説得
宵五つ……現代の時間で20時頃、晋作は訪れた。
「おい、戻ったぞ」
「あ、あぁ……お帰りなさい。今日は遅かったのね。お疲れ様」
「ほぅ……お前が俺の戻りを待っているたぁ嬉しいねぇ」
晋作は少し驚いたように言った。
「ご飯、食べた? 何か少し食べる?」
「そういや今日は何も食ってなかったな……折角だから貰うとするか」
「じゃあ、支度してくるね」
そう告げると部屋を後にした。
夕餉の支度をしながら考える。
今日は義助はここには来ない。
晋作を説得するには、またとないチャンスだ。
だけど……どうやって話を切り出そうか……
あの頑固者が私の話を受け入れてくれるだろうか。
そんなことを思いながら夕餉の支度を終え、部屋へと戻った。
色々なことを考えながら、私は黙々と箸を進める。
「ちったぁ上達したじゃねぇか。いつもは飯なぞ食うことも忘れるくれぇ関心はねぇが、これなら毎日食うのも悪かぁねぇな」
素直に褒めた晋作に驚いて顔を上げた。
「そりゃあどうも。藩屋敷とかだと女中さんが作ってくれたり、京とか賑やかな場所だと外食したりするけどさ。こうやって自分で作らなきゃならない時もあるから、少しは料理も覚えようと思ってね。時々、屋敷で女中さん達に教わってたの。みんなにも美味しく食べてもらえたら良いなって」
「そりゃあ良い心掛けだ。まぁ……ウチに嫁ぐとなりゃあ女中も十分に揃ってるし、自炊なんぞ要らねぇがな」
「晋作のおうちはお金持ちだもんねー。……って、嫁ぐも何も既に奥さんが居るくせに」
「なにも囲う女は正妻だけとは限るまいよ」
悪びれもせずにそう言い放つ晋作に、私は頬を膨らませた。
「悪ぃ悪ぃ……お前はそういうのは嫌なんだったな」
「そもそも晋作は、いつもいつも私なんかじゃ興味が湧かないーみたいなこと言ってるクセに。変なのー」
晋作は私の言葉に答えることなく箸を進め、いつのまにか完食していた。
晋作に次いで食事を摂り終えた私は、後片付けをすると言ってお膳を持って退室した。
晋作が全部食べるなんて珍しい……今日は何も食べていないと言っていたし、よほどお腹が空いていたのだろうか?
お皿を洗って片付けていた時、背後に感じた気配に振り返った。
「晋……作? どうしたの? お酒でも取りに来た?」
「いや……今日は腹いっぱい飯を食ったからな……酒はいらねぇよ」
「じゃあ、どうしてここに?」
「部屋に居ても退屈だからな。何か手伝いでも……と思ってだな」
晋作の意外な答えに驚いた。
ここは江戸時代。
一般的には男尊女卑の世の中だ。
ここ、長州もその気風が強いと記憶している。
「だ……大丈夫だよ? お坊ちゃまの晋作にそんなことさせられないよ」
「一人でやるよりゃ二人の方が早ぇよ。それに……お前、俺になんか言いてぇことがあるんだろ?」
そう言いながら手際よく晋作は食器を棚に戻していく。
晋作のその行動にもそうだが、彼の勘の良さには本当に驚かされる。
「ありがとう。相変わらず晋作は……勘が……良いね」
「お前が分かりやす過ぎるだけさな」
片付けを済ませた私たちは、先程の部屋へと戻った。
「……で? 話は何だ?」
「えっと……えっと、ね。あ、そうだ。お酒とおつまみでも持ってこようか?」
「酒は要らねと先刻も言った。お前から話があるという時に酒なぞ飲んでおられまいよ」
「そ……そう」
どうしよう。
早く言わなきゃ。
でも……何から話す?
治療をしなければ晋作は労咳で死ぬんだよ……なんて……言えない。
「ごめん……何から話して良いか……まだ考えが、よくまとまってないの」
「あいにく時間はある……うるせぇヤツも今日は来ねぇ。ゆっくり話しゃあ良いさ」
その言葉に少し気持ちが軽くなる。
何て切り出せば良いかは分からないが、今夜を逃せば晋作とゆっくりと話す時間は持てないかもしれない。
しばらくの沈黙の後、私は意を決して晋作に問いかけた。
「ねぇ……晋作は……体調大丈夫? その……咳とか出ない?」
「何も問題ねぇよ。子どもの時分は熱ばかり出していたが、いつからかそんなことも無くなったしな。咳も無ければ体の方も何ともねぇな」
「なら良かった……あのさ……ひとつだけ、私が知っている未来の話をしても良い?」
晋作も義助も、私が持つ史実の知識については聞かないと言っていた。
そんな二人に対して私は、命の危険がある時はそれに従わないことを告げた。
今は……命の危機に晒されている時。
晋作は怪訝そうな顔をしていたが、私は晋作の返事を待たずに続けた。
「私が前に言ったよね。長州のみんなは徳川の世を終わらせて……新しい時代を築くって。だけど……そこに……」
それ以上続けることはできずに私は俯いた。
溢れそうになる涙を見せないように、声を震わさないように……そう思って唇を噛み締めた。
「そこに……俺は……居ねぇのか」
全てを悟ったかのような晋作の言葉に涙が溢れた。
「十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。」
晋作の言葉に思わず顔を上げる。
「どういう……意味?」
晋作は私の顔を見ようとはせず、空にぼんやりと浮かぶ月を見ながら続けた。
「先生の……言葉さな。人の一生っつーもんは四季のようなもの。十で死ぬ者も百で死ぬ者も……それぞれの四季がある。だから十で死んだからといって寿命が短いとかそういうことじゃねぇ。その年で死んだなりの春夏秋冬がある。一見何も成し遂げちゃいねぇようでも……そこが実りの時。そう言って先生が蒔いた種が……また実って俺らみてぇなのを生み出した。そんな俺らが蒔く種が……実ることがありゃあ、次の世を築く奴らを生むのだろうよ。そうやって時代を紡いでいくのさ」
「そんなの……」
私の方に顔を向けずに静かに淡々と話す晋作が消えてしまいそうな程儚く思えて、居ても立っても居られずに後ろから晋作に抱きついた。
「今日は随分と積極的じゃねぇか」
そう鼻で笑う晋作は相変わらず私の方に顔を向けようとはしない。
「俺ぁ……死ぬのは怖くねぇよ。まぁ……死ぬには少しばかりの心残りもあるが……それでも、それが俺の四季だっただけのこと。好きなことをして潔く散るのも悪かぁねぇ」
「そんなの……そんなの私は嫌! 晋作が居なくなるのは絶対に嫌なの! だから……私は晋作を助けたい。それが晋作の意に反することだとしても……死なせたくない! だって……松蔭先生とも約束したもん。二人に……新しい時代を見せるって」
「先生との約束……か。そういや、俺ぁ何で死ぬんだ? 誰かに斬られるか、はたまた処刑か……どちらにせよ俺ぁ……良い死に方はしねぇだろうな」
死ぬのが怖くはない。
覚悟はできている。
そんな風に言うくせに……やっぱり死に方が気になるんじゃない。
「……労咳。残された時間は正直少ない……と思う。晋作は時代の流れを変えるようなここぞという時に労咳が発症して、晋作が好きな人と一緒に療養生活をするんだけど……新しい時代を見ることなく亡くなるの。これが……私が知る史実」
「そう……か。死病に罹るたぁ俺もたいがい運がねぇな。まぁ……発病したらお前が面倒みてくれるというのは存外悪かぁねぇが」
「なんで私が晋作の面倒を見るのよ? アンタ私の話を聞いていた?」
「聞いていたさ。お前が面倒見てくれねぇなら、俺ぁ一人寂しく死んでいくのだろうよ」
晋作は私の話をちゃんと理解しているのだろうか。
晋作の相手は私ではなく、おうのさんという人だと記憶している。
「だーかーらー。私が死なせないって言ってるの! 発病だってさせないもん」
「労咳は死病。効く薬なんざねぇよ。罹ればただ死を待つのみ……だから死病なのさ」
そう吐き捨てる晋作に私は話を続けた。
「薬なら……ある」
「なん……だと?」
「清国に行く前に長崎に行ったの覚えてる? あの時にね、義助と一緒に長崎の西洋風病院に行ったの。そこで歴史的に有名な医者に会ってね……私は、私の秘密を話して……労咳に効く薬の研究をお願いしたの」
「お前の秘密を知らねぇヤツに他言するなぞ……どうしてそんな危ねぇマネをした!」
「……晋作を……助けたかった……から。私は晋作が労咳で死ぬことを知っていた。だから……小さな望みに賭けたの」
晋作はやっと私の方を向く。
その表情は今までに見たことが無いような……言ってしまえば、泣きそうな表情をしていた。
いつも気丈に振る舞う、はちゃめちゃで豪胆な性格の晋作とは到底思えないような表情だった。
「見んじゃねぇよ」
小さくそう言うと、晋作は私を自分の懐へとうずめた。
「先刻の話だが……薬があるってぇのはどういうことだ?」
「今日、ね。そこに居た医者の一人がここに来たの。その時に完成した薬とか……その他にも今までの研究の成果を持って来てくれたの。だから……晋作を治すことだってできるんだよ?」
「……そうか」
晋作は小刻みに震えているようだった。
死ぬのが怖くないと虚勢を張ってはいても、人は心の奥底で死への恐怖を抱いているはずだ。
「これからは……ちゃんと、私や郁太郎の言うことを聞いてよ……ね?」
「言うこととは?」
「薬があるとはいえ、その治療は長い期間となる。まずはちゃんと治療を受けること。それと……しっかりご飯を食べて、夜はよく眠ること。お酒はほどほどに……」
「相変わらず、お前も郁太郎も口うるせぇなぁ。俺ぁ、酒も女も止めねぇよ。だが……少しならお前らの言うことも聞いてやらなくもねぇ」
素直なのだか素直でないのだか、よく分からない晋作に私はクスクスと笑った。
多分……晋作を説得……できたんだよね?
これで晋作を守れる……よね?




