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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第2章 藩医見習い
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明治の偉人

 

 

 町医者として経験を積み腕を磨く為、診療所を設ける事になった。


 今から建物を造るとなると相当の時間が掛かってしまうので、高杉さんの家が所有する建物を使わせてもらう事になっていた。


 その建物は、久坂さんの自宅のある平安古地区から少し歩いた城下町地区にあるという。


 朝餉後、私と久坂さんは早速その建物に向かう事にした。





「仕度は整ったのか?」



 久坂さんが私に声を掛ける。



「あ……ちょっと待って。呉服屋さんがね、仕立てた着物を持ってきてくれたんだけど……どれにしようか迷ってるの」


「迷っているならば、私が決めてやろう」



 優柔不断な私を見兼ねたのか、久坂さんが着物を選び始める。



「これ……だな。これはきっと、お前に似合うだろう。この柄が良い……やはり、あの店は良い仕事をするな」



 久坂さんは、一着の白い着物を指差す。


 それは、純白の生地に可愛らしい桜の刺繍が施されている物だった。



「そっか、じゃあ……着付けてもらって来る」

 


 そう告げると私は女中に頼み、着付けてもらった。


 仕度が整うと、私たちは診療所へと向かい歩き出す。



「それにしても……あの高杉さんが建物を貸してくれるとはねぇ。何か意外だなぁ」


「高杉もあれで居て、中々情に厚いところがあるからな」


「自宅とは別に建物を持ってるって事は……相当裕福なの?」


「それはそうだ。高杉家は代々、毛利家に仕える上級武士の家柄だ。更にアイツは高杉家の唯一の男子、つまりは跡取りだからな……暮らし向きはかなり上等だろうな」


「あの高杉さんがお坊ちゃんかぁ……何かわかるかも。高杉さんって我儘そうだし……。じゃあ、桂さんの家は? 裕福なの?」


「桂さんの家は久坂家同様、藩医だ。それも名門だからな……実家は確かに裕福には違いないだろうな。だが、桂さんは子供の時分に桂家の養子に入っている」


「養子かぁ……偉人たちも色々大変なのね」



 取り留めもない会話をしている内に、私たちはその建物に辿り着いた。





「ここが高杉さんの家? やっぱり大きいし、豪華なんだねぇ」



 立派な門構えのその建物が高杉さんの家だと思うと、私は驚きを隠せなかった。



「これは高杉の自宅ではない。これは高杉が所有する別宅……つまり、私とお前の診療所だ。とはいえ、ここは使っていない屋敷だがな」



 この豪華な建物が、自宅ではない!?


 使っていない別宅という事は他にも別宅があるのだろう。



「高杉さんって本当に……お坊ちゃんなんだ、ね」


「よく分からないが……中では既に高杉が待っているはずだ。遠慮せず入ると良い」



 久坂さんはその場に立ち尽くす私の手を取ると、門をくぐり別宅へと入っていった。






「高杉、いるのか?」



 久坂さんが尋ねると、高杉さんが顔を出した。



「あぁ……久坂か、まぁこっちに来い。今日は面白ぇ客も来てるぞ」


「面白い……客?」



 久坂さんは首をかしげつつも、高杉に言われるままに室内へと上がった。






「久坂さん……お久しぶりです!」


「これは、本当に面白い客人だな。伊藤に井上……か。こちらも色々と慌ただしかったゆえ、本当に久しいな」



 既に部屋に居た二人は、伊藤さんと井上さんというらしい。



「ねぇ……知り合い?」



 私は久坂さんの後ろから、ひょっこりと顔を出す。



「あぁ……彼はだな」



 久坂さんが言い切らぬ内に、男の内の一人が私の元に飛んで来た。



「伊藤……伊藤俊輔と申します!」



 伊藤と名乗った男性は、即座に私の手を取る。



「伊藤……俊輔!?」


「おや……早速覚えて頂けるとは、これはこれは光栄ですね」



 伊藤さんは人懐っこい笑顔で微笑んだ。



「伊藤! お前のその節操の無さは、まだ直っておらぬのか!? それからその口調……気味が悪いから止めんか!」



 久坂さんは、伊藤さんから私を引き剥がした。



「やだなぁ久坂さん。好みの女性に会ったら、まずは口説くのが男でしょう?」


「お前が誰を口説こうが勝手だが……美奈をその辺の女と一緒にするな!」


「あれ? この娘、久坂さんの妾だったんですか? そりゃあ、悪い事をしましたね。すみません」



 伊藤さんは頭を掻きながら、久坂さんに謝った。



「……妾などではない」


「それなら……」



 久坂さんの否定の言葉を聞いた伊藤さんは、一瞬にして満面の笑みに変わる。



「おめぇら……いい加減にしろ」



 久坂さんと伊藤さんのやり取りに見兼ねた高杉さんが、二人を制止した。



「……すみません」



 伊藤さんが小さく謝ると、久坂さんは改めて二人を紹介した。



「先程の節操無しが、伊藤俊輔だ。好みの女とあらばすぐにでも手を出す困り者……お前も十分に気をつけるように」


「やだなぁ久坂さんたら、変な紹介しないで下さいよ! 彼女に変な誤解をされちゃうでしょう?」



 伊藤さんは困ったような表情で笑った。



「伊藤俊輔……いや、伊藤博文! その黒子……その顔……初代の内閣総理大臣だ!」



 私は思わず叫んだ。



「な……ないか……く?」



 聞き慣れない言葉に、伊藤さんは首をかしげている。



「美奈……まさか、この伊藤も未来の偉人なのか?」


「そう、偉人だよ! それも凄い人……私、総理大臣と話しちゃった!」



 手放しで喜ぶ私の姿に、久坂さんは深い溜め息をついた。



「伊藤が偉人……か。この節操無しが歴史に名を刻むとは、些か解せぬが……まぁ良い。伊藤の事はさておき、その隣に居るのが井上聞多だ」


「井上と申します」



 井上さんは伊藤さんとは異なり、私に対して深々と頭を下げた。


 井上聞多といえば、後の井上馨。


 こちらも、明治の大物だ。



「長州って…………やっぱりスゴイね」



 私の口から自然に出たこの言葉。


 これこそ、私の素直な感想だった。



「長州が……凄い?」



 久坂さんは不思議そうに尋ねた。



「だって……ここに居る全員が、歴史に名を残す偉人の中の偉人たちなんだよ!? 日本史の試験勉強で、その名前や行動を覚えなきゃならない様な人達だもん! そんな人が大勢居る長州は、凄いところなのよ」



 私は目を輝かせる。


 今までは新選組贔屓の私だったが、新しい世の為に活動したり明治新政府を樹立したりした偉人達をこうして目の当たりにすると……これはこれで面白いと感じた。



「先程から思っていたのですが……この娘さんは一体、何者です?」



 井上さんが訝しげな表情で尋ねた。



「あぁ……紹介がまだだったな。この娘は、美奈という。先日より久坂の家に住み込みで医術を学ぶ事になった、要するに藩医見習いだ」


「ということは、医者……ですか? 女性の医者なんて、初めて見ました」


「井上も初めてだろうが、私も初めてだ。だが、筋は良い。なかなか鍛え甲斐のありそうな娘だ」


「へぇ……久坂さんがそう言うのでしたら……それは余程のことなのでしょうね」



 井上さんはそう言うと、まるで品定めするかの様に私を眺める。


 その視線に、何だかむず痒いものを感じた。



「久坂さんったら、筋が良いとか鍛えるとか言っちゃって……まったくもって羨ましいなぁ! こんな可愛い子……俺も色々と鍛えてあげたいですねぇ」


「伊藤!  私が鍛えるのは医術だ。日がな不埒なことばかりを考えているお前と一緒にするな!」


「久坂さんは分かってないですねぇ……男は直球が一番なんですよ? そもそも、久坂さんは人気はあるのに堅いからなぁ」


「伊藤……くれぐれも警告しておく。お前は二度と美奈に近付くな! お前はコイツに悪影響だ」


「えぇ! そりゃあないですよ……えっと調子に乗り過ぎました、本当すみませんってば……久坂さん。でもね、美奈ちゃんでしたっけ? 彼女、本当に俺の好みなんですって! 軽い気持ちで口説いているわけでは無いんです……これだけは本当ですよ。というか、久坂さんの妾でないなら別に俺が口説いたって良いじゃないですか?」


「………伊藤、お前という奴は」



 久坂さんと伊藤さんのやり取りに、私は思わず吹き出した。


 初代内閣総理大臣が、これほどまでに軽いとは……正直驚きだ。


 教科書で目にする人物であったため、もっとお堅い人物だと思っていたが……意外にも普通の人という事に、何だか親近感が沸いた。







「さて……伊藤の馬鹿は放っておいて、早速だが診療所の用意に取り掛からねばなるまいな」



 久坂さんは呟いた。



「おい……久坂ぁ、診療所の用意は伊藤や井上も手伝うと言っている。何もそんな風に焦る必要はあるめぇよ? その前に……だ、美奈が本当に先の世の者かどうか、俺ぁ是非とも見極めてぇなぁ。伊藤に井上も……そうだろう?」



 今まで黙っていた高杉さんは、突然口をひらいた。


 その一言に、突然話を振られた二人は何が何だか意味が分からないという様な表情を浮かべている。



「見極める……だと?」


「あぁ、そうさ。こいつが何処かの藩の間者だったとしたらどうする?  そもそも、何故ただの小娘が京の藩屋敷に居たのか……お前は不思議に思いはしなかったのか? 俺としてもなぁ……怪しい者じゃねぇと証明できねぇと、やはりこの長州には置いてはおけねぇなぁ。間者と分かれば……最悪、高杉家の地下牢で尋問……か?」


「高杉……それでは昨日とは話が違うではないか! 帰り際、お前は美奈を認めたかのような口ぶりであったはず……それを今更、どうしたというのだ? それでは道理が外れている」


「どうもこうも、あるまいよ……ただ、昨日とは気が変わっただけだ」



 憤慨する久坂さんに、高杉さんは悪びれもなく言ってのけた。



「一体……どういうつもりだ!」


「別に理由なんざねぇさ。この気の強ぇ女を鳴かせてみせるのもまた一興、そう思っただけさな」


「高杉!」



 ニヤリと笑う高杉さんに、久坂さんは掴み掛かる。


 とにかくこの二人の喧嘩を止めなければ……



「ちょ……ちょっと! 久坂さん、駄目だって」



 私は、今にも高杉さんを殴ってしまいそうな久坂さんの後ろから抱きつき、その動きを必死で止める。



「クク…………」



 突然笑い出した高杉さんに、久坂さんは手を緩めた。



「な……何が可笑しい!」


「心配するな久坂……ただの冗談、だ」


「冗談……だと?」



 高杉さんの意図が読めない私と久坂さんは、顔を見合わせた。



「おい、伊藤……今の久坂の面ぁ見たか?」


「……はい」


「美奈はなぁ……柄にも無く、こいつが大事に囲ってやがんだよ! さっきの面ぁ見てそれが分かったなら、お前……絶対に、美奈にちょっかい出すんじゃねぇぞ? 分かったな」


「はい……心得ました。えっと……調子に乗っちまって……すみませんでした」



 高杉さんと伊藤さんのやり取りに、久坂さんはその意図を汲み取ったかの様だった。



「高杉……お前も人が悪いな。だが……その、すまなかった」


「そりゃあ、どーも。まぁ、これで伊藤も変な気は起こしゃしねぇだろうよ。しかし、美奈が先の世の者かどうか見極めたいってぇのは、紛れもねぇ俺の本音だ。何しろコイツは面白ぇからなぁ」


「そうだな……村塾の同志にであれば、明かしてしまっても問題はないだろうな」



 そう言うと、久坂さんは私に視線を移した。



「美奈……お前の持ち物を皆に見せても良いだろうか?」



 久坂さんは私に優しく尋ねた。



「べ……別に良いけど……それが証拠になるかは、分からないよ?」


「大丈夫だ。心配せずとも良い」



 久坂さんは大丈夫だと言っていたが……


 ここで証明できなかったら、高杉さんに牢に繋がれてしまうのではないだろうか?


 先程の高杉さんが意図するものを汲み取れなかった私は、そんな不安がよぎった。


 小刻みに震える手を高杉さんに悟られないよう、必死で抑えながら、私は鞄に手を入れた。



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