新選組?
「お前、江戸でしたい事でもあんのか?」
旅の道中、晋作が私に尋ねた。
「いっぱいあるよ! お玉が池の……小石川養生所だっけ? そこに行ってみたいし……市谷甲良屋敷にも行ってみたい!」
「……市谷甲良屋敷だと? 何でまたそんなところに行きたいんだ?」
市谷甲良屋敷に行きたい理由なんて、そんなのは決まっている。
私は、とにかく新選組に会いたいのだ!
今の時点では新選組ではなく、試衛館の食客たちに過ぎないのだろうが……それでも一目逢ってみたかった。
私が長州のみんなと行動を共にしている限り、憧れの新選組とは敵同士という事になる。
新選組が京で名を馳せている頃には、長州のみんなは追われる身。
そういったしがらみも無く新選組のみんなと逢う事なんて、きっと今しか出来ないだろうから……
「えっとねぇ。試衛館っていう道場で剣術を学びたいの!」
「何だそりゃ。そんな道場は聞いた事がねぇなぁ。そもそも、そんな得体の知れねぇ道場でなくとも、江戸には有名な道場がたくさんあるだろうが」
晋作は不思議そうな顔を浮かべている。
「有名な道場って、例えばどこ?」
「そうさなぁ……千葉周作が開いた北辰一刀流の玄武館、それに斎藤弥九郎が開いた神道無念流の練兵館、あとは桃井春蔵がやってる鏡新明智流の士学館あたりだろうなぁ。ちなみに俺や桂サン、伊藤に井上も練兵館だ」
「ふうん」
「おい! 人が折角説明してやってるってぇのにお前という奴は……」
私の素っ気無い返事に、晋作は深い溜息をつく。
「だって……私、どうしても試衛館が良いんだもん! 天然理心流が良いの!」
「つくづく訳の分かんねぇ女だな。だが、養生所はどうする? お前は、そっちが本命なんだろう?」
「そうだよ? でも、それは玄瑞と合流してからで良いかなぁって。この時代の医者が一緒の方が、何かと都合が良いもんね」
「まぁ、それもそうさな。……良し、仕方があるまい。このまま先に、市谷甲良屋敷に寄って行ってやるか」
「わぁ! 晋作、ありがとう!」
願いが一つ叶うという事に、私は完全に浮かれきっていた。
「お、おい! 飛びつくんじゃねぇよ! 暑苦しいからさっさと離れろ」
「こんな美女に抱きつかれて嬉しくない訳? 本当に晋作は素直じゃないんだから」
「どの口がそんな、たいそれた事を言っている? 皆が皆、玄瑞の様に妙な女の好みをしていると思うんじゃねぇよ!」
「痛い! だから痛いってば!」
晋作のいつもの制裁に、私は涙目になる。
こんな時に庇ってくれる玄瑞が居ないという事は、何とも不便なことだ。
そして
宿場での宿泊を何度も重ね、私たちはついに市谷甲良屋敷へと辿り着いた。
この旅の道中、私は幾度頬をつねられただろう?
お蔭で頬が伸びてしまってはいないか、若干心配だ。
市谷甲良屋敷では色々な人に道を尋ね、やっとの思いで試衛館を見つけた。
苦労して辿り着いた分、その感動も一入だった。
「おーい、道場主は居るか?」
晋作は中に入るなり、声を掛けた。
「ちょ、ちょっと! そんな呼び方、失礼でしょうが!」
私は晋作の袖を掴む。
「構やしねぇよ。所詮は田舎剣法を扱う道場だからな。道を教えてくれた武家のモンも言っていただろう? ここは、武士の行く所じゃねぇって」
晋作は試衛館を見て、鼻で笑う。
「フンッ……田舎剣法で悪かったなぁ。お前ら何モンだ? 門下生志望にしちゃあ態度がでけぇよなぁ?」
その声に私たちは振り返る。
「ひ……ひ、ひ」
「おい、美奈! 一体どうした!?」
晋作は私の肩を掴んだ。
「ひ、土方歳三!!」
この人はきっと、土方歳三に違いない。
後世に残るあの写真。
あれより若いが、確かに面影がある。
私は緊張のあまり、全身が硬直してしまう。
「何だ? お前、俺が前に相手してやった女か何かか? チッ……覚えがねぇなぁ」
土方サンは私の顎を掴むと、私の顔をまじまじと見た。
その近さに、感動だか恥ずかしさだか……もう何だかよく分からない感情で頭の中が一杯になる。
きっと今の私は、真っ赤な顔をしているだろう。
とにかく、その場に立っている事だけで精一杯だった。
「おい! いい加減その田舎臭い手を離してもらおうか?」
気付けば晋作が怖い顔で、土方サンの手首を掴んでいた。
「ほう……コイツはお前のモンだったか? そりゃあ悪ぃ事をしたなぁ。だが……前に相手した女では無さそうだ。それに……生憎、俺は生娘にゃ興味はねぇモンでな。そんな、おっかねぇ顔しなくても良いだろうよ」
土方サンは晋作を煽るかのように、鼻で笑いながらそう言った。
「勘違いしてもらっては困る。俺とて、コイツみてぇに色気のねぇ女は御免だ。だが……コイツは大事な預かりモンでなぁ。田舎侍ごときに傷物にされちゃあ困るんだよ」
「そうかい、そうかい。だがな……田舎剣法だと見くびるのも大概にしろ。どこぞの藩士様だか知らねぇが、それが客人の態度かねぇ?」
何だか、私を置き去りにして二人は険悪な雰囲気になってしまっている。
どうしよう……
この二人、実は……混ぜるな危険……なのかもしれない。
「トシ! 何をしている!」
騒ぎを聞きつけてか、一人の男性がやって来た。
「か……カッチャン!?」
現れたその男性は、まぎれもなく近藤勇であった。
顔や姿形は、例のあの写真のそのままだ。
土方サンは近藤サンが来るなり、急におとなしくなる。
「うちの者が大変失礼を致しました。手前、この試衛館の近藤勇と申します」
「長州藩士、高杉晋作だ。コイツは桜美奈。今日は、この道場主に頼みがあって参った」
「そうですか……ここでは何ですから、中で伺いましょう」
誰に対しても横柄な態度を崩さない晋作に、逆に感心してしまう。
物怖じしないと言うか、何と言うか……
私たちは近藤サンに案内され、とある一室に通された。
「それで……頼みというのは何でしょうか?」
「コイツをしばらく預かって欲しい。コイツはどうしても、この道場で剣術を学びたいそうでなぁ」
「このお嬢さんが!?」
近藤サンは唐突な申し出に、絶句している。
「ちょ、ちょっと待ってよ! しばらくって……晋作は私を置き去りにするわけ?」
「当たり前だ。俺ぁ藩主に江戸在勤を命じられてんだよ。要するに、仕事だ! 今回ばかりは、お前の様に遊んでばかり居られまい。玄瑞が江戸に来る際に迎えに行く様、文は出しといてやる。せいぜい頑張るこったな」
晋作の言葉に、私は押し黙る。
「おいおい、馬鹿にすんのも大概にしろよ? こんな小娘に剣術ができる訳がねぇだろうが!」
「と……トシ! 良いから、お前は少し黙っててくれ」
土方サンは舌打ちをすると、私たちから顔を背けた。
「仮にも此処は剣術道場です。か弱い女性には些か厳しいかと思いますがね……」
近藤サンは苦笑いを浮かべた。
「でも! 私、ここで剣術を学びたい。どうしても、この天然理心流じゃなきゃ駄目なの! だから……お願いします」
女には無理だと言われたところで、引き下がる訳には行かない。
はじめは新選組に逢いたいからと言うどうしようもない理由だったが、女には無理だと言われた事に無性に腹がたった。
無理だと言われると、やり遂げたくなるのが私の性分。
私は必死に頭を下げた。
「近藤サン、幾月か頼めねぇか? 稽古賃は、此処に用意してある。何も免許皆伝にしろって言ってんじゃねぇんだ。多少なりとも、てめぇの身が守れるくれぇに育ててくれりゃあ良い」
珍しい事に、晋作も一緒になって頼み込んでくれている。
それにしても……稽古料を出してくれるとは。
前に玄瑞と、晋作の優しさは分かりにくいという話をしていたが、今回は分かりやすい程の優しさだった。
「面白ぇ。良いじゃねぇか、カッチャン! この娘も、中々気概がありそうじゃねぇか」
その話にのってくれたのは、意外にも土方サンだった。
「だがなぁ……娘サンだしなぁ。顔や身体に傷が付きでもしたら……」
「そんなのは、覚悟の上だもん!」
「……だとよ。こんだけ言っているし、稽古料もたんまり貰えるし……利害関係も一致した。良いじゃねぇか。置いてやれよ」
「そう……だな」
土方サンの後ろ盾により、何とか近藤サンが折れてくれた。
これで晴れて、試衛館の門下生となれる。
感動から鼓動が高鳴っていた。
その後すぐに、私は晋作を見送ることとなった。
玄瑞が迎えに来てくれるまでの間、どのくらい剣術を上達させる事ができるのだろうか?
もう既に、私の頭の中はその事で一杯だった。
「おい、そこのお前……先に忠告しておくが、絶対に美奈に手を出すんじゃねぇぞ? そんな事をしようモンならば、俺が叩き斬ってくれる」
晋作は、去り際に土方サンに、そう一言だけ言い残して去って行った。
「チッ……こんな小娘なんざ、頼まれたって御免だっての! アイツぁ全くもって、いけ好かねぇ野郎だ」
これから始まる試衛館での生活。
玄瑞や晋作が居ないのは寂しいが……二人ともそれぞれの成すべき事をこなしている。
私も、二人に負けないように頑張ろうと、心の中で誓った。




