説得
「こんな夜更けに二人きりで話がしたいなんざ、俺はお前に誘われているのかねぇ」
「もう! 冗談ばかり言わないの! そういう話じゃないの、わかって言ってるんでしょう? 真剣な話よ」
「……分かっているさ。お前が京に行くという話だろう?」
晋作の言葉に、私は頷いた。
「前に晋作と義助には話したよね。一年後くらいに何が起こるのかを」
「稔麿と九一……それから義助が死ぬって言ってたことか?」
「そう。稔麿が死ぬ池田屋事件と、その後に義助や九一が死ぬ禁門の変のこと」
「お前がそれを止めたい気持ちは分かるさ。だが……長州が締め出された後の京のことも話していたな? あの田舎者どもが京の警護にあたるから、兄弟子とはいえお前も敵になるとも言っていただろうよ。そんな危ねぇところに、俺がお前を行かせるはずがねぇだろう」
「確かに危険は伴うかもしれない。でもね……仲間が死んでいくのをただ見ているだけなのは嫌。私ならそれを止められる。止められるのは私だけなの」
私の言葉に晋作は深いため息をついた。
「俺は今は謹慎中の身だ。京についていくことも、お前を守ってやることもできねぇ。それでもお前は、こうと思ったら聞きゃしねぇ。歯痒さしかねぇなぁ」
「晋作が私のことを想ってくれているのも、心配してくれているのも分かってるよ。でも……」
「いいや、お前はちっとも分かっちゃいねぇ」
晋作の大きな声に、私は思わず身を震わせた。
「お前が言うように京での俺らの立場が無くなり追われる身であるとするならば、お前と新選組の者たちが対峙する立場ならば……兄弟子と敵対することとなる」
「そんなの……分かってるよ。覚悟なんてとっくにできてるもの」
「兄弟子たちと……その刀を寄越したガキと対峙したら……お前はそいつを迷わず斬れんのか?」
「っ……それは……」
「もっと言うと、長州のモンがそいつや兄弟子を斬ったら……お前は……許せんのか?」
晋作の問いに答えられない私は、唇を噛み締めて俯いた。
「ほらみろ。お前は覚悟ができていると言いつつも、心の底じゃあちっとも覚悟なんざできちゃいねぇのさ。そんな奴が京に上ったとて、死にに行くようなもの。誰も守れねぇどころか、お前の身すら守れまいよ」
晋作はまくしたてるように言い放つ。
でも……晋作の言う通りだ。
口では覚悟ができているとは言いつつも、実際に試衛館のみんなと斬り合いになったとしたら……。
義助や九一、稔麿たちがもし試衛館の誰かを斬ったとしたら……。
私は何を思い、どう行動するのだろうか?
「お前は少し頭を冷やしやがれ。話はこれで終ぇだ」
「話は終わりって……そんな……」
苛立つ表情を見せていた晋作は、私に背を向けた。
「お前は何も分かっちゃいねぇ……俺の想いも……何もかも、だ」
「っ……ごめん……なさい」
それからしばらくの沈黙が続いた。
あれから晋作は私に背を向けたままだ。
「私……ちょっと頭を冷やしてくるね」
晋作は返事すら返してはくれなかった。
ゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。
部屋を出た私は縁側に腰を下ろした。
あたりは真っ暗だ。
今日は月も雲に隠れてしまっている。
「美奈……か?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには狂介の姿があった。
「なんだ。狂介……か」
狂介は私の隣りに座る。
「なんだとは何だ。俺では不満か?」
「別に、不満じゃないけど……」
「どうせ高杉さんだと思ったのだろう」
「晋作は……来ないよ。部屋を出る時に声を掛けたけど……返事もしてくれなかったもの」
私はそう言うと俯いた。
「なんだ、お前たちはまた言い合いでもしたのか? まったく、お前という奴は……そもそもお前は女なのだから身の程をわきまえてだな」
「今は狂介のお説教を聞いている余裕はない……かも」
「……悪かった」
狂介は私の頭をポンと撫でた。
「それで? 何があった?」
「よく分からないの。あの時、晋作がみんなにこれからどうするか尋ねたでしょう? 狂介や武人はここに残って、九一や稔麿は京へ行くって。それでね……私も京にって話をあの後、晋作に改めてしてみたの。そうしたら……晋作が怒って……」
「それは当然のことだな」
「どうして?」
「なんだ、そんなことも分からないのか。京はこれから混乱する。これからの京にどのような危険があるのかも分からない」
「それは分かってるよ。でも……」
「高杉さんの今の状況では、高杉さんがどんなに願ってもお前と共に京へは行けまい」
「それも……分かってる」
「だからだ」
狂介の言いたいことは、私にはよく分からない。
「晋作がここに残ることと、私が京に行くことと……それにどんな関係があるのよ?」
「高杉さんはお前を、自分の目の届くところに置いておきたいのさ」
「目の届くところって……私は晋作の持ち物じゃないもん。目の届くところになんて……そんなの……飾られたお人形みたいじゃない。私は私の意思で動きたいの」
「……そういう意味ではないのだがな」
狂介は深いため息をついた。
「高杉さんがお前を飾るだけの人形だと思っているならば、お前の意思など聞きもしまい。ましてや言い合いなぞせん。お前のことを想い、尊重しているからこそ……思い悩んでいるのだろう?」
「……それは」
「その上でお前の身を案じているのだ。お前が高杉さんの手元を離れてしまえば、お前に危険が及ぼうと高杉さんがお前を守ることは叶わぬ。だが、お前の意思は尊重してやりたい気持ちもある。だからこそ葛藤しているのだろうよ」
「どうして……そこまで……」
「そんなことすら分からないのか? 高杉さんは……高杉さんだけではないが……お前を取り巻く者たちは少なからずお前を好いている。それが仲間意識や友情か、はたまた恋慕なのかは置いておいて……だ」
みんなが私を想ってくれている。
狂介はそう言ってくれているが、それは狂介も同じなのだろうか?
「狂介も……私のこと……好き?」
「なっ!? 俺は……その、だな」
顔を真っ赤にさせて慌てている狂介に、なんだか可笑しくなってしまった私は声を出して笑った。
「笑うな! 俺はお前のことなぞ何とも思っておらん」
「えー? 狂介は私のこと嫌いなの? 悲しいなぁ」
「嫌いなわけないだろうが! 俺とてお前のことを……って、今のは無しだ!」
更に慌てる狂介に、私は笑いをこらえることができなかった。
「俺の次は狂介か……お前もたいがい節操がねぇなぁ」
その声の主に私と狂介は恐る恐る振り返った。
「……晋作」
「……高杉さん」
「いくぞ」
晋作は狂介を睨むと、私の手を引きその場をあとにした。
私たちのいざこざに巻き込んでしまった狂介に、心の中で「ごめん」と呟いた。
私と晋作は元の部屋に戻って来た。
部屋に入っても晋作は私の手首を強く握ったまま離す気配が無かった。
その力強さはさすがに痛い。
「ねぇ……そろそろ離してよ。痛いんだけど」
私の言葉に、晋作は何も言わずに手を離した。
「狂介に取り行って俺を説得するつもりだったのか?」
「なに……それ。意味分からない」
掴まれたあとの手首をさすりながら答える。
「お前は男ならば誰でも良いのか?」
「はぁ? どうしてそうなるのよ。意味の分からないことばかり言わないでよね」
「ならば質問を変える。お前は狂介が良いのか?」
「だーかーらー。ホント意味分からない! どうしてそうなるのよ」
晋作は鋭い視線を私に向けている。
何だか怒っているようにも見えた。
「お前、狂介に尋ねていただろう? 自分のことが好きか。いつからお前らはそんな仲になった?」
「あぁ……あれ、か。あれは違うの……話の成り行きで」
「話の成り行きだぁ? 俺にはお前らが逢引しているように見えたがなぁ」
「私が縁側に居るところに狂介がたまたま来て……それで少しだけ話していただけであって……ちょ、晋作! どこに行くのよ!」
今度は晋作が部屋を出て行ってしまった。
今夜の晋作の言動はよく分からない。
きっと、私が京へ行くと言ったことがよほど気に入らないのだろう。
私は大きなため息を一つついた。
私は晋作の帰りを寝ずに待っていたが、この夜……晋作が戻って来ることはなかった。




