清国上陸
2日間の嵐を乗り越えた千歳丸は、その後4日間の航海の後ついに上海へと上陸した。
嵐が去ってからの4日間も、私は生きた心地がしなかった。
陸地が目に入った時の感動と言ったら、それは言葉では言い表せない程だった。
「ついに……清国に着いたな」
高杉サンは珍しく、真面目な表情で言った。
「長い船旅でしたね」
五代サンは笑顔を浮かべる。
「……って、五代サン!? そこは久坂サンのセリフでしょうが」
私はつい突っ込みを入れる。
「久坂サンでしたら……ほら、あちらに」
五代サンの言葉に、私と高杉サンは振り返る。
「高杉! 自分の荷物くらい自分で持て!」
久坂サンは私たちの荷物を持ち、私たちの後を追って来ていた。
「久坂サン、ごめんなさい! 私の荷物まで……ありがとう」
私は久坂サンから荷物を受け取った。
船を降りると、私たちはまず宿へと向かった。
上海の港町は想像以上に賑やかで、外国船が何艘も停泊している。
そんな街並みに、自然と胸が高鳴る。
辿り着いた宿も、中々豪華な佇まいだ。
船では高杉サンと同室……ここでは、3人とも同室だった。
「結局、同じ部屋……なのね」
「これだけの広さだ。3人一緒でも問題はあるまい」
久坂サンの言う通り、部屋はかなりの広さだった。
3人どころか、10人くらい泊まれるだろうか?
修学旅行の大部屋を思い出す。
「何度も言う様だけど、私……一応、女なんだけど」
「俺ぁ気にはしねぇけどな。何度も言う様だが……」
「女だとは思っても居ない、でしょう? いい加減止めてよね! 地味に傷つくんだから」
「クク……意外と繊細だったのか? 覚えておいてやろう」
悪びれも無く笑う高杉サンに、プイっと顔を背けた。
「さて……早速だが、少し歩いてみるか。おい、お前らはどうする?」
高杉サンは目を輝かせながら尋ねた。
「行く、行く! 初めての海外旅行だもん。楽しまなきゃね」
初めての海外旅行が、異なる時代……というのも不思議な感覚だが、どうせなら楽しみたい。
「美奈、これは遊びでは無いんだぞ。浮かれるのは構わないが、少し気を付けて行動をだなぁ……」
久坂サンは私をたしなめる。
「久坂は頭が固ぇなぁ。よし! 美奈、早速出掛けるぞ!」
「わーい! 行こう、行こう!」
私は久坂サンの話も聞かず、高杉サンに付いていく。
「あ! ちょっと待て!」
久坂サンは慌てて私たちの後を追ってきた。
宿の外を出るなり、私は辺りをキョロキョロ見渡す。
「ここって……中国だよね? 何でこんなに金髪だらけなの!?」
上海、いや清国は中国のはずだ。
確かに清国人らしき人は居るには居るが……街の中央を堂々と歩いているのは、欧米人ばかりなのだ。
清国人と思わしき人々は、欧米人が通る度に道を開けるばかりでなく、その欧米人の荷物を持ちまるで付き人の様な事をしている者もいた。
「これほどとまでは思わなかったな……」
高杉サンは呟く。
「中国……というのは知らんが、清国は英吉利に戦で負け、不平等な条約を交わした挙句がこの有様だ」
久坂サンは険しい表情を浮かべる。
「あぁ! アヘン戦争かぁ」
その言葉に、ふと思い出す。
何を隠そう、日本史は大好きだが世界史は嫌いな私。
世界史にはめっぽう弱い。
アヘン戦争は確か……
イギリスがアヘンを売りつけたんだっけ?
あれ?
それで何で戦争なの?
私の頭の中で、いくつもの疑問符が浮かぶ。
「ごめん……清国の歴史を少し、教えて下さい」
限界に達した私は、聡明な二人に教えを乞う。
「何だ、未来では異国の事は学ばねぇのか?」
「学ぶには学ぶんですよ、高杉サン。でもね……私、世界史は嫌いだったの! その代り、日本史はすっごいよ? 何でも聞いてって言えちゃうくらい……まぁ、幕末限定だけど」
「要はお前が勉強不足……という事か」
「……その通り!」
高杉サンは、溜息を一つつくと私にも分かり易く説明してくれた。
イギリスではお茶の需要が増大した為、清国からお茶を買っていた。
しかし、自国の製品は思うように売れず、輸入超過で莫大な貿易赤字を抱えていたそうだ。
それを打開するためにイギリスはマレー半島で阿片を栽培し、それを売りつけるようになる。
阿片が民衆の健康を蝕み始め、国の行く末を危惧した清国は阿片の輸入を禁止した。
それに対して、怒ったイギリスが武力で訴えた。
これがアヘン戦争の発端だそうだ。
その結果
清国は負け、南京条約という不平等な条約を結ぶ事となったそうだ。
「高杉サン、スゴイねぇ! 何となく思い出したような気が……うん、しない! でも、よく分かったよ」
「こんなモン知っていて当然だ」
高杉サンは得意げな表情を浮かべる。
「そういえば……アヘン戦争とセットで何か覚えさせられたような……何だっけ?」
何とかの乱……だった気がする。
義和団の乱……違うな、これはもっと新しい気がする。
黄巾の乱……違うな、これは漢とかだったような気がする。
あ!
洪秀全!
洪秀全と太平天国の乱だ!
アヘン戦争の後に起きたものだから……
「もしかして……今って、清国は治安が悪かったりする?」
私は、恐る恐る尋ねた。
「当然だろう? ほら見てみろ、弁髪姿の者が少ない事がそれを象徴している」
「弁髪と治安に何が関係あるのよ?」
私は首をかしげる。
「清国の象徴である弁髪を止めるという事は、それだけで清朝を否定する反逆行為だ。こうして彼らは己の思想を主張しているのだよ」
久坂サンはそう説明してくれたが、イマイチ意味が分からない。
「髪型だけで主張しているなら、治安とは関係なさそうだけど?」
「髪型だけではないさ。今はその動乱の最中なのだ。まさに反乱軍と清国は戦っている」
「動乱?」
内戦中の地が初の海外旅行となるとは……何たる不運。
「とはいえ、清国にも力が無い。結局のところ英吉利の力を借りて抑えているに過ぎない」
「ここって、そんな国なの!? こんなに華やかな港町だから、全然分からなかったよ」
「英吉利や仏国が日の本に武力を加えて来ないのは、英吉利や仏国が太平軍と戦っているからだろうな。これが済めば、次の矛先は……日の本であろう」
久坂サンの言葉に、息を呑む。
「国を強くする…………だろ?」
高杉サンはふと呟いた。
「そうだ。国に力をつけ……攘夷を決行すべきだ」
「日の本をこの国の様にすることだけは……防がねばなるまいよ」
久坂サンと高杉サンは初日にも関わらず、私には分からない何かを感じ取ったようで、二人は顔を見合わせると頷いた。
この場に私だけでなく、久坂サンまでもが同行している。
その時点で歴史は、大なり小なり狂って来てしまっているのだ。
この事が、今後にどういった影響を及ぼすのだろうか?
そんな事は……
私は全く考えては居なかった。
「あ! あれ何!? すっごく美味しそう!」
「あ、こら。美奈! 勝手に行くなと言っておろうが。さっきの話を聞いて居なかったのか? 治安が悪いと言ったばかりではないか!」
「クク…………こりゃあ、久坂も大変さな」
清国視察は、まだ始まったばかり……




