酒宴
それは本当に突然の出来事だった。
恐れていたその日は、何の前触れもなくやってくる。
別れの刻……
「美奈……お客様だよ」
道場で惣次郎といつもの様に他愛もない会話をしていた私を、近藤サンが呼びに来る。
その表情から、何となく事態を察した。
お客様は……きっと、玄瑞だ。
「惣次郎……私……」
私は惣次郎を見る。
「……行ってこい」
惣次郎は俯いたまま言った。
「惣次……郎?」
その場に立ち尽くしている私を、近藤サンはその手を引き、無理矢理連れて行った。
近藤サンは、私を玄瑞の居る部屋まで連れていくと、用があると言ってその場を離れた。
「美奈! 本当に会いたかった……晋作から聞いた時は、不安で不安で……眠る事さえままならぬ程だったのだぞ。迎えが遅くなってしまった事、赦してほしい」
玄瑞は私の姿を見るなり私を抱きしめる。
「玄……瑞」
私の心は複雑な想いでいっぱいだった。
「随分と過保護なご友人なこった……お前を連れて来た武士とは大違いだな」
玄瑞を案内したのが土方サンだったのか……その場に居合わせた土方サンはクスリと笑う。
「こ……これは、人前で申し訳ない事をした。非礼を赦してくれ」
「こりゃあ、はじめの武士とは性格まで正反対か。面白れぇ! お前さんもそう硬くなるな。見ての通り此処は浪人やら百姓やらの集まりだ。お前さんらとは身分が違う」
「身分? それを言うならば私とてさして変わりは無い。そもそも家柄なぞで人の器量は量れまい。家柄が良くとも、個が無能ならば大儀を成し得んからな」
「ほう……お前、若いクセに良い目をしてるじゃねぇか。だが、長生きはしなそうだな」
土方サンは不敵な笑みを浮かべる。
「そう言う貴殿こそ、長生きをする様な目をしてはおらんな。色男がそれでは、泣く女も多かろう」
「面白ぇ事を言うなぁ……気に入った! そうだ、今宵は此処に泊まって行くが良い。吉原に連れて行く金はねぇが、酒ならある。手頃な娘を呼んで酌させりゃあ良いだろう。お前さんも、色男に美声と来たモンだ……きっと、江戸の女も見惚れるだろうよ」
楽しそうな表情を浮かべる土方サンに、私は何だか苛立ちを覚えた。
私の帰り際に、何てくだらない事を言っているのだろうか。
本当に無神経過ぎる。
「すまんが私にはコイツが居るもんでな。そういった類の事には興が乗らんのだ。折角の誘いだが遠慮しておこう」
「お前さんも稀有な趣味だねぇ。こんな小娘の何が良いやら……」
「フン……コイツの良さなど貴殿には分からなくて結構。さて……私達はそろそろ出るとしよう。美奈が世話になったな。道場主にも宜しくお伝え頂きたい」
玄瑞はそう言うと、私の手を引き立ち上がる。
「待ってくれ!」
私達を引き止めたのは、原田サンたちだった。
「まだ何か用か?」
玄瑞は静かに尋ねる。
「あのよ……迎えが急な事だったから、俺らまだコイツに何もしてやれてねぇんだ。だから、さっきの土方サンの話じゃねぇけど、今夜は此処に泊まっていかねぇか? 最後に……酒宴でも開いてやりてぇんだよ」
原田サンの言葉に、何だか胸が熱くなる。
「だが……我々は先を急いでいるものでな。申し訳ないが……」
「お願い! 私ももう一晩だけ此処に居たい! みんなにちゃんと、お別れを言ってないもの。玄瑞……駄目かなぁ」
断ろうとする玄瑞の袖口を掴み、私は懇願した。
「……お前がそう言うなら、仕方があるまい。ただし、一晩だけだぞ?」
「うん。ありがとう」
私の意向を酌んでくれた玄瑞に、心からお礼を言った。
夕餉の酒宴まではかなり時間がある。
私と玄瑞は、土方サンの勧めで道場へと向かった。
「そういえば、お前は免許を授けられたそうだな?」
玄瑞は思い出したように尋ねる。
「土方サンから聞いたの? うーん。でも……免許って言っても、一番下の切紙っていう位だよ」
「三月にも満たないのに凄いではないか! よく頑張ったな」
そう言って玄瑞は、私の頭をふわりと撫でた。
懐かしい感触に、自然と笑みがこぼれる。
それと同時に、それが惣次郎の手で無い事実に胸がチクリと痛んだ。
「此処が道場か……中々良い道場ではないか」
玄瑞は道場内をぐるりと見渡した。
「あ……惣次郎」
先程私が道場を出た時と全く同じ場所に全く同じ格好で、惣次郎は居た。
「何だ……この者は兄弟子か? 反応が無いが、具合でも悪いのだろうか」
玄瑞は惣次郎に近付く。
「大丈夫か!?」
その声に、惣次郎はゆっくりと顔を上げた。
「お前……誰だよ?」
「あぁ、名乗りもせずすまなかったな。長州藩医、久坂玄瑞と申す」
「久坂……玄瑞。そうか……お前が……」
惣次郎は立ち上がり、玄瑞を睨み付ける。
「貴殿とは初対面だと記憶している。よって、その様な顔をされるいわれは無いと思うのだがな」
玄瑞は苦笑いを浮かべた。
「ねぇ、アンタさ……剣術はできるの?」
「そうだなぁ……人並み程度と言ったところだろうか」
「ふぅん。流派は?」
「鏡新明智流だが、それが何か?」
「士学館か……相手にとって不足は無いね。少し相手してくれない?」
惣次郎は玄瑞を挑発するかの様に言った。
「すまんがそれには乗れんな」
「なに? 逃げるの?」
「あぁ、そうだ。剣術を身に付けたとはいえ、たしなむ程度だ。貴殿には到底敵うまい」
てっきり玄瑞は挑発に乗ると思っていたが、意外と大人な対応をした事に私は感心する。
「つまんないの……そんな反応されるとさ、興が冷めるよね」
惣次郎は頬を膨らませる。
そんな二人を見て私は、ホッと胸を撫で下ろした。
そう……これで良い。
玄瑞が挑発に乗らなくて本当に良かった。
夕餉の時刻になり、酒宴が始まる。
いつもの食事よりちょっぴり豪華で、お酒がある。
晋作達との酒宴と比べると粗末な物だが、これはこれで良いものだ。
試衛館のみんなは、私を楽しませる為に酒宴を盛り上げてくれる。
みんなの気持ちを酌んで、終始笑顔で居るように徹した。
そんな私が心の底から笑えなかったのは、この場に惣次郎の姿が無かったからだろう。
「そうか……久坂は俺と同じ年か! いやぁ、親近感が増すねぇ」
酔った原田サンは玄瑞が同じ年だと知り、肩を組み玄瑞にお酒を勧める。
玄瑞は苦笑いを浮かべながらも、勧められるがままに杯を飲み干して居た。
その後も次々に、試衛館メンバーにからまれお酒を注がれる。
そんな玄瑞が酔い潰れて眠ってしまうのには、そう時間はかからなかった。
「おい、美奈……早く……行ってこい」
「えっ!?」
原田サンの言葉に耳を疑う。
「聞こえなかったのか? 惣次郎のところへ行けっつってんだよ」
「惣……次郎」
今度は永倉サンが、その場で俯いている私の手を引き立ち上がらせる。
「なぁにしてんだよ! 良いか、泣いても笑ってもこれが最後なんだ。悔いのねぇように……話して来い!」
「永倉……サン」
もしかして……
もしかして、私が惣次郎と話す時間を作る為に、みんなは酒宴を開いてくれたのだろうか?
私がゆっくり話せるように……玄瑞にお酒を勧めていたのだろうか?
みんなの想いに涙が溢れた。
「な……泣くんじゃねぇよ! 礼なら後でいくらでも聞いてやる。だから、早く行ってこいよ」
藤堂サンは私の背中をトンっと押した。
「みんな……ありがとう! 土方サン、今日は門限は!?」
私は土方サンに尋ねる。
「そんなモンはありゃしねぇよ。今日だけは……特別だ。だが、行きすぎた行動は認めねぇからな」
「わ……分かってるよ!」
私の返事を聞くと、土方サンはいつもの笑みを浮かべながら手をヒラヒラとさせた。
それを合図に、私は走り出す。
惣次郎を捜すために……
彼は一体何処に居るのだろう?
部屋にも道場にも、庭にも居ない。
あとは、考えられる場所は……あそこだけだ。
惣次郎の姿を見付ける為に、私は必死に走った。




