教法寺事件 ー後編ー
武人が到着し、全ての準備は整った。
あとは私がやるのみ……。
「ねぇ、武人はもともとは医者の家系なのよね? 医術の覚えはあるの?」
「もとはそうだが……俺は医者になるつもりはなかったし、養子に入り士分になったからな……医術はからっきしだ」
「そう……じゃあ、晋作と武人はその人を抑えていて」
あてにしていた武人は、医術の覚えはないと言っている。
そうとなれば、私がやるしかない。
まずは傷口の洗浄から行った。
「これから傷口を縫うから、痛みが強いと思うけど……少し我慢してね。舌を噛まないようにだけ気をつけて」
私の声に男性は何度も頷いた。
痛みが出る時間を少しでも減らすため、手早く縫合することに専念した。
途中でうめき声を上げることもあったが、なんとか耐えてくれているようだ。
「これで終わりだからね。よく頑張ったわね」
縫合が終わると腕に針を刺し、輸液を開始した。
輸液には抗生剤なども混ぜてある。
現代ではダブルバッグなどで無菌的に抗生剤を混ぜて調剤できるが、この時代ではそこまでは叶わずこれが限界だった。
プラスチック製の輸液バッグまではさすがに作ることは難しく、輸液ボトルもガラス製だ。
それでも一年ちょっとで、ここまでの薬剤と物品を作ることができたのだから、それこそ奇跡のようなものだろう。
「痛みは大丈夫?」
「痛みはありますが、なんとか耐えられます。ありがとうございました」
「ところで、熱があるようだったけど……体調が悪くて寝込んでいたの?」
「数日前から風邪をひいてしまいまして、今朝から熱が出てしまい寝込んでいまして」
「そうだったのね。それにしてもアイツは……寝込んでいる人を斬ろうとするなんて本当に許せない!」
あの時のことを思い出すだけで、本当に腹立たしい。
「此度のことは、本当にすまなかった。全ては俺のせいだ」
「高杉さん! よしてください。高杉さんが頭を下げないで下さい。俺はこの方に、みなさんに命を救われました。それで十分です」
「蔵田さんにそう言ってもらえると、こちらも少しは気が楽になる。だが、奇兵隊が起こしてしまったことは全て俺の責任だ。蔵田さんの傷が回復するまでは、俺らが責任を持つ」
「そんな……申し訳もない」
晋作の言葉に、蔵田さんと呼ばれたその男性は、少し申し訳無さそうにしていた。
「傷や体調が良くなるまではさ、私がここに通うよ! まだまだ半人前で頼りないかもしれないけど、しばらくの間はよろしくね?」
「半人前だなんて……手際よく治療して頂いたお蔭でこうしていられるのですから、私にとっては立派なお医者様です」
「うーん。医術はやるけど、私が目指すのは医者の補佐だからねぇ……私が医者になんて大層な者にはなれないし。だから、そんな風に畏まらないで!」
「医術は施すが医者にはならない……どういう意味でしょうか?」
「一応、私の師である所郁太郎から医術を習っているけど、今回のように私が中心となって医術を施すのは、医者が居なくて本当に困った時だけなの。本来は医者の補佐や患者の療養の世話などをするのが私の役目。そういうこと!」
「承知しました。しばらくの間、ご面倒をお掛けします」
私の言葉は何となく彼に理解してもらえただろうか。
この時の私は、郁太郎の教え通りにこなすことができた安堵感でいっぱいだった。
しばらくして、大勢の足音が聞こえてきた。
先鋒隊の隊士たちが戻って来たのだろうか。
「奇兵隊の者どもだ! 高杉さんと赤禰が居るぞ」
その声に、私たちは囲まれてしまった。
中には刀に手を掛け、抜刀しそうな様子の者も居た。
「みなさん、落ち着いて下さい。私はこの女性に、高杉さんたちに助けて頂きました。みなさんどうか、気持ちをお収め下さい」
蔵田さんの言葉に先鋒隊士たちはどよめく。
「蔵田、どういうことか説明してもらおうか?」
「私が伏せっていたところに奇兵隊の者に斬りつけられました」
「ほらみたことか! やはり奇兵隊は我々の敵……」
「ですが! 追撃を受る寸前のところで、こちらのお嬢さんが間に入り助けて頂きました。こちらのお嬢さんは私の手当てもして下さりました。ですから敵などではありません!」
蔵田はそう言いながら身体の傷を見せた。
「この女子が医者? 帯刀しているようだが……高杉、どういうことだ?」
「こいつの名は桜美奈。もとは久坂より医術を学び、今は所郁太郎のもとで医術を学んでいる。刀の方は俺らほどじゃねぇが、ちったぁ扱える。それこそ奇兵隊士の刀を受けて、蔵田さんを守れるくらいにはな」
「そうか……所先生の弟子か。女が帯刀し医術を施すとは、これまた稀有な娘だ」
晋作と話をしている偉そうな雰囲気の男性は、私を品定めするように眺めている。
「娘、お前は奇兵隊の者だろう? なぜ我が同胞を助けた?」
「そんなの決まってるじゃない……っ、ですか。伏せっている人を斬るなんて武士らしくないもの……ですから」
必死に敬語で話そうとする私を見て、晋作や武人は笑いをこらえるように肩を震わせていた。
「そうか……蔵田を救い手当をしてもらったことには礼を言う」
「当然のことよ……じゃなかった、当然のことです。蔵田さんの傷の様子を見に少しの間、こちらに通います」
「承知した。そちらの方は任せよう。時に高杉……」
私に笑顔を見せたその男性は、晋作の名を呼ぶと鋭い目つきに変わっていた。
「此度のことは穏便に済むとは思わないことだ。奇兵隊がしでかしたことは重大だ。諸隊の庶民どもが士分に刃を向けたのだからな」
「蔵田さんを斬ったのは庶民とは限らねぇさ。奇兵隊にも士分はいるものでなぁ。俺らが話し合いの場を設けようと参った時に、言い分も聞かずに発砲したのは先鋒隊だ。先に手を出したのはそちらさんの方さな」
「こちらは負傷者も出ている。これは重きことだ」
「奇兵隊のモンが蔵田さんに怪我を負わせちまったことは申し訳ないと思っている。俺はこれからそれについて報告に行くさ」
ピリピリとした雰囲気になんとも居心地が悪い。
しばらくの沈黙の後、晋作は「行くぞ」と小さく告げ、私と武人を引き連れて教法寺を去った。
その帰り道、晋作は武人を先に帰らせた。
その足で私たちは毛利様のもとへと向かった。
毛利様の滞在先に着く間際、晋作はふいに立ち止まる。
「少し話さねぇか?」
晋作の意外な一言に、小さく頷いた。
晋作は私を抱き寄せる。
その体は心なしか震えているようだった。
「これから、ことの顛末を報告に行く」
「……うん」
「もしかしたら……俺ぁ、腹を斬ることになるやもしれねぇ」
「なんで!? 晋作は何も悪いことなんてしてないじゃん! 蔵田さんだって、もう大丈夫だよ? 傷の経過観察だってするし、もし私で対応しきれないような何かがあったら郁太郎も呼ぶもん!」
「そういうことじゃねぇ……蔵田さんは確かに無事だった。死人も出ちゃいねぇ。だが……士分だけでなく庶民も集う諸隊が、長州の士分を斬っちまったことは事実さな」
「っ……でも!」
「どうして今までの歴史の中で、奇兵隊のような諸隊がほとんど無かったのか分かるか?」
「えっと……大昔の刀狩みたいな感じ? 庶民に武器を持たせると反乱が起こる可能性があるから?」
「その通りだ。奇兵隊を作り、それに倣った諸隊が増えた時……士分の奴らは、それを危惧していた。そして今夜……それが起こっちまった。全ての責任は……それを管理している俺にある」
晋作の力が更に強くなる。
その強さが苦しかったが、胸の苦しさの方が遥かに優っていた。
「せっかくお前に助けてもらったこの命……粗末にしちまうことになるかもしれねぇが……俺ぁ、お前に出逢えて良かったと思っている」
「そんな……こと、言わないでよ」
「お前と引き合わせてくれた義助には……少しは感謝しねぇとだな。お前とは言い合うことの方が多かったが……俺ぁ存外、お前のことは好いていた」
晋作の言葉に何も言えずに、私は黙り込む。
「お前のその気の強さも、向こう見ずのところも、そのひたむきな姿も……気に入っていたさ。いつの間にか俺は……お前に惹かれていたのかもしれねぇなぁ。これから俺ぁお前のそばで守ってやることはできねぇかもしれない。だが、お前のそばには義助や武人らが居る。困った時は桂さんを頼るのも良い。あの人はまだ独り身だしな」
「そんなこと……言わないでよ。私だって晋作や義助が大好きだよ! 二人のうちどちらも欠けてほしくない」
晋作は私を離すと笑顔を見せた。
「話は終いだ。お前はこの先も変わっちゃくれるなよ。お前はお前の思うように生きろ」
「晋……作?」
「武人には……奇兵隊を収めたらここに来るよう言ってある。お前は武人が来たら共に帰れ」
そう言うと、晋作は私に背を向けて歩き出した。
「やだ……待って……待ってよ、晋作!」
引き留めようとしたその手は晋作には届かず。
私の声に、晋作が振り返ることはなかった。
小さくなる晋作の背を眺めることしかできなかった私はその場で泣き崩れた。
晋作を引き留めに行こうとしたが、晋作の覚悟を決めたような笑顔に、追いかけることができなかった。




