安らぎの日常
試衛館に戻った私達は、誰にも見付からないようにと細心の注意を払う。
「やっと帰ってきたのか……クソガキどもが」
門の影から突然現れた土方サンの声に、二人同時にビクッと肩を震わせた。
「土……方サン、どうしたんですか?」
惣次郎は動揺している。
「どうしたじゃねぇだろうが! お前は俺に言う事があるだろう?」
土方サンは、惣次郎を睨む。
「ご……ごめんなさい! あれは色々と……そう、気が動転していてですねぇ」
惣次郎は必死に謝る。
「まぁ良いさ。お前らはいつまでも一緒に居られる訳じゃねぇんだ。だから、悔いのねぇよう……仲良くやれや」
そう言うと、土方サンは惣次郎の頭をポンと撫で、去って行った。
「土方サン……もしかして、あれからずっと此処で、私達の帰りを待っていたのかなぁ」
「そう……みたいだな。だってあの人、眠そうな顔してた」
「土方サンってさ、怖そうに見えるけど……案外、面倒見が良いよね。惣次郎も、あんなお兄ちゃんがいて良いねぇ」
「お兄ちゃんって何だよ!?」
「だって……試衛館のみんなは、家族なんでしょう?」
「そう……だな」
惣次郎は、小さく笑った。
部屋に戻ったものの寝る時間も無かったので、そのまま早朝の稽古へと向かう。
道場へ行くと、既に惣次郎の姿があった。
「惣次郎も来てたんだ」
「まぁね。今から寝ても、たいして寝られねぇだろうし……」
「同じく!」
私はそう言いながら、竹刀を手に取る。
「お前……稽古休まなくて大丈夫なのか? こんな時間まで付き合わせちまったから、眠いだろ?」
「眠いっちゃあ眠いけど……稽古は休みたくないからね!」
「お前、意外と真面目なんだな」
惣次郎はそう言うと、私の稽古に付き合ってくれた。
寝不足で激しい運動をするのは、やはりツライ。
更に、稽古の時の惣次郎は真剣そのもので、動く量も他の兄弟子達とのそれとは比較にならない程だ。
「少し……休憩するか?」
私の様子を見てか、惣次郎は休憩を提案する。
「休憩する! はぁ……やっぱり、寝不足での剣術稽古はキツイねぇ」
私はそう言うと、道場の端に腰を下ろした。
惣次郎はそのまま素振りをしている。
彼は眠くはないのだろうか?
真剣な表情で竹刀を振るう惣次郎の姿を、私はしばらく眺めていた。
こんな早朝では、まだ他のみんなが道場に来る事はない。
寝不足とハードな運動のせいか、私は壁にもたれ掛かりながら、ウトウトとしはじめた。
「おーい。起きろー。美奈! 惣次郎!」
名前を呼ぶ声に目蓋を開ける。
「近藤サンに……山南サン!?」
「仲睦まじいのは微笑ましい事ですが……道場で居眠りとは、関心しませんねぇ」
「ご……ごめんなさい」
私は山南サンに謝った。
「貴女の膝の上の彼も、起こしては頂けませんか? 先程から起こしていたのですが……中々起きなくてねぇ」
「膝の上の……彼?」
山南サンの言葉に、私は自分の膝へと視線を落とした。
「そ……惣次郎!?」
いつの間にやら惣次郎は、私の膝を枕にしてスヤスヤと寝息をたてていた。
「惣次郎! ねぇ、起きてってば!」
私は必死に、膝の上の惣次郎を揺さぶる。
しばらくすると、惣次郎は気だるそうに目蓋を開けた。
「あれ? どうして……僕の部屋に、美奈がいるのさ」
惣次郎は何だか寝惚けている様だ。
「ここは惣次郎の部屋じゃなくって、道……場」
私が言いきらない内に、惣次郎は私の顔に手を伸ばす。
「美奈……好……き」
惣次郎はそう一言だけ呟くと、再びスヤスヤと寝息をたて始める。
「おや、おや……これは一体」
山南サンはクスリと笑う。
「あの……これは……ち、違うの! 私たち、ちょっと寝不足で……だから、惣次郎も寝惚けたみたいで!」
私は慌てて弁解する。
「二人揃って……寝不足!?」
山南サンと近藤サンは、同時に目を丸くさせた。
あれ?
何だか余計に変な誤解をさせてしまったかもしれない。
ど……どうしよう?
私は、自分の顔が一気に紅潮して行くのが分かった。
「お前……やっぱり、馬鹿だろう?」
聞き覚えのある声に、顔を上げる。
「コイツらはなぁ、一晩中でっけぇ喧嘩していやがったんだよ。その喧嘩が収まったのが今朝方……だから、二人揃って寝不足なのさ」
土方サンが二人に説明する。
「はぁ……そうですか」
「山南サンが考える様な、色気のある話でなくて残念だったな。だが……コイツらには、お似合いの理由だろ?」
山南サンは 、ホッとしたかの様な表情を浮かべた。
「今日は二人とも、稽古は無しです。睡眠不足のまま稽古をしてはいけませんよ? 途中で倒れでもしたら大変ですからね」
「えーっ!? 私、今さっき寝たから大丈夫だよ? 稽古は休みたくないの……お願いします山南サン」
私は山南サンに懇願する。
「鍛錬とは、稽古とは……技術だけでなく、身体と共に心も鍛えるものだ。十分な休息が得られていない状態で、いくら励んだとてそれは意味を成さない。言いたい事は分かるか?」
「近藤サン……」
「山南クンの言う通り……今日は部屋に戻って休みなさい。二人とも、だ」
私は近藤サンたちに小さく謝ると、立ち上がろうとする。
「ひ……土方サン! 惣次郎をどかして!」
その言葉に、全く起きる気配の無い惣次郎を、土方サンは軽々と抱え上げた。
「ったく……しょうがねぇなぁ」
土方サンは文句を言いながらも、惣次郎を部屋へと運んでくれ、私が敷いた布団の上に惣次郎を乱暴に転がせる。
さすがに起きるかと思ったが、惣次郎が起きる気配はない。
「これでも起きないんだ……ある意味スゴイね」
私は惣次郎の頬をつつきながら言った。
「さてと……お前はこっちだ」
土方サンは、今度は私をヒョイッと抱え上げる。
「ちょ……ちょっと! 何するのよ。下ろしなさいって!」
「うるせぇ! お前は自分の部屋に帰れ」
「もう少ししたら、自分で帰るってば!」
私は土方サンの肩の上でジタバタする。
「駄目だ。今すぐ戻れ!」
「な……何でよ?」
手足をバタつかせながら尋ねた。
「んなもん決まってんだろ? ガキ共が盛って……間違いが起きねぇように、だ」
土方サンの言葉に、私は顔を真っ赤に染め上げる。
「クク……やっと、おとなしくなったな」
私の様子を見て、土方サンはひとしきり笑うと、そのまま私を部屋まで連れて行った。
「今日はこのまま少し寝ろ。睡眠不足は身体に障る」
そう言い残した土方サンを、私は呼び止める。
「土方サン……」
「何だ、まだ何かあるのか?」
「その……ありがとう。私はずっと此処には居られないし、いつかは皆とも敵になっちゃうかもしれない……けど、惣次郎を好きな気持ちは本当だよ? それに、試衛館の皆の事も大好き……だから……」
「そりゃあ良かった。さっきも言ったがな……せいぜい悔いのねぇよう楽しく過ごせ。お前が居なくなった後の事ぁ、俺らに任せてくれりゃあ良い」
「うん……ありがとう」
「まったく……ガキ共の世話は、骨が折れる」
土方サンは優しい笑顔を見せると、私の部屋を後にした。




