出航
「お前ら良く聞け! ついに出航の日取りが決まった」
高杉サンは久しぶりに藩邸に現れると不敵な笑みを浮かべ、私たちの顔を見渡しつつ言った。
「高杉! お前という奴は、屋敷にちっとも戻らず毎晩遊び歩いて……だいたいだなぁ」
久坂サンは久しぶりに会う高杉サンに、ここぞとばかりに小言を言う。
「久坂、小言は後だ! それより……お前らは何故驚かない?」
「そりゃあ……ねぇ、もう知っているからだよ?」
不思議そうな表情を浮かべる高杉サンに、私は言った。
「知っている……だと?」
私は視線を、久坂サンの隣の人物に向けた。
その後を追うように、高杉サンも視線を移す。
「っ……五代サン!? アンタが何故ここに居やがる?」
当然の様に久坂サンの隣で朝餉を摂る五代サンが、高杉サンには不可解に見えたようだ。
「何で……って、こうして好敵手と膳を囲むのもまた一興ですからね。それに、朝から美奈の顔を見られるのは実に気分が良い」
そう言って五代サンは微笑んだ。
「久坂……お前は何故、黙って飯なぞ食っている?」
「フンっ…………美奈が五代殿とも仲良くしろと言うからな。仕方なく……だ」
久坂サンは不機嫌そうな表情で、黙々と箸を進める。
「で! 明後日は、ついに出航なんでしょう? 本当に長かったよね……私も、この辺の地理も覚えちゃうくらいだし」
私は高杉サンに尋ねた。
「そうだ、それだ! 俺ぁその話をしに、わざわざ帰ってきたのさ」
「五代サンから情報は逐一聞いていたから……私たちは、渡航の準備はもう済んでるよ?」
「そう……か、それならば話は早い。お前ら何か聞きてぇことはねぇか?」
高杉サンの言葉に、私は少し考える。
「うーん。船ってさぁ……沈んだりはしないよね? 長距離なわけだしさ、何だか心配で……」
史実では、無事に辿り着いているようだが……時代が時代だ。
どのような船を使うのか、それはやはり心配だった。
「幕艦、千歳丸。千年は使える船、という意味で名づけられたそうですよ? 英国の船で、およそ3万両だそうです」
五代サンは淡々と説明する。
「さ……3万両!?」
私は瞬時に、現代の価格に換算した。
この時代の1両がおよそ5万円だとすると……
「じゅ……15億円!?」
船ってそんなに高い物なのかと驚いた。
それ程に高価な船ならば、きっと……大丈夫だろう。
「ところで、何人くらい乗船するの?」
「まずは、俺らの様に清国を視察する者や役人達だろ? 他には医者や通訳、商人に水夫や水手。更には英国人……まぁ、ざっと70人くれぇだろうよ」
「そんなに居るんだぁ。楽しそうだね」
私は目を輝かせた。
「お前は行動に気を付けろ? これ以上、他の奴に女だとバレるんじゃねぇぞ。俺ぁ面倒事は御免だからな」
「分かってるってば!」
高杉サンは意外と心配性だな……
きっと大丈夫に決まってる。
「高杉サン、大丈夫ですよ。私が付いていますからね。危うくなった時は、私が助け船を出しましょう」
「そんな物は結構だ!」
私の肩を抱きながら話す五代サンに、久坂サンはその手を振り払う。
「やはり……私は五代殿と親しくなどできん!」
「余裕の無い男は嫌われますよ?」
「なっ……!? っ…………もう良い」
五代サンの言葉に、久坂サンは部屋を出て行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!!」
私は慌てて立ち上がる。
「美奈……久坂のところに行ってやれや」
高杉サンに言われ、私は久坂サンを追いかけた。
「全く……五代サンも人が悪ぃなぁ。だが、あまり久坂を刺激しねぇでもらえねぇか?」
「フフ……彼は可愛らしいですね。つい、からかいたくなってしまいました。いやぁ……すみませんね」
「アンタが、久坂をからかいてぇだけなら……美奈にちょっかい出すのは止めてもらおうか? あれでも久坂は真剣でねぇ。アイツは面白ぇくらいに真っ直ぐな男なんだよ。それに……俺ぁ、面倒事に巻き込まれるのは御免なんでな」
「それは、できませんよ。彼女を真剣に手に入れたいと願っているのは、私も同じなのですから」
にこやかに言い切る五代サンに、高杉サンは苦笑いを浮かべた。
「喰えねぇ男だな……」
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう。さて……と、私にも支度がありますからね。そろそろ失礼しますよ? それではまた……明後日」
「あぁ……」
高杉サンは複雑そうな表情を浮かべ、五代サンを見送った。
「待って! ねぇ……待ってってば!」
私は必死に久坂サンを追いかける。
私の声は届いているはずなのに、久坂サンは立ち止まるどころか振り返りもしない。
「もうっ! どうして無視するの? ねぇ……久坂サンってば!」
それでも声をかけながら、その背中を追い続ける。
「あっ!!」
久坂サンの背中ばかりを見て早歩きをしていた為、私は何かにつまずき体勢を崩してしまった。
「美奈!?」
私の声に反応し、久坂サンが振り返る。
瞬時に支えようと手を伸ばすが、若干届かず……私は顔から倒れ込む。
「ちょっと! そこは、格好良く手を差しのべて支えるところでしょ!? ……痛っ。血が出ちゃったじゃない」
私はすぐに立ち上がると、久坂サンに一言文句を言ってやった。
擦りむけた鼻の頭には、うっすらと血が滲んでいる。
久坂サンは突然私の手を掴むと、そのまま自室に戻り、手際よく私の鼻の頭を消毒してくれた。
「すまなかったな……」
「どうして謝るのよ?」
「それは……私に我慢が足りないからだ」
私は、すまなそうに笑う久坂サンの手をとった。
「我慢させていたなら……ごめんなさい。私が不用意に、仲良くしろだなんて言ったからだよね?誰だって、気が合う合わないがあるもんね」
顔を合わせれば、いがみ合う五代サンと久坂サン。
そんな様子を見るのが嫌で、私は一方的に久坂サンに言ってしまった。
五代サンと仲良くしろと…………
考えてみれば、誰にだって気の合う人と合わない人が居る。
それなのに、久坂サンの気持ちも考えずに……自分の考えを押し付けてしまったのだ。
「ごめん……ね?」
私は久坂サンの顔を覗き込んだ。
「お前が謝るな。私の忍耐が足りないのだ」
「忍耐って……お坊さんじゃないんだから」
「だが……」
「ねぇ、嫌な時は嫌だってちゃんと言って! 久坂サン……いつも我慢してるんでしょう? 私には気を遣わないでよ」
私は手の力を強める。
「…………美奈?」
「私ね……気が強いみたいで、ハッキリと物を言っちゃうから、気付かない内に人を傷つけちゃうみたいなの。それで離れていく人も結構居た……かな? 久坂サンたちには嫌われたくないから……だから、私に嫌なところがあったら、教えてほしいの」
「嫌なところなど無いさ」
久坂サンは微笑む。
「本当?」
「本当だ。心配せずとも良い。お前が淑やかになったら、気味が悪いからな」
「気味が悪いって……私だって一応、女なんですけど! たまには女らしい時もあるもん……多分」
「それは是非とも見てみたいものだな」
そう言って笑う久坂サンを見て、私は頬を膨らませた。
翌々日
私たちは、千歳丸に乗り込んだ。
船旅に不安はあったが、久坂サンや高杉サンが居る。
そう思うと、少しだけ不安も和らいだ。
これから約2カ月の間、男としての生活が始まる。
上海……いや、清国で何が待っているのだろう?
それを考えると胸が高まった。
4月29日
私たちを乗せた幕艦、千歳丸は上海へ向け、ついに出航した。




