長州藩外国船砲撃事件
文久3年5月10日
長州藩は馬関……今で言う下関から外国船を砲撃した。
桂さんや晋作は反対していたが、そんな反対を押し切るかたちで義助たちはこの砲撃を藩意とするまでに推し進めた。
馬関に入った義助は光明寺に駐在し、様々な職種や身分の人が集まる光明寺党を結成する。
その仲間には、武人や狂介も居た。
そして……5月10日、ついに義助率いる光明寺党がアメリカ商船に砲撃したのだ。
義助たちの第一の砲撃を皮切りに、その後も22日にはフランス船を、26日にはオランダ船を次々と砲撃したという。
その後に起こる出来事などこの時の彼らは考えていなかったのかもしれない。
のんびりとした療養生活をしていた私たちのもとに二通の知らせが届いたのは、5月10日の砲撃から数日経ったある日のことだった。
一通は件の砲撃があった10日の砲撃の2日程あとに、俊輔や聞多は横浜港からイギリスへ向けて旅立ったことの知らせ。
「俊輔らは出立したらしいぞ。英吉利も面白そうさなぁ」
「晋作も行きたかった?」
「まぁ、興味はあるがな……今はここを離れられはしまいよ」
「……そっか」
晋作は多分……治療のことではなく、この世の中の情勢を見てここから離れられないと言っているのだろう。
「そういえばさ、一緒に行ったよね? 清国。初めての海外旅行、楽しかったなぁ」
「ありゃあ一応は遊びじゃなかったんだが……まぁ、その方がお前らしいっちゃあお前らしいか」
「あれから……というより、私がこの時代に来てからもう一年経つんだよ。月日が経つのは本当に早いよね」
「そうか……そんなに経ったか……」
「二人と出逢ってさ、二人を通して色々な経験をしたり色々な人と出逢ったり……本当に充実してたな。私も結構成長したんじゃないかな?」
「まぁ……女として、以外は成長してるかもな」
「まだそういうことを言う? 晋作はちーっとも成長してないんだから! 桂さんだって言ってたじゃん。私は数年もすれば桂さんに見劣りしないくらいにはなるって! 数年後に泣いて謝って来てももう遅いんだからねっ」
「数年後……か。まだまだ先は長ぇなぁ。まぁ、成長できたらその時にまた考えてやるよ」
「い、り、ま、せ、ん!」
晋作の言葉に頬を膨らませた。
「晋作なんて、もう良いですよーだ! 俊輔や聞多が帰って来たらたくさん土産話を聞かせてもらおーっと」
まぁ……俊輔たちは伊藤博文や井上馨として明治の世を先導していく人たちだし、今回の渡航については現代で映画にもなるくらいだし……藩公認の密航とはいえ、きっと無事に帰って来ることだろう。
さて……
もう一通の手紙は……というと、予想通り10日の砲撃の内容を知らせるものだった。
送り主は義助たちではない。
晋作が言うには、藩の人……とのことだった。
夕餉後に届いたその文を一緒に開いた。
「あの馬鹿が……」
晋作は小さく呟いた。
「義助たちは……大丈夫……なんだよね?」
その手紙の文字を上手く解読できない私は、手紙の内容を恐る恐る晋作に尋ねた。
「死んじゃあいねぇよ……あの馬鹿は他に先駆けて異国の船を攻撃しやがったらしい。徳川も公認していた船を……だ。それも……能登のおっさんの制止を無視して……」
「つまり、義助は偉い人の命令を無視して幕府公認の船を砲撃した……ってこと? それってかなりマズイんじゃ……」
「さぁな。だが、外国の船を攻撃しておいてただで済むわきゃあるまいよ。俺とて異人の命なんざさして興味はねぇさ。とはいえ異国は強敵だ。最新の船や武器だって持っていやがる。徳川の力を削ぐために攘夷を……などと言ったところで、その異国に潰されりゃあ徳川の世を終わらせるどころの話ではあるまい。お前も見ただろう? 清国が異国の属国と成り下がった末の姿を……」
晋作は悔しそうに言った。
「晋作は……そこまで考えていたから、今回の義助の行動に反対してたんだね」
「今は異国とやり合うには正直なところ力が足りねぇ。だからこそ武力を蓄えて強くなり、その上で徳川を終わらせることこそが得策さな」
「なんだか……意外だな。晋作ってさ、こういう時に真っ先に斬り込んで行きそうな気がしてたから。義助よりも晋作の方が過激な思想なんだと思ってた」
「お前は俺をどんなヤツだと思ってんだよ」
「とにかくはちゃめちゃで、こうと思ったら何も考えずに突っ込んで行くような……人?」
「そりゃあお前の方だ」
「し……失礼なヤツ!」
「お互い様さな」
それにしても……どうしてこうなってしまったのだろうか?
あの時義助を止めるべきだったのだろうか?
過激な攘夷思想を持っているのは、晋作ではなく義助の方だったとは。
確かにあの時、私は止めようと思った。
今回の砲撃事件により長州は外国から報復を受けるし、そういった出来事の積み重ねから八月の政変へと繋がり、長州は京での栄華の時代を終える。
その流れを起こさなければ、禁門の変で義助が死ぬことはないだろう。
ただ……その歴史の流れを変えることが怖かった。
その時期に起こるべきことを起こさないようにすることで歴史が歪み、その先で起こるべきことが起こらなくなってしまうのではないか?
その歪みはどのように私たちに影響をもたらすのか?
そんなことを考えると安易に歴史の流れを変えることに抵抗があった。
歴史の流れを変えるのは、晋作や義助など私の周りの大切な人を守るため、必要最小限にしたい。
今回の事件では義助は無事なはずだ……だから何も言わずに行かせてしまったのだが……それはまずかったのだろうか。
「俺たちは……何処で違ってしまったのかねぇ」
晋作は不意に呟く。
「違ったわけじゃ無い……と……思う。晋作や義助の思いは今でも同じだと思うよ。松蔭先生の意志を継いで新しい時代を切り開くこと……でしょう? ただ……その方法が異なってしまっただけ。二人の根底にあるものはきっと……変わってない、と思うよ」
晋作は「そうか」とだけ小さく答えた。
この時代の人は己の信念や思想を大切に生きている。
思想は周囲の影響や世情で変わっていくものかもしれないが、根底にある信念はそうは揺らがないのではないだろうか。
過激な思想にどっぷり浸かってしまっている義助も、いつの間にかすっかり変わってしまったわけではない。私たちの絆は変わってはいない……と信じたい。




