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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第16章 長州へ発つ
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現代医療と民間療法

 


 準備が整った私たちは、早速彼の胃洗浄に取り掛かった。


 義助の機転でカテーテルの先を大きめに切り、郁太郎がそれを手にする。


 男性を押さえるのは義助の役目、施術するのは郁太郎の役目……そしてそれを補佐するのが私の役目だ。


 それぞれが行う事を把握し、全ては滞りなく終わるはずだった……そう、その瞬間までは……。



「あの……こんなにも苦しむものなんですか? こいつは……その、本当に大丈夫ですか?」



 男性が余りに苦しむ姿に見るに見かねたのか、傍らの男の人は心配そうに尋ねた。



「ちゃんと胃の中のものが逆流してきているから大丈夫よ。そんな事より、暇ならこの桶を新しいのにかえてくれない?」


「は……はい!」



 男の人は内容物の入った桶を抱えると、慌てて部屋を飛び出した。



「あの男の話ではないが……本当に難儀なものだな。これ程までに苦しむとは……些か不憫でならんな」


「そうね……確かに胃洗浄には苦痛が付き物だなんて習ったけど……これ程までに苦しむなんて……ね」



 教科書の文章と実際に目にするのでは、これ程までに異なるのだろうか……これでは患者も医療者もたまったもんじゃない。


 そんな事をぼんやりと考えていたその時の事であった。



「残念だが……ここまでだ」



 郁太郎はそう呟くと、静かにカテーテルを引き抜いた。



「な……何で!? どうしたの?」


「……出血だ」



 郁太郎の声に、逆流してきた内容物の入った瓶を覗きこむ。


 そこには胃の中から出たであろう血液が混ざっていた。



「でも! まだ毒が出きってないはず……もう少しやらないと……」


「はじめにお前は何と説明した? 内容物に血が混ざったら……その時はすぐに止めなければならないと、そう言ったはずだ。出血を認めた場合は……胃の府に穴が空いた可能性がある……違うか?」


「っ……でも!」


「でもではない。状況を受け入れろ!」



 食い下がろうとする私に、郁太郎は声を荒げた。


 出血があった場合は即中止する……教科書通りの……当然な事なのに、納得できない自分がいる。


 結局のところ、私は彼を苦しませただけなのだろうか?


 不甲斐なさと悔しさで、私はその場に崩れ落ちた。



「義助……ここはもう良いから、美奈を連れて行け」



 郁太郎の言葉に義助は頷くと、私の肩に手をかけた。



「お前はよくやった……あとは郁太郎殿に任せて……」


「っ……なにが良くやったのよ! 何も出来てないじゃない。それに……まだ、終わってないでしょう? この人は、まだ生きてるの! 私は最後まで……ここに残る。それが私の義務よ」



 私は義助の手を振り払うと、郁太郎に駆け寄った。



「悪いけど、私はまだ諦めないから! 毒は取りきれなかったかもしれない……でも……八時間もてば、生きられるんだから!」



 私の言葉に、郁太郎は小さく微笑んだ。



「そうだな。だが……まずば冷静になれ。その様に動揺していては、浮かぶ案も浮かばぬだろう。さて……鉄砲の毒は、何故死に至るか……まずはそこからだが……」


「どうして死に至るか……そうね……河豚毒は、骨格筋を麻痺させるから、呼吸ができなくなって死ぬわけで……」



 私は教科書の呼吸のページを開いて二人に見せた。



「ここが麻痺すると、肺が膨らまないからシーソー呼吸になっちゃうのよね。だから、肺が膨らむようにしてあげれば良いんだけど……人工呼吸器もないこの時代じゃあねぇ……」



 郁太郎と義助は首をかしげ、思案する。



「そういえば……」



 最初に沈黙を破ったのは、義助だった。



「前に聞いた事があるが……鉄砲に当たった者を砂に埋めるとかなんとか……」


「砂に埋めるって、何でよ? この人はまだ生きてるのよ。埋葬なんて、縁起でもない」


「そういう意味ではない。首から下を埋めるのだ。理由は……わからぬが……」


「何のおまじないよ。そんなので助かる訳がないじゃない」



 首から下を埋めるなど古代の呪術じゃあるまいし、そんなもので河豚毒が消えるとも思えない。


 こんな緊急時に何をバカな事を言うのだろうかと、義助の意見を鼻で笑う。



「いや……それは有効やもしれんな」



 突然、郁太郎が義助の案に賛同した。



「郁太郎まで何を言うのよ。そもそも、毒なんだから排泄しない事には始まらないじゃない。埋めるだなんてバカげてる」


「そうではない。毒を出すことは叶わなかった……そうなれば次はいかにして毒に立ち向かうかが重要だ」


「それは……そうだけど」


「この書物を読む限り……砂に埋める事で肺を膨らませる手助けができるのではないかと思ってだな」


「肺を……膨らませる手助け?」



 郁太郎は教科書を片手に、その仮説について説明した。



「やれるだけの事はやる……違うか?」



 そう尋ねた郁太郎は、やけに自信ありげな表情を浮かべていた。



「違わない!」



 私達は顔を見合わせ頷くと、早速次の一手に取り掛かった。


 あと少し……どうか、耐えて……


 そう願いながら作業を進めていく。


 十分な器具の揃わないこの時代では、現代の医療を施すことは叶わなかった。


 それなら……この時代の民間療法を試してみよう。


 どんな結果になろうとも、できる限りの事はやる。


 それが私の意志だから……



 







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