宣教師
今日も鼻歌を歌いながら香炉に火をくべる。
昨日は桜だったから、今日は梅かなぁ?
5月も半ばとなった今では、桜も梅も時期外れだったが、高杉サンも久坂サンもこの香りを気に入ってくれていたので、同じ香りを日替わりで使っていた。
「今日は梅……か」
久坂サンがふと呟く。
「そうだよ。だって昨日は桜だったでしょう? 日替わりにしないと、二人が喧嘩しそうなんだもん」
「そんな子供じみたことはしないさ」
「しょっちゅう言い合いしてるクセに?」
「あれは……高杉が突っかかってくるから悪いのだ」
久坂サンは溜息をつく。
「誰が悪ぃって?」
日課になっている早朝の散歩から、高杉サンが帰宅する。
「お? 今日は梅……か。良い香りだ」
高杉サンは何だかご機嫌な様子だ。
「美奈、今日は良い所に連れて行ってやる」
「良い所?」
私は首をかしげた。
「お前が興味を持ちそうなところさな」
その言葉に、私の表情は一気に明るくなった。
あの日の一件以来、二人は私を外によく連れ出してくれるようになっていた。
アメリカやイギリス、ロシアなどの商館を訪問したり、大きな蒸気船を見学したり……
毎日どこかへ出かけ、色々な物を見てまわる。
本屋と宿の往復生活からは、見事解放されたのだ。
理由は……
放っておくと、私が行方不明になりそうだから……らしい。
全くもって失礼な話だ。
その後、五代サンも合流し目的地まで4人で歩く。
私たちが訪れた場所は……
教会だった。
「ここが私の興味をそそる場所?」
「そうだ」
高杉サンは呟くように答えた。
「私……キリスト教徒じゃないんだけどなぁ。そりゃあ確かに、将来的には教会で結婚式を挙げたいなぁなんて思ってるけどさ」
「結婚式?」
「えっとねぇ、欧米では教会で祝言を挙げるんだよ。真っ白なウェディングドレスを着て、新郎……旦那サンになる人は、真っ白なタキシードを着るの!」
あまりピンときていない様子の久坂サンを横目に、私は目を輝かせる。
「美奈は、異国の文化をよく知っているね。白いドレスかぁ……君によく似合いそうだ。どうだい? 私と式を挙げてみるかい?」
「五代サンもタキシードが似合いそうだね! 私も、早くウェディングドレスが着たいなぁ」
「なんなら今、この清国で挙げても構わないよ?」
「私を貰ってくれるなんて、五代サンも中々お目が高いねぇ?」
私と五代サンは、冗談を言い合いながら、結婚式の話題で盛り上がる。
「なっ……何を言っている。祝言とは夫婦になる事だぞ? お前は分かっているのか? そんな事は認めん!」
久坂サンは頬を膨らませる。
「久坂サンには文サンが居るクセにー!」
「居るクセにー!」
私たちは、笑いながら久坂サンをからかう。
「そ……そういう五代サンには妻子は居らぬのか?」
「私は独り身だよ。だから、妾などでなく、正妻として迎え入れる事もできる」
「だってさ! 私は妾なんて御免だもん」
久坂サンはガックリと肩を落とした。
「ならば……文とは離縁しよう!」
その言葉に私は慌てる。
「な……何言ってるの!? そんなの駄目だよ!」
「美奈の為とあらば致し方あるまい」
「ちょ、ちょっと……今までのは冗談だってば! 少しからかっただけ! だから、そんな事する必要なんてないの!」
この人には冗談は通じないのだろうか。
とにかく、真っ直ぐ過ぎる。
「クク……お前ら馬鹿だなぁ。久坂の性格をまるで分かっちゃいねぇ。コイツぁ、そういう男さな」
傍観していた高杉サンは、笑いながら言った。
「笑ってないで、何とかしてよ!」
私は高杉サンにしがみつく。
「仕方ねぇなぁ……」
高杉サンは気だるそうに呟くと、久坂サンに声を掛けた。
「久坂ぁ……案ずるな。離縁なぞする必要はねぇよ」
「どういう事だ?」
「美奈は、お前を本当は好いているんだとよ。ああやってからかうのは、愛情の裏返しさな」
突拍子もない事を言う高杉サンに、開いた口が塞がらない。
「な……何言ってんの! 私、そんな事は一言も言ってないじゃない」
「これで良し!」
「これで良し! じゃないでしょう!? 更に状況を悪化させてどうすんのよ」
高杉サンはニヤついた表情を浮かべる。
「そうか……今まで気付かなかったとはいえ……お前にはすまない事をしたな」
「く……久坂サン!? とりあえず手を放してってば! もう、これどうすんのよ……全部、高杉サンのせいだからね!」
「クク……本当にお前らは面白ぇなぁ。さぁて、久坂の機嫌も直ったところで、早速行くとしようかねぇ」
「そうだね。いつまでも教会の前で騒いでいたら申し訳ないしね」
まとわりつく久坂サンを引きはがしている私など放っておいて、高杉サンと五代サンは笑いながら教会へと歩いて行ってしまった。
「ちょっと待ってよ!」
私も急いで二人の後を追った。
中に入ると、そこは普通の教会だった。
これのどこが、私の興味をひくのだろうか?
「おや、日本人のお客とは珍しいですね」
中に居た人物は、流暢な日本語で私たちに声を掛けてきた。
「耶蘇教の宣教師……か」
久坂サンは真面目な表情に戻ると、そう呟いた。
「耶蘇教?」
「キリスト教の事だよ。ここはね、教会と病院を兼ねているんだ」
五代サンは、私にこっそりと教えてくれた。
「私はミュルヘットと申します。イギリスから来ました」
「私は美奈です。この教会は病院があるんですか? 良かったら見学させて下さい」
五代サンから話を聞いた私は、誰よりも早くミュルヘットさんに話しかけていた。
清国では偽名を使わなければいけないというのに、私は本名を名乗ってしまっている事にすら、気付いてはいなかった。
「歓迎しますよ、ミナ!」
ミュルヘットさんは笑顔で手を差し出す。
「ありがとう」
そう言うと、私は手を取った。
ここはキリスト教の布教と共に、施医院という病院も兼ねている。
宣教師達は海外で布教活動を行う際には、必ず医師を伴って来るそうだ。
どんな身分の人間であっても、病める者が居れば彼らを救い、そして入信させるらしい。
何だか、入信のさせ方には良い印象は持てないが、どんなに貧しい人でも医療を受けられるという点では感心する。
この時代には、日本に限らず海外でも、十分な医療が受けられずに死んでいく人も多いだろう。
そんな中、医療を提供してくれるという事は、患者にとっては本当にありがたい事なのだと思う。
こういった布教活動を考えるとは……中々抜け目ない。
様々な物に興味を示し、次々に質問を投げ掛ける私に、ミュルヘットさんは一つ一つ丁寧に答えてくれた。
宣教師とは、皆が皆こうも親切なのだろうか?
「気は済んだか?」
一通り見てまわると、高杉サンは私に尋ねた。
「うん! すっごく勉強になったよ。良い所に連れて来てくれて本当にありがとう」
「礼なら五代サンに言え。ここを見つけてきたのは五代サンだ。医術を学ぶお前にとって、今後の糧となるだろう……とな」
高杉サンの言葉に、私は五代サンへと視線を移した。
「そっか……五代サンもありがとう!」
「フフ……どう致しまして。それだけ喜んでもらえると、苦労して情報を得た甲斐があるよ」
「苦労したの?」
「うーん。どうだろうね?」
「相変わらず……軽いなぁ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
今日は、施医院に行った。
明日は何処に連れて行ってくれる?
視察とはいえ、私たちは様々な場所や物を、自由に見て回れる。
好奇心旺盛な私にとって、それは本当に素敵な日々だった。
帰国……したくなくなっちゃうかもしれないね。
楽しい毎日のお蔭で、一日一日が瞬く間に過ぎて行く様に感じていた。




