千日紅
「美奈……か、いったい何があった?」
武人の声に振り返る。
「あのね……晋作が……晋作が」
涙で言葉が繋がらない私を見た武人は、私の背中をさする。
「話すのは落ち着いてからで良い。泣きたいならば泣ききってから話してくれれば良い」
ひとしきり泣いた後、私は少しずつ先程の出来事を武人に話した。
「そう……か。高杉さんがそんなことを……」
「だからね。私は……晋作の帰りを……ここで待ちたい」
その言葉に、武人は少し困ったような顔をした。
「お前の気持ちは分かる。だが……それはできない。俺は高杉さんからお前を無事に連れ帰るよう言われているからな。お前がこんな所にいつまでも居たら、戻って来た高杉さんに俺が叱られてしまうだろう?」
「っ……でも!」
「それとも何か? お前は高杉さんが戻って来ないと思っているのか?」
「それは……分からない。晋作があんな風に言うんだもん。もしかしたら本当に……」
「その先は言ってはならない!」
武人の言葉にその先の言葉を止めた。
「古来より言霊というものがある。聞いたことはあるか?」
「ある……けど」
「人の言葉には不思議な力が宿っていて、言葉として発したことを引き寄せると言われている。だから……無事を願うなら、高杉さんは必ず帰って来ると信じて言葉にすることだ」
「わ……分かった。晋作はちゃんと戻って来る。晋作は大丈夫」
武人に言われ、私はそう呟いた。
「分かったなら戻ろう。帰って高杉さんの帰りを待つんだ」
「……分かった」
武人に上手く言いくるめられてしまったような気もするが、仕方なく武人と一緒に帰ることにした。
帰路に着く間、私は晋作のことばかり考えていた。
晋作があんなことを言い出すのだ。
それは切腹を命じられる可能性が高いということ。
せっかく晋作を労咳から守ったのに、こんなことで失ってしまうのだろうか?
そもそも、今日起きた教法寺での諍いは史実にある出来事なのだろうか?
史実でない出来事であったとしたら……晋作はやはり……。
「また難しい顔をしているな。まぁ、考え込んでしまうのは無理もないが……」
そう言いかけた武人が突然、小道に咲いていた小さな草花を摘み始めた。
「武人? 何してるの?」
「お前も摘んでおけ。たくさん摘むと良い」
武人の意図は分からなかったが、武人の言う通りに同じ花を摘んだ。
両手いっぱいに草花を摘むとまた歩き出す。
どうしてこの花を摘んだのかを尋ねてはみたが、武人は「帰ったら教えてやる」と言って教えてくれなかった。
阿弥陀寺に着き、武人とともに部屋に入った。
二人で摘んだ大量の草花を生け、荷物を整理してから腰を下ろした。
「ねぇ……このお花を摘んだ意味を教えて」
「この花は千日紅という」
「千日紅……綺麗な名前だね」
「この花には終わりのない友情や変わらない愛情、不死や安全、無事といった意味が込められている。高杉さんの無事を願うお前にはうってつけだろう? まぁ、その想いが友情なのか愛情なのかは別としてだな」
「そうだったんだ……終わりのない友情に無事。今の私の気持ちに当てはまってるね」
「友情……か」
「武人にもこれをあげる!」
武人はなんだか残念そうな顔をしていたので、生けた花を一輪差し出した。
「武人との友情も終わりなきものになりますように。武人が無事に過ごせますように……って願いを込めて」
「あぁ……そうだな。ありがとう」
優しく笑う武人に心が温まる。
こうしていると晋作は無事に帰って来るのではないかと思えてきた。
それからしばらくして、外で物音がしたような気がした。
きっと晋作だと思い、私は居ても立っても居られずに外へと駆け出した。
「晋作!」
待ち焦がれていた仲間の帰還に、喜びのあまり飛びついた。
「晋作! 無事だったんだね。本当に……本当に良かった!」
こうして生きていることが嬉しくて、私はポロポロと涙を流した。
「高杉さん、お帰りなさい。高杉さんも美奈も、とりあえず中に入りましょう」
追いかけてきた武人の言葉に、私たちは部屋へと戻った。
「それにしても……何のお咎めも無くて本当に良かったよ。すっごく心配したんだからね?」
「お咎めが無いわけじゃねぇさ」
「どういうこと?」
「とりあえず、沙汰が下りるまでは謹慎さな」
「謹慎……か。でも切腹にならなかっただけ良かったよ」
「そりゃあまだ分からねぇさ。俺ぁ、報告に行った時点で腹を斬ることになると思ってはいたがな。まぁ、とりあえずのところは謹慎となったが、腹ぁ斬ることになる可能性が無くなったわけではねぇさ」
「そんな……」
晋作の言葉に私は着物の裾を握り、唇を噛み締めてうつむいた。
「俺が腹ぁ斬ることになったら……お前に介錯してもらおうかねぇ」
「介錯だなんて……そんな」
「俺の最期の頼み、聞いちゃくれねぇのか?」
「晋作を斬るために剣術を習ったわけじゃない! そんなのは絶対に嫌!」
晋作は「そうか」と呟くと、窓の外に浮かぶ月を見上げた。
「高杉さん……俺らが至らなかったばかりに、申し訳ありませんでした。でも……美奈に介錯を、というのは……コイツには酷すぎます。例え冗談であってもそんなことは言わないでやって下さい。高杉さんが去った後も……美奈はあの場で泣き崩れていました。この花だって、高杉さんの無事を思って……」
「……分かった。もう良い。武人、お前は部屋に戻って休め」
晋作の言葉に武人は、顔を歪ませながら部屋を去って行った。
それからしばらく沈黙が続いた。
なんだか居心地が悪い気分だ。
「ねぇ……」
「なぁ……」
私と晋作は同時に口を開く。
「えっと……お先にどうぞ」
「お前から言え」
「これから晋作はどうするの?」
「どうもこうもねぇさ。謹慎だからな。しばらくはゆっくり過ごすさ」
「萩に……戻るの?」
「お前はしばらくの間、蔵田さんの様子を見に行くのだろう? お前を置いて一人帰るわけにはいかねぇさ」
「そっか……ありがとう。ここには武人たちも居るけどさ、晋作が居ないのは嫌だなって思ってたから……良かった」
晋作に置いて行かれてしまうのではないかと思っていたので、ほっと胸を撫で下ろした。
「そういや、この花は何なんだ?」
「あぁ、これ? これは千日紅。花言葉があってね、終わりのない友情や変わらない愛情、不死や安全、無事といった意味が込められているんだって。だからたくさん摘んで来ちゃった」
「俺のため……か?」
「もちろん! 晋作が無事に帰って来ますように……って。でも、さすがに摘みすぎたよね。武人がね、この花のことを教えてくれたの。だから、武人にも一輪あげたんだ」
「武人に……か。無事という意味じゃあなさそうだが、なぜ武人に?」
「私と武人の友情が終わりないものになりますように……ってね」
「友情……そうか。そりゃあ良い」
私は晋作にも千日紅を一輪差し出した。
「晋作にもあげる!」
晋作は千日紅を受け取ると、しばらく花を眺めていた。
「で? この花をくれた意味は?」
「晋作は謹慎にはなっちゃったけど、切腹になるなんて絶対に嫌だから……無事とか、不死とか? あとは……」
「あとは?」
晋作のその真剣な眼差しに、思わず吸い込まれてしまいそうになる。
あとは……終わりない友情、なのだが……先程の晋作の言葉を思い出すと、なんだかその一言が口に出せなかった。
私と双璧の間には友情しかない。
恋愛感情なんて一切無い……はずなのだが。
どうして武人に言った一言が、晋作には簡単に言えないのだろうか?
それは、この雰囲気のせい……なのだろう。
「あとは……色々よ!」
「……誤魔化しやがったな」
晋作は私の頬をつねる。
「痛い! 痛いってば、離しなさいよ」
「あとは、何だよ? もったいぶらねぇで早く言え!」
「知らないもん! 自分で勝手に考えれば?」
晋作の手を振り払うと、部屋を飛び出した。
教法寺での諍いにより、奇兵隊総督である晋作は謹慎となってしまった。
これから沙汰が下りると言っていたが、本当に無事に済むのだろうか?
少しでも失敗をすれば切腹となる可能性があるなんて、武士の身分とは何とも恐ろしいものだ。
最悪の結果にはならないように……と祈りながら眠りについた。
その後、晋作は教法寺事件の責任をとって奇兵隊総督を罷免されることにはなったが、切腹こそは免れた……というのは、もう少し先のお話。




