家出
清国についてからというもの、高杉サンも久坂サンも書物を買い込んでばかりいた。
書店に出掛けては何やら難しそうな書物を購入し、宿で読みふける。
半分引きこもり状態の生活に真っ先に飽きたのは、何を隠そう私だった。
この時代……というより清国の書物は、何が書いてあるのかさえ分からない。
漢文を学んでいる二人にとっては造作も無い事なのだろうが……
「いい加減、出掛けようよ! 一日中、部屋に引きこもって本を読んで……出掛けたかと思えば本屋さんだし。もう飽きたよー」
静かな部屋で、私は一人で騒ぎだす。
「うるせぇ奴だなぁ……おい、久坂。コイツを何とかしろ!」
「美奈……これは大切な仕事でもあるのだ。この国の情勢をうかがい知るには、書物を読む事も必要なんだよ。わかってくれ」
二人は、顔も上げずにそう言った。
「もう良い! 私、出掛けてくる!」
痺れをきらした私は、大声でそう言った。
「好きにしろ! だが……あまり遠くには行くんじゃねぇぞ」
「そうだぞ。とにかく、宿から出てはならん」
二人の言葉も聞かず、私は部屋を後にした。
「追っても来ないなんて……」
私は苛立っていた。
二人は書物に熱中するあまり、私なんてどうでも良いという様子だ。
「少しは心配すればいいのよ!」
独り言を言いながら宿の廊下を歩いた。
「外はこんなに良いお天気なのに……みんなどうかしてる!」
宿から出て空を見上げると、雲一つない空が広がっていた。
さて……これから何処へ行こう。
私は立ち止まり、頭を悩ませる。
「お嬢さん……一人歩きは感心しないねぇ」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
「五代……サン?」
目の前にはいつの間にか、五代サンが立っていた。
「美奈が宿から出て行くのが見えたからね。ところで、一人かい?」
「そうよ! 二人とも、書物に熱心で毎日毎日、宿と書店の往復なの。折角の海外なのに……つまらないじゃない」
私は口を尖らせる。
「へぇ? あの久坂サンまでもが君を放っておくとはねぇ……どんな書物を読んでいるのか気になるね」
「そんなに気になるなら、二人と一緒に読んでいれば良いじゃない」
「そんな顔しないでよ。今日は私が付き合うから、機嫌を直しなって」
その言葉に、私は目を輝かせた。
「本当? 何処に連れて行ってくれるの?」
「何処でも良いよ。食事でも買い物でも……美奈の好きなところに行くと良い」
「じゃあねぇ……買い物!」
「フフ……心得た。それでは出掛けようか」
私は五代サンと歩き出す。
まず初めに訪れたのは、バンドと称されるイギリス租界だった。
フランス租界と同様に洋風な建物が立ち並び、外国船がひしめく賑やかな街並みだ。
「買い物の前に……寄りたい所があるんだけど良い?」
五代サンは尋ねる。
「良いけど……まさか本屋じゃないよね?」
この数日間、書店にばかり行っていたので、本屋はもう御免だ。
「違うよ。ポトガラヒーだよ」
ポトガラヒー?
何の事だろう……
「本屋でないなら、どこでも良いよ」
何だかよく分からないが、とある店に連れて来られた。
ここは……洋服屋さん?
古い外国映画で見る様な、西洋風の洋服が所狭しと並べられている。
店内に入るなり、五代サンは店の人と何やら話していた。
その会話から、先程のポトガラヒーが何なのかを察する。
「あぁ! Photography! 写真の事を言いたかったのね?」
戻ってきた五代サンに、私は尋ねる。
「写……真?」
英語で言うと分かるのに、日本語では分からないとは……どういう事だろう?
この時代の日本には、写真という言葉は無いのだろうか?
「これを一度やってみたかったんだ!」
五代サンは目を輝かせている。
「良いよ。行っておいでよ」
「何をいってるの? 美奈も一緒に撮るんだよ。さぁ……この中から好きな衣装を選んで!」
「この中って……全部女物じゃない!」
「女の子なんだから当たり前でしょう? 私はこちらを着るからね。着替えたら、隣で撮影できるんだよ。異国は凄いよね?」
楽しそうにはしゃぐ五代サンに押し切られる形で、共に写真を撮る事となってしまった。
「これ……変じゃない?」
着せてもらった洋服で五代サンの前へ出ると、私はくるりと一回転して見せた。
ふわりと広がるスカートに合うように髪を結われ、撮影用にと傘を持たされる。
「良いねぇ! 思った通りだ。本当に可愛いよ」
五代サンにおだてられて、私は有頂天になる。
ふと見ると、五代サンも洋装をしていた。
黙っていれば顔は良い。
洋装姿に思わず見とれる。
「さて……早速一枚撮ってもらおう!」
隣りの部屋ではカメラマンが待っていた。
店員の女性に、写真のポーズを決められる。
彼女に促され、椅子に腰を下ろす五代サンの肩に、私は手を置いた。
一枚と言っていたのに、いつの間にか何ポーズも撮られる。
何だか気恥ずかしい。
「ポトガラヒーは夕方には出来るそうだよ。それまで買い物に出掛けよう!」
五代サンはそう言うと、私の手を取り店から出た。
「ちょ……ちょっと! この格好のままで行くの!?」
「此処は英国租界だ。何も問題は無いよ」
「でも……幕吏に見られたら困るよ」
「幕吏に会った所で、美奈が高杉サンの小姓の少年だとは気付くまい」
少しだけ不安だったが、久しぶりのまともな外出に浮かれていた私は、そう思う事にした。
その後は英国料理を食べ、様々な店を見てまわる。
ふと立ち寄った店で、気になる物を見つけた。
ここは雑貨屋だろうか?
「此処を見ても良い?」
私は五代サンに尋ねる。
「良いよ。時間はまだ、たっぷりあるしね」
私が興味を持った物。
それはお香だった。
綺麗な細工や絵付けが施された香炉の横に、香炉灰やお香が並んでいる。
これを買って行ったら……宿での引きこもり生活も、少しは楽しくなるかもしれない。
「これ……買って行こうかな」
私が手に取ったのは、梅の香と桜の香だった。
「何だかんだと言ってはいても……美奈はあの二人が好きなんだね?」
その言葉に振り返る。
「梅の花は、高杉サンが好きな花だ。前に彼が言っていたよ。桜の花は……久坂サンかな?」
私はコクリと頷く。
「別に好きじゃないけど……感謝はしてる。宿に入り浸りじゃ気分が晴れないでしょう? だから買って行くの」
そう言うと、私はお香を一式買った。
日が傾きかけた頃、私たちは写真屋に立ち寄り写真を受け取った。
そこで着替えも済ませ、洋服姿でのお出かけは終わりの時間を迎える。
宿までの道のりを、私と五代サンは並んで歩いた。
「今日は、ありがとう。気晴らしになって楽しかったよ」
私は、五代サンにお礼を告げた。
「楽しんでもらえたなら良かった。退屈になったら、今度はすぐに私の所に来ると良い。こうして街を歩く事も視察の内……だからね」
「うん、そうする!」
これで退屈しなくて済む……遊んでもらえる相手を見つけ、私は上機嫌だった。
宿の入り口が見えてきた頃、そこに立っていた見覚えのある姿に声を掛けた。
「久坂サン! 高杉サン! こんな所でどうしたの?」
私は二人に駆け寄った。
「お前という奴は……俺ぁ、遠くに行くなと言っただろうが! お前がいつまでも帰って来やしねぇから、久坂が心配して此処で待つと言い張ってなぁ……あと少し遅ければ、探しに行くなどと言いやがって、敵わねぇったらありゃしねぇ」
高杉サンは、気怠そうに言う。
「何を言う! お前とて、日が傾き始めた途端に、美奈が帰って来ないとソワソワしていたではないか。それにしても……お前は一体、何処に行っていた? こんなに遅くなるとは思わなかった故、心配したではないか」
久坂サンは、真剣な表情で言った。
「美奈! 忘れ物……ですよ!」
五代サンが後ろから歩いてくる。
「五代……サン!?」
高杉サンと久坂サンは、同時に同じ言葉を発する。
「お前……五代サンと一緒だったのか?」
「美奈! 何処に出掛けていたのだ?」
二人は思い思いの質問を投げ掛ける。
「もう! いっぺんに言わないでよ」
私は二人の対応に困ってしまう。
「デート……ですよ!」
五代サンは、二人の目の前に今日撮った写真を差し出す。
「何だこりゃあ……ポトガラヒーか?」
高杉サンは興味深そうに一通り眺めると、隣に居た久坂サンに写真を手渡した。
「こ……これは!? 何て愛らしいのだ。この様な格好をこやつの前でするとは……許せん! よし、高杉。明日にでも三人で撮りに行くとしようではないか」
久坂サンは高杉サンに同意を求める。
「俺ぁ……行かねぇよ」
「どうして? 私、皆で写真を撮りたい!」
「それは……あれだ! 魂を……今、抜かれる訳にはいくまいよ」
高杉サンの言葉に、私たちは思わず吹き出す。
「なっ!? 真面目な話をしてるのに笑うんじゃねぇ!」
私たちの反応を見た高杉サンは、真っ赤な顔で怒り出す。
「魂なんて抜かれないよぉ! そんなのは迷信だってば」
「こんな物で魂なぞ抜かれていたら、今頃は異人など居るまい」
「そもそも、こんな物で魂が無くなるのであれば……これを撮った私と美奈も、此処には居ませんよ」
私と久坂サンそれに五代サンは、高杉サンを安心させるかのように言った。
「フンッ……ならば、行ってやらねぇ事もあるまいよ」
「じゃあ、約束! 明日はみんなで写真を撮りに行こうね?」
明日、四人で写真を撮りに行く約束をした。
楽しみが一つ増えた私は上機嫌だ。
その後すぐに五代サンと別れ、私たちは部屋へと向かった。
「そう言えば……二人にお土産があるんだよ」
「土産?」
「それは……部屋に着いてからのお楽しみ!」
私は胸元で抱えている紙袋をギュッと抱きしめ、小さく微笑んだ。
二人とも、喜んでくれると嬉しいな…………




