萩の月 ー後編ー
「随分と仲が良さそうだな」
義助は苦笑いを浮かべながら部屋に入ると、私たちの目の前に座った。
「なんだ。お前たちはもう飲んでいるのか?」
義助は酒瓶を横目に溜息を一つついた。
「随分遅かったのね……遅くまでお疲れ様」
「まぁ……久方ぶりに戻ったからな。色々と寄らなければならない所があったのだよ。あぁ、そうだ。これは文からだ」
義助は風呂敷を広げて重箱を開けた。
そこにはお酒のおつまみになりそうなものから、美味しそうな煮物など様々な料理が詰められていた。
「美味しそう……文さんってすごいね」
「文の料理は美味いぞ。たんと食べてくれ」
共に過ごすことが多いからつい忘れがちになるけど、義助も晋作も妻帯者なわけで……そうなれば家に寄るのも必然……か。
「晋作もちゃんとおうちに帰ってから来たの?」
「屋敷に寄ったは寄ったが、荷を置いて来ただけだ。面倒なことに他に寄るところも多かったからな」
「ふーん」
みんな……帰る家があるのは羨ましいな。
私には居場所はあっても帰る家は無いから……
もしも……このまま元の時代に戻れなかったとしたら……私はどうなるのだろう?
お父さんやお母さんは?
友達は?
私が居た家は、家族はどうなってるんだろうか?
私は河川敷から落ちて死んだことになっているのか?
はたまた行方不明扱いになっているのか?
それとも……私の存在自体が無かったことになっているのか?
この時代に飛ばされて、これまで流れ行くように生きてきたけど……もしもこのまま戻ることが無かったら……私もいずれは誰かと結婚してこの時代の人として生きて行くのかな。
「そんな顔をしてどうした? 淋しくなったのか?」
義助は私の顔を覗き込んだ。
「そんなことないよ? えっと……これ! このお魚の煮付けが美味しくて! どうやって作るのかなぁとか考えてただけ!」
「そうか……それなら良いが……。味付けについては文に聞いてみると良い。しばらくはここに滞在するのだからな」
「うん……そうするね」
二人に気づかれまいと、必死に笑顔を取り繕って元気良く答えた。
「ご馳走様! 文さんの料理、本当に美味しかった! 文さんにお礼を言っておいてね。じゃあ、私は器を洗ってくるね」
悲しそうな顔は見せられないと、私はその場をあとにした。
洗い物を終えて戻って来た私は、部屋の襖を開けようとしたその手を止めた。
残された義助と晋作は……何やら深刻そうな話をしているようだ。
襖を隔てているためよくは聞こえないが……断片的にその会話の内容が聞こえてくる。
攘夷決行
翌月
馬関
船
聞こえてきた単語を私の記憶と紡ごうとするが、何のことなのかさっぱりだ。
試衛館のみんなが京に来た文久3年…… この年に起こる出来事は何だっけ?
晋作が奇兵隊を作るのとか、八月十八日の政変とか……それはこの年だった?
重要となる禁門の変は……まだもう少し先のはず……
大好きだった新選組の歩みは年表のように記憶しているのに、肝心の長州側の動きがよく分からない。
新選組の敵としてしか見ていなかったからなぁ……
長州側の動きなんて、それこそ教科書で習うような薄っぺらい、大まかな歴史上の出来事くらいなものだ。
来月……いったい何が起こるのだろうか。
二人はいったい何をしようとしているのだろう。
聞きたい……けど、二人が敢えて私に告げない話を尋ねるのも気が引ける。
「では、そのように」
義助の言葉で、大切な話は終わったのだろうと予想できた。
「ただいまー。義助、はい! これ。私も晋作も、どのお料理も美味しく頂いたってこと、帰ったらちゃんと言っておいてね?」
「明日、戻ったら必ず伝えておこう」
「……明日って? どういうこと? 二人はこの後おうちに帰るんじゃ……」
二人は家に戻り、今夜はここで一人……と考えていた私は首をかしげる。
「今宵はここで過ごすことにしたのだよ」
義助の言葉に、私と晋作は顔を見合わせた。
「ここで……って。そもそもここは診療所だし、お布団が敷けそうな部屋はここしか無いよ? ここ狭いし……お布団だって一組しかないもん」
「案ずるな。そうだろうと思って布団は用意してある」
「はぁ? 布団があるから良いっていう問題じゃないから! こんな狭い部屋に無理だから! ねぇ、晋作からも言ってやってよ!」
私は晋作の腕を掴んで揺さぶった。
「俺らがいがみ合うこたぁ、ことの外多いが……まったく、変なところばかり気が合いやがるなぁ。 布団まで持って来るのも同じたぁねぇ」
「はぁ? 晋作までここに泊まる気でいたわけ? あんた達には帰る家があるんだから、ちゃんと自分の家に帰って広い部屋で寝なさいよ! こんな狭い所に布団なんて三組も敷けるわけないでしょうが!」
晋作も義助も、帰る家や帰りを待つ人が居るのに……
「ここは誰の持ちモンだったか忘れた訳じゃあるまいよ?」
その一言に思い出す。
私の診療所……として離れ屋の一つを貸してくれたのは晋作だったのだ。
つまり、ここは晋作のおうち。
「えっ……と……高杉さんちの……建物……です」
「ならば家主に従うことさな」
晋作の真っ当な主張に小さく頷いた。
でも、それなら……
「義助は帰らないとだね!」
「義助、おめぇは屋敷に帰んな」
同時に私と晋作が笑いながら言うと、義助は泣きそうな顔をしていたので、可哀想になった私たちは今夜は三人で過ごすことにした。
三組の布団を敷けば、布団だけで部屋がいっぱいになる。
案の定誰がどこに寝るかで討論となったが、結局のところ真ん中の私の右手に義助、左手に晋作で落ち着いた。
布団に潜り込んで川の字に並ぶと、なんだか修学旅行のようでワクワクする。
修学旅行では主に史跡巡りをするわけだけど……実際にリアルタイムでその史跡に出入りしているだけでなく、歴史的な偉人たちに挟まれているなんて……なんだか不思議な気持ち。
両隣りに二人が居ると、やっぱり安心する。
そういえば……二人とも、それぞれが勝手にここに泊まるつもりで来ていたけど……どちらかが泊まらなかったらどうするつもりだったんだろう?
そんなことを考えながら、私は深い眠りについた。
差し迫る攘夷決行の期日に、血気盛んなテロリストたちが再び何やら画策していることを知るのはまだ少し先のお話。




