秋入梅
時は流れて9月も半ばとなり、晋作は教法寺事件の責任をとって奇兵隊総督の座を降りた。
晋作が奇兵隊を離れることとなったため、私たちは萩へと戻ることとなった。
来年の今頃には毛利様の藩主居館が完成する予定で、お城が萩から山口へと本格的に移るので、萩に戻ってからの晋作は忙しくなると言っていた。
何でこんなに慌ただしい時期に? とも思ったが、お城の移転自体は去年から既に決まっていて築城も始まっていたらしい。
その旅路には、京へ行くと言った九一や稔麿も一緒だった。
あの夜に晋作への説得に失敗してから、私と晋作の関係は崩れ始めてしまっているように感じる。
必要最低限の会話こそはするものの、何となく……ただ何となくだが、漠然としたよそよそしさを感じるというか……。
そんな晋作の雰囲気に、私は京行きの話を再びすることはできずにいた。
あの夜、晋作はどうして帰って来なかったのか。
どこに行っていたのか。
今までならばすぐに尋ねられるようなそんな些細な疑問すらも尋ねられないほどに、私は晋作との距離感を感じていた。
もちろん、京へ行くことは私の中で決まっているのだが、それを再び口に出してしまったら余計に関係性が悪化してしまうのではないかと思うと不安で、ただただ言えずにいた。
私と晋作は、萩の診療所の前で別れた。
久々に戻って来た診療所。
誰も居ないはずの診療所に人気を感じた私は、足早に中へと入って行った。
「久しぶり……だね」
「久しぶり……だな。お前たちの方も、馬関や小倉で色々とあったようだな」
そう言いながら、笑顔でお茶を飲む義助と郁太郎の姿に、なんだか懐かしさを感じた。
「もしかして……今までずっと、郁太郎がここの手入れをしてくれていたの?」
「私だけではないさ。つい先日、義助も京から戻ったからな。二人で暇を見つけては、ここに来ていたのだ。お前たちもじきに戻ると思っていたからな」
「郁太郎も義助も……ありがとう」
「これくらいのことで泣く奴があるか」
晋作との帰路は張り詰めた雰囲気だったため、緊張の糸が切れた私は気付けば涙を流していた。
「まさか……向こうで何かあったのか?」
義助は心配そうに尋ねた。
「うん……ちょっとね」
「晋作の奴がお前に何かしたのか?」
「ち、違うよ! 晋作は悪くないの……でも……多分、晋作には嫌われちゃった、かも」
「何があったか、話してくれるか?」
義助の言葉に、私は義助と郁太郎に今までの出来事を少しずつ話した。
「お前が京に……か。それは晋作も気が気ではないのかもしれぬな」
「どうして? 九一や稔麿も京に行くんだよ? 義助だってきっとまた京に行くでしょう? 桂さんだって、京に滞在してると思うし……」
「それでも……だ。晋作は奇兵隊の総督こそは罷免されたが、この先は奥番頭役になることが既に決まっている。だから晋作がお前と京に行くことは叶わないのだよ」
「奥番頭……役? それって何?」
「殿の側用人だ。簡単に言うと、殿の側近となり藩の仕事をする」
「それってすごいこと……だよね? 晋作は大出世するってこと?」
「まぁ、そうだな。晋作は元より出自が良いからな。当然のことだ」
晋作は毛利様の側近になる……ということなのだろうが、それは大出世であり、大変喜ばしいことなのではないのだろうか。
それなのに、帰路の旅路はあんなに張り詰めた雰囲気だったのは何故だろう。
「でもさ、じゃあ何で晋作はあんなにピリピリしてたのかな。出世するなら喜ばしいことじゃない」
「奥番頭役になるからこそさ。アイツは今までのように、自由には動けまい。だからこそ……だ」
「いまひとつ意味が分からないよ」
「アイツは存外、繊細で気難しい性格だ。おまけに独占欲も強い。晋作はそれほどまでに、お前のことを本当に大切に想っているのだろう。私と同様にな」
義助は一呼吸おいて、更に続けた。
「お前は京に行きたい。晋作は自分が付いて行けないから、心配で行かせたくはない。だが、お前の想いを尊重したい気持ちもある。だからこそ、自分の気持ちの整理がつかずに、お前とどう接すれば良いか分からず苛立っているのだろう」
「晋作が……そんなこと……」
「全ては私の憶測ではあるがな。まぁ、だてに今までアイツと行動を共にしてきた訳ではない。晋作の性格も考えも、ある程度は分かるさ。あの晋作が、お前に言われて療養したり酒や女遊びを止めたりするなどしているところを考えると……アイツも存外本気なのだろう」
義助は眉間にシワを寄せながら言った。
「晋作も、なかなか素直ではないからな。私から見れば晋作も義助も、なかなかに面白い。私には二人が牽制し合いながら、私の愛弟子を取り合っているようにしか見えぬものだよ。若いことは良きこと……かな」
そう言った郁太郎は、顔を赤くさせる義助を見て楽しそうに笑う。
「もう! 私は真剣に悩んでるんだからね?」
「そりゃあ申し訳なかった。それで? お前はどちらかに気持ちが傾いているのか?」
「まさか……美奈は……晋作に?」
「郁太郎も義助も、晋作も同じくらいに好きに決まってるでしょ? そこにどっちが優位かなんてことは無いわよ。みんな大切です!」
教法寺で事件が起きたあの日の晋作の言葉と、私の傾きかけたその気持ちを二人に悟られないように……と、思いながら私は言った。
あの日、私は晋作に友情以外の想いを感じかけていたのかもしれないが……それが確信に変わる前に晋作との関係が悪化してしまったため、あの日の想いは今でもよく分からないままだ。
晋作が帰って来なかったことについて、モヤモヤした気持ちになったのは多分、晋作の無事を心配したからなのだと思う。
相手が晋作ではなく、義助や郁太郎であったとしても、私はきっと同じ気持ちになっただろうから。
「そういえば……さ。長州は京を追い出されたんだよね? 義助は京に行ったら、どこに滞在するの?」
「どこも何も……藩屋敷に決まっているだろう?」
「京を追い出されたのだから、屋敷にも入れないんじゃないの?」
「京で表立った活動はできぬということで、滞在することはできるさ。藩屋敷には桂さんが留守居役として常駐している」
「そうなの!? 政変で京を追い出されて失脚って習ったから、京に入ること自体が駄目なのかと思ってた!」
「京を追い出されたといえばそうだな……我が藩と関わりが深い公卿は追放となり、長州は御所の警護の任を解かれた。更には、殿と一部の藩士の入洛は禁じられているからな」
「そういうこと……か。だから桂さんは藩屋敷に滞在できるんだね」
「まぁ、全ての者が屋敷に滞在できるわけではないがな。ただ、京には長州贔屓の宿や見世もある。だからそうした宿に滞在し、馴染みの見世で会合を開くことが多い」
八月十八日の政変で、幕府や会津と薩摩に政局をひっくり返されて、長州は京を追われて失脚する。
それでも長州などがあまりに酷いテロ行為をするので、新選組たちが厳しく京を取り締まって、その中で池田屋事件が起きて……それが禁門の変に繋がっていく。
もともと新選組贔屓の私はそんな風に、長州などの新政府側の歴史についてはざっくりとしか頭に入れていなかったから、そんなことは知らなかった。
こちら側に飛ばされるなら……新選組だけではなく、幕末全体の歴史をもっと良く知っておくべきだったと心底思った。
「難しい顔をしてどうした?」
義助の言葉にハッとして顔を上げた。
「晋作のことや京行きののとで悩んでいるのだろう? ならば、桂さんに会ってみると良い」
「桂さんは京に居るんじゃないの?」
「桂さんは京に居たが、一度こちらに戻る予定だ。そろそろ、こちらに戻って来ているとは思うが……なかなかに忙しいのかもしれないな」
「そっか」
桂がこっちに帰って来るなら……最後の望みは桂さんしかない。
とはいえ、桂さんが私の力になってくれるのだろうか。
何度も顔を合わせているとはいえ、義助たちほど親しいわけではない。
でも……やるしかない。
「義助、郁太郎。お願いがあるの。桂さんが戻って来たら……ほんの少しで良いから、私と話す時間を作ってもらえるよう頼めないかな?」
「やはりお前は……京へ上るのか?」
「誰が何と言おうと、私の気持ちは変わらない。私にしかできないことがきっとあるはずだから」
「晋作と……違えてもか?」
「本音を言えば晋作とは良い関係で居たいよ。もう一度話し合って、ちゃんと納得してもらってから京に行きたい。でも……晋作はきっともう、私に愛想つかせちゃってるよ。それに……ね、私は義助のことも助けたいの!」
「……そうか。桂さんには伝えておこう」
「ありがとう、義助」
晋作のあの様子を考えると、私はきっと晋作に嫌われてしまっているのだろう。
今更また話をしたところで、更に険悪になってしまうかもしれない。
晋作の病を食い止めた今、次にすべきことは稔麿や九一……そして義助を救うことだ。
私が京へ行ってしまったら晋作にはもう会えないかもしれないが、それでも仲間の命には代えられない。
池田屋事件や禁門の変まであと一年を切った。
私がしっかりしなきゃ。
心の中でそう呟いた。




