の主人の娘に採寸してもらうと、彼女はすぐに仕立て始めた。
「あの、すみませんが……此処でしばらくの間待たせて頂けませんか?」
「おや、どなたかお待ちですか? そりゃあもう、うちは構いませんよ」
「えっと、久坂さん……久坂玄瑞さんが萩のお城に行っているので……待たせてください。ご迷惑をお掛けしてしまい、すみません」
「いえいえ……久坂さんはお得意様ですからね。本当にお気になさらないで下さい」
主人は笑顔で言うと私を客間に通し、お茶と干菓子を出してくれた。
「久坂さんがお見えになったら呼びますから、それまでこちらで寛いで下さいね」
「ありがとうございます」
日も傾きかけた頃、呉服屋に久坂さんが訪れる。
「お前のお眼鏡にかなうような良い生地はあったか?」
「色々あって迷ったけど……山吹色の着物にしたよ」
「もしや……一着だけか?」
「そうだけど?」
「代えが無くては困るではないか……その一着が駄目になってしまったら、着るものがなくなってしまうぞ?」
久坂さんは溜め息をつく。
「主人、すまぬが適当に五着ほど見繕って仕立ててくれないか? 色や柄は……そうだな、主人の娘に選ばせてくれ。帯や下駄の類いも、それと同様に適当に頼む」
「ありがとうございます。仕立て上がりましたら、すぐにお届けに伺います」
「お代はこれで足りるか?」
「えぇ、えぇ……そりゃあもう、十分でございます」
久坂さんは数枚の小判を店主に手渡した。
「ちょ……ちょっと!」
私は煌めく小判に慌てる。
「……行くぞ」
私の声など聞かず、久坂さんは私の手を引き呉服屋を出た。
「あのね、久坂さん……そんなにたくさん買ってもらっても……今の私には、お金なんて返せないよ! だいたい、小判一枚がいくらだか分かってるの? おおよそ5万円くらいだよ!?」
「ご……まん? お前の言っている言葉の意味がよく分からないが……何にせよ、女は遠慮なぞする必要はない。ただ、にこやかに礼を言えば良いのだ。それに、元より美奈に返済など求めるつもりは毛頭ない」
「ありがとう……」
久坂さんの言葉に、私はとりあえずお礼を言った。
「……笑顔が足りないな」
久坂さんはそう呟くと、フッと笑う。
「あ……ありがとう!」
私の精一杯の笑顔に、久坂さんは満足そうな表情を見せた。
「さて、ここが我が家だ」
立派な屋敷が立ち並ぶ中に、久坂さんのお屋敷もあった。
「良い家……だね。なぁんだ……やっぱりお金持ちだ」
「良い家か? 気に入ったのならば何よりだ。さて……早速、家内に言って部屋を用意させよう」
「は!? か……家内!?」
久坂さんに奥さんが居るなど知らなかった私は、その言葉に思わず反論する。
「ちょ……ちょっと! 私……奥さんが居るなんて聞いてない! そもそも旦那さんが見知らぬ女の人を連れて帰ったら……それこそ絶対に勘違いされるでしょう? とにかく、ダメだって! 奥さんを傷つけるような事はしちゃダメだよ」
「そう……なの……か?」
久坂さんは、私のあまりの剣幕に呆気にとられている。
話を聞くと驚くことに、久坂さんの奥さん……それは、かの有名な吉田松陰の妹さんだそうだ。
「文との縁談は、松陰先生の意向でな……断り切れなかったのだ。あの様な醜女でなければ、まだ良かったのだが……だいたい、あの時にハッキリと断るべきであったのだ。それをまだ年端もいかぬ私は、売り言葉に買い言葉で決めてしまうとは……本当に馬鹿なことを」
ちょっと、ちょっと。
この人今、さらりと酷いこと言ったよ。
不細工だから結婚したくなかったとか……何様のつもり?
なんかこの人、本当は最低な男なんじゃないの?
良い人だとばかり思っていたのに……なんだか騙された気分だ。
「ふぅん……久坂さんは女を容姿で選ぶのね。やっぱり男はみんなそんなもんだよね? 綺麗なら愛せて、ちょっとでも可愛くなければ愛せないのね。いつの時代も男は同じ……本当に最低な生き物よね。それなら……私も醜女なので、ここで失礼します!」
なぜだろう?
自分のことを言われたわけではないのに、やたらと腹がたった私は、久坂さんに背を向け歩き出す。
こんな人の世話になるくらいなら、元の時代に帰る術を自分で見つけてどうにかしよう。
「ま……待て! 誰もそんなことは言っておらぬではないか。私はお前を醜女だなどとは、一度たりとも言ってはおらぬ。そんな風に考えたことも無い。だから、お前が怒ることなど無いではないか」
手首をがっちりと掴まれ、引き留められた。
「よく聞け。お前は醜女などではない。その容姿はむしろ……私好みだ。だから安心して……」
私は振り返ると、久坂さんに笑顔を向けた。
「それは、どうもありがとうございます! 何でも良いから、手……離しなさいよ。穢らわしい!」
「私がこうまで言っているのに、お前は何を怒っている?」
「そんなのはねぇ……自分の胸に手ぇ当てて聞いてみたら? 顔も良くて学もあるのに勿体無いわねぇ。まぁ、何にせよ……その難ありな性格を直してから出直して来て!」
慌てる久坂さんと、その久坂さんに苛立ちをぶつける私。
当然、周囲のことなどお構いなしに言い合う。
「家の前で妾と痴話喧嘩たぁ……久坂もやるねぇ?」
突然の見知らぬ声に、私と久坂さんは振り返る。
「高杉……」
その名前に、私の心臓はトクンと跳ねた。
高杉……晋作!?
髪型こそ違うが、顔も姿かたちも……奇兵隊の写真で見る、あのままのものだ。
明治維新において重要な人物である高杉晋作との突然の出逢いに、驚きを隠すことはできなかった。